マウントを取ってくる人を「マウントマン」と呼びます
おはようございます。
今日はとても気持ちのいい天気ですね🙂
心まで晴れ晴れとします♪
さて、今日は昨日のMBさんの配信voicyがまたもや、ドンピシャな悩みだったので、そのことについて深掘っていきたいと思います。
それでは、いってみましょう!
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実はここ最近、ずっと上司に対し萎縮していました。
そのことについて、ここにも何度か書いたのですが、拭うことが出来ませんでした。
そこで昨夜、朝会を一緒に行っている同志にお願いして「アウトプット会」を開催してもらいました。
今自分が抱えている悩みや疑問を相談しました。
これはあくまでも愚痴ではなく、悩みや疑問を解消するために行ってもらいました。
ここ数週間感じていた違和感や会社という組織のあり方などです。
ほぼ初めて企業に所属する私にとって、みんなそうなのか、我慢すべきことなのか、それを聞きたかったというわけです。
結果、私には合っていない、ということが明確化された。
MBさんがvoicyでおっしゃっていたことが、今自分に起きています。
遂に先週、心が折れかけ完全に心をシャットアウトしています。
私にとっては「パワハラ」と受け取ってしまう事も、彼にとっては躾、だったり教育の一貫と思っているのだと思います。
全てをルールで固め、私を服従させたいという行動や言動が日々増していき人間として否定されているのではないか、という思いにまで行きつきました。
DVをする人は、よくアメとムチを交互に使うと言いますが、まさにそれでした。
日に日に仕事へのモチベーションがなくなり、楽しく作業出来なくなっていきました。
その結果、ミスが増え、集中力が下がり、負のスパイラルに突入してしまいました。
けれど、このままではいかん!!
「私が私らしく働けない」なら「フェードアウト」することは「手段の1つ」である
と感じ、思い切ってその対象者に萎縮していること、もう私に直接個人的にメールを送らないで欲しいこと、社員雇用の話は白紙に戻して欲しいこと、全てを書き、メールを送りました。
そして、直属の上司にもそのことを報告し、現状を共有しました。
「今の請け負っている仕事で一旦やめよう」と決意したにも関わらず負の感情を引きずっていました。
けれど昨日のMBさんのvoicyを聞いて「ハッ」としました。
価値観を理解するという認識に間違いがあった
私は価値観を理解するということは、相手の価値観を受け入れ、享受することだと勝手に考えていました。
けれどそうではないことに気づきました。
MBさんは
マウントを取ってきたり、人のことを蔑んだりする人に対して、一切注意もしないし、意見も言わない。
この人はこうゆう価値観の人なんだなぁ、と思って距離を取る。
そうか、自分を驕っていたんだ、と気付きました。
人の価値観を理解して享受することなんて、私に出来るわけがないのに、なんでそんなイエスキリストにでもなったみたいに、許して享受しようと思っていたんだろう、と。
私がするべきは「私とは違う価値観の人。でも価値観は人それぞれだから仕方ない。でも自分には合わないから、距離を取ろう」
だったんだと気付きました。
昨夜集ってくれた朝会メンバーがちょっと極端だけど、こう言っていました。
「何これ?と思って実際拾ってみたらゴミだった。ゴミだったら捨てるしかないんだから、捨ててしまえばいい。でも拾って手にとってみないとゴミだとさえわからない。」
まぁ、これはちょっと過激な例えですが、そうゆうことですよね。
相手もそう思っているかもしれないですしね。
だから今日からマウントを取ってくる人種のことを心の中で「マウントマン」とカテゴライズすることにします。
人種が違えば価値観は違うのが当たり前、そう思えば楽になります笑
今日から6月です!
新たな気持ちで臨みたいと思います!!
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今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
全くメンタルモデルに沿った書き方をされていないのが気になりますが😅
朝会のメンバー、これ見てくれているかな😅
いつも本当に本当にありがとう!!大好きです❤️(鴨頭さん風)
それでは今日も皆さまにとって、ステキな1日になりますように✨
いってらっしゃい!!
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