二人で一つ
娘の入園決定して説明会に行きました
もうこんなに大きくなって喜ばしい
入園が決定するまでにいろいろありました
私の障害の一つの症状で
2,3ヶ月に一度非常に体調が悪くなり
朝定時に起きられない事です
子供が保育園に行ったら
毎日登園時間に合わせて朝起きられるか心配していました
娘が3歳になっても症状はあまり改善されず
365日毎日きっちり通常登園は無理だという事になり
入園申し込みの始まる半年前から
役場のこども課に相談に行きました
こども課の職員さんに
「私は障がい者で体調が悪い時に定時に起きられないので通常登園が出来ない時があります。体調が悪い時に遅れて登園させて頂きたいです」
と簡単に説明しました
「どういうことですか?」と言われたので
もう一度説明しました
すると
「子供の社会性や安全面などを考えて通常登園が規則となっているので」と返答が
そしてそれだけの返答で具体的にどうしたらよいかと言う話も無くそれ一点張りの返答で終わりました
なんだ篠ママさんもっと訴えて分かってくださいと言えばいいじゃないか!と思われるでしょう
しかしここであえて何も言わずにすんなり帰ったかと言うと
障がい者は差別とか権利とかでデモ行進や集会で
世の中に激しく訴える機会をニュース等でよく目にするかと思います
そういう姿をみて障がい者はヒステリックで過激とかクレーマーみたいだという世間的なイメージが中にはある
もしこども課の人に話を分かってもらおうと
激しくしつこく批判的にあの場で訴えると
やっぱり障がい者はヒステリックだクレーマーだと思われ話を聞いてもらえなくなります
なのであらかじめ想定内の職員さんの対応だったので私にも考えがあり
再度出直しました
こども課の職員さんであっても障害の事を何も知らない人もいるので
信用を得るために障害福祉課の方にいきさつを説明して
相談に行くときに同伴してもらいました
「私の障害で子供の登園時間を遅らせてもらいたい件を相談させていただきましたが取り合ってもらえなかったです。わがままとかクレーマーとか勘違いしないで障がい者の当事者本人が相談している時点でもっとまじめに障害の事を理解してほしい」
「規則に従わないなら排除して私たち親子を孤立に追い込まないでほしい。親の障害も子供の園生活に関わってくるから、ハンデがあって協力が必要だからこれからどうしていったらいいか一緒に考えてほしい」
と医師の意見書も添えて冷静に建設的に陳述しました
すると申し訳なさそうに職員さんは
「自分の対応で不安な思いをさせてしまって申し訳ないです、これからどうしていったらよいか一緒に考えていきます」
と返答を頂きやっと分かってもらえました
そこから具体的にこれからどうしていくか話し合いの場をもってもらう事になりました
がしかしです
「障害で登園時間が遅れる事は入園が決まったらその時直接園長先生にそちらで話してください」
と言われて野放し状態に
なんかそれはおかしい
段階的に話し合いも事前にせず
ぶっつけ本番で園長先生に自分たちだけでいきなり話しても
登園時間を遅らせる保育体制も整わないままでは保育園側は対応できない
入園前に誰かを交えて保育園側と面談をしたほうがいいのではないか
それを職員さんに言うと
「では次回その事について話を聞いてもいいですが30分だけしか時間が取れません。次にその話をしても同じ返答しかできませんがいいですか」
と再びまともに取り合わない返答でした
でも私はわかってもらえるまで何度も話そうと
後に引かず次に話し合いの場を頼みました
そして話し合いの日いつもの職員さんの隣になにやら上司らしい人が座っていてちょっと雰囲気が違ってました
いきなり上司らしい人が話し出し
「登園時間が遅れる件はこども課でも対応させて頂いて受け入れます。入園前に園長先生と面談もします。その時こども課の職員も同伴が可能ならさせて頂きます」
と打って変わって受け入れ態勢になっていました
多分初めに対応した職員さんの対応がこども課全体で検討してみて
おかしいという事になったんでしょうか
他の上司らしい人が対応を変えてやっとまともな方向に話が進みました
その後とんとん拍子に事が進み
入園が決定して説明会に園長先生とこども課と障害福祉課の職員さんたちと
登園時間について面談をしてもらって同情や理解をしてもらい受け入れてもらえる事になりました
やりました!
始めのこども課の職員さんの対応で
登園時間の規則に従えないならもしかして
保育園に入れないかもしれない
社会から孤立する
これから私たち親子はいったいどうなってしまうんだろうと
凄く怖い思いをしました
私の障害で娘は保育園にも行けず友達とも遊ばずそんなので
どうやって子供が生きていけるのだろう
私の障害が娘にも影響して私が孤立すると娘も孤立する
私たち親子は二人で一つ
障がい者の自分を守らないと娘も守れない
障害に対する壁と私は戦って娘を守らなければいけない
そういう事にはじめて気づきました
戦うという事は
障がい者の権利獲得のための社会風潮のムードにあおられているのでは無い
本気でそう思っている
なんであんなに障がい者は感情を高ぶらせて社会に訴えているのか
デモ行進をして変えようとするのか
自分の勝手気ままな理由で戦っているのでは無い
障がい者と運命共同体の子供や家族や大事な人も巻き込まれて
疎外されたり孤立するから
娘と私は二人で一つ
障がい者の母親の幸せはその子供の娘の幸せ
これからは可愛い娘のためにしたたかに戦って行きます