生まれた町
それなりに長く生きてくると、自分が小さかった頃のことを段々と忘れていってしまいます。
そうすると、なんだか自分には昔がなかったような気持ちになりかけるので、忘れてしまう前にいろいろと書き留めておこうと思いました。
最初に、私が生まれた町について書きます。
その町は、大阪市南部の下町でした。
屋根の低い家々が建ち並ぶ住宅と商店が混在した街です。
すぐ近くに市バスのバス停、歩いて10分前後で地下鉄や国鉄の駅がありました。
道は碁盤の目に近く、そんなに狭くもなかったので、車や自転車を利用するにも不便はありませんでした。
家を出たらすぐのところに割と大きなお菓子屋さん、公設市場、タバコ屋さん、その道向かいにお風呂屋さんなどがありました。公設市場の二階は市立図書館でした。
公設市場の真向かいの長屋には、パーマ屋さんと本屋さん、かしわ屋さんがありました。
そうそう、生家の向かいは家具屋さんで、向かい側は普通の家の玄関ですが、反対側は家具を販売するお店になっていました。
古い平屋の長屋や、一階と二階は別家になっている文化住宅がよくありました。一番近い文化住宅を「ぶんか」と呼んでいて、友達がいるのでよく遊びにいきました。
その友達が住んでいたのは「ぶんか」の一階の一番奥の部屋でした。2Kでトイレはありますが、お風呂はありません。そこに、ご両親と姉妹二人の4人で住んでいました。私はお姉ちゃんの方と友達でした。
「ぶんか」はお風呂がある部屋とない部屋がありました。
年齢も家族構成もいろいろな人が住んでいたように思いますが、世帯あたりの人数は1~4人程度でした。単身者、夫婦か親子の二人、または夫婦と小さな子供という家族が多かったように思います。
一番手前はオーナーの大きなおうちになっていました。二階建ての一戸建てで、お庭と駐車場がありました。
「ぶんか」の向かいは下宿屋さんといった風情のアパートで、近くのかまぼこ屋さんの娘さんがひと部屋を借りていました。一度だけその部屋に遊びに行かせてもらったことがありますが、趣味の本やマンガでいっぱいでした。自宅の自室に置ききれなくなって、そこに置くようにしたそうです。そこで寝泊まりされていたのかどうかは記憶していないのでわかりません。
公設市場の前の長屋の本屋さんは、おばちゃんとお兄ちゃん二人のおうちでした。
昔はおっちゃんもいたけれど、病気で早くに亡くなってしまったのです。
おばちゃんとお兄ちゃんは血が繋がってないと聞いたことがありましたから、もしかしたらおばちゃんは後妻だったのかもしれません。両親と本屋のおばちゃんは仲がよく、そのことから私も随分かわいがってもらいました。
その並びのパーマ屋さんは、母が通っていたお店で、やはり私も随分お世話になりました。
幼稚園は少し遠くて、幼稚園バスに乗って通いました。大人になってから知ったのですが、私立の幼稚園でした。今でもあります。
小学校は市立で、歩いて15分くらいだったでしょうか。隣り町にありました。この小学校も調べると今でもありました。
小学校の途中で転校したので、他の近所の学校のことはわかりません。
近所に学習塾が初めてできたのは、私が転校する前後だったと思います。思えばあれはその後の学習塾ブームの先駆けだったのかもしれません。
イカ焼き屋さん、ラーメン屋さん、ケーキ屋さん、喫茶店、お寿司屋さんなど、飲食店もそれなりにあり、とても便利で生活のしやすい、きれいな町でした。
プラモデル屋さんもありましたね。
大人になってから訪ねてみると、昔からある家は記憶の中のそれより小さく、道幅はどこも狭いように感じました。
私は生まれた町が大好きで、引っ越してからもいつか帰りたいとよく思っていました。
いつしかもう帰れないことがわかってから、せめて思い出が消えてなくならないように、こうして書いておきたかったのでした。