僕はどんな価値を生んで、誰からお金をもらって、なににお金を使うのか
去年、まちづくりのコンサル会社でアルバイトしていて行政からの委託常務があったり民間からの委託業務があったりしたが、自分が1日7.5時間働いて、これは誰の業務で誰からお金を貰ってるんだろうかと、ふと思った。
学部時代、塾講師としてアルバイトをしていた時は自分がもらっているコマ給は、目の前で教えている生徒の親御さんが塾に払っている月謝のうちの何%かをもらっているのだと思っていたし、月謝のうち自分に入らないお金はその塾の維持費だったり塾長だったり本部だったりに行っているのだろうと考えていた。それが完全に正確はわからないが、自分の周囲で起こっているお金のエコロジーみたいなものを想像できたわけだが、今はそうはいかないようだ。
価値を生むということについても同じで、塾講師の時は教えている生徒の成績が上がったりテストの点数が上がったりという形で価値が視覚化され、それによって自分がもらっているお金と価値がなんとなくリンクしていたような気がする。
そして、話は少し変わるが、去年コンサルで手伝っていたような作業を今年になって研究室の学生としてすることもあり、完全に同じ類の仕事とは言えないが、「業務」として指示があり作業してお金をもらっていた時と「研究」として指示があり作業して「学び」の種をもらっている時の違いに気づき、もやもやとする時もある。
だが、逆にそこからお金に代わるようなどんな「学び」をその瞬間というか場所からフィードバックできるのかということを考えないといつの間にか時間なんて過ぎていくということにも気づかされる。
時間という言葉がここででてきたのは、『インターステラー』(クリストファー・ノーラン監督、2014年)をAmazon Primeで見たからだろうか。