母のこと #19 子供の成人

ふたりの子供の成人式のことをこれまで全然書いていなかったので、覚書として書いておきます。

息子の成人式

息子は高校を中退し、大学には行っていません。
成人を迎えた時は、父の工場で働いていました。
息子の成人式のために、スーツが誂えられました。
お店は、父が利用していた阿倍野区の洋服店で、父はいざという時の一張羅の背広をいつもここでオーダーしていました。ですので、費用は父が負担したのかもしれませんが、詳細は不明です。
息子の成人式で、特に母が何をしたという記憶はありません。それは、娘の成人式に較べて、母の情熱があまりなかったせいかなと思います。

娘の成人式

息子に較べて、娘の成人式は大がかりでした。
娘が成人する頃、家計は苦しくなっていました。
父の最初の蒸発事件の後で、母は不本意なままに父の家業の手伝いに奔走し、それまでしていた家事もままならないことが多くなっていました。
しかし、娘に成人式の振袖を着せることには情熱的でした。
実家の母と妹に相談し、妹の伝手で京都の着物屋さんを紹介してもらう手筈を整え、丹後から京都市内まで母と妹が出てきて仕事を休んだ自分と合流し、三人で振袖を選びました。帯までは手(お金)が回らなかったらしく、帯は妹のものを借りることになりました。
この時、実家の母はおめでたい席に出ることを考えたのか色無地を一緒に注文しています。色は紫でした。
当の娘は、振袖を買うお金があったらそれで海外留学をさせてくれと言い、振袖を選びに行く当日は都合が悪いと同行しませんでした。
つまり、娘の成人式は、娘の意見を全く無視した形で準備されたのでした。

娘が成人するほんの少し前に、一戸建てを売り払って引っ越しをしていたために、娘が出席する成人式が行われる区は娘には馴染みのない場所になっていました。なので、当初から式には参加せず写真のみ撮ろうということになっていました。
成人式に何の情熱も関心もなかった娘ですが、振袖を着せて記念らしいことをしたい母に抵抗し切れず妥協した結果、そうなりました。
田舎からは孫の成人のために実家の母が駆けつけ、式に出ず写真撮影だけなのでゆっくりと午前中に着付けをして写真を撮りました。
記憶はありませんが、その後みんなで記念の会食をしたのではなかったかと思います。

この時の振袖がとてもよいものだったと、後になっても何度か母と、一緒に選んだ母の母や妹も自慢げに話していました。
厳しい経済状況の中、成人した娘に人並みに振袖を着せることができたことは、母の中ではとても誇らしいことのようでした。
娘の大学進学と同じように、それも母の人生の中の母の成果だったのでした。




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