泣き虫、そして白と空色のチャント

 元世界3位。将来を嘱望されながらキャリアの多くをケガとの戦いに費やし、つい先日何度目かの復帰が伝えられたデル・ポトロ。今年はあちこちで見られるかな、とうれしく思っていたら、復帰戦となる地元ブエノスアイレスでの大会前会見で、これで最後になるかも、と大会後の引退を示唆する発言があったというニュースを見てびっくり。日本ではたぶんほとんど話題にならないと思うけれど、海外のテニス関係を多くフォローしている私のツイッターのタイムラインは朝から嘆く声であふれかえっている。私も長いこと好きで応援してきた選手なので、胸の中が、しん、と沈んだ気持ちになっている。

 フェデラーに勝って初のグランドスラムタイトルを手にし、一躍注目を集めた09年全米も覚えているし、17年の全米4回戦、風邪でふらふらだったのにツーセットダウンからまさかの逆転でティームを破った試合も忘れ難いし、18年のウィンブルドン、ナダルとのフルセットに及んだ準々決勝は、ゲームセットの後抱き合って健闘を称え合う姿に、いつまでもいつまでも拍手をしていたいと思わせるような試合だった。

 もうひとつ。2016年の全米、やはりケガから復帰した年だったのだが、忘れられない試合を書いたものがあるので、アップさせていただく。引退、は明言ではないようなのでまだどうなるかわからないけれど、極東のテニスファンからの恋文として。勝ったところもたくさん見たけれど、負けた姿が絵になる、大きな体に似合わない愛らしさが好きよ。グラシアス、フアン・マルティン。

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 日本で有名な泣き虫と言えば、卓球の福原愛選手。3歳で「天才卓球少女」としてお茶の間に紹介され、厳しい練習に泣き、試合で劣勢になると泣き、その負けず嫌いの「泣き虫っぷり」で人気者に。私くらいの世代には多いかもしれないが、なんだかんだ言って20年以上成長を見てきてしまったので、無事代表選手になり世界で戦う姿を見ながら、勝てば「愛ちゃん、がんばってるねえ」負ければ「あら、調子悪いのかしら」と、親戚のおばさん化止まらず、リオ五輪では後輩選手を励まし涙する姿に「すっかりおねえさんになって」と、もらい泣き止まらず(笑)。

 その「泣き虫愛ちゃん」がついにお嫁さんになった、というニュースが流れた日、ニューヨークでは身長198センチの大男がこらえ切れずに涙を流していた。フアン・マルティン・デル・ポトロ。テニス全米オープン、4年ぶりに勝ち進んだ準々決勝で、世界ランク3位のバブリンカを相手にリードを奪われ、第4セット2-5でバブリンカのサービング・フォー・ザ・マッチ。誰もがデル・ポトロの敗退を確信した時のことだった。

 時計をすこし巻き戻して、8月のリオ五輪。日本では錦織選手の快進撃に沸いたテニスだったが、主役は間違いなくデル・ポトロだった。長い故障から今シーズン復帰し、ウィンブルドンでは2回戦でバブリンカを撃破。迎えたオリンピック、1回戦でいきなり世界王者ジョコビッチに勝利。準決勝ではナダルを破り、決勝でマレーにフルセットの末力尽きるも、見事な銀メダル。胸熱、ただひたすら胸熱の戦いぶり。

 そして、それを支えた多くの思い。いままで、テニス会場で世界一やかましい観客はアメリカ人だと思っていたけれど、違った!と思い知らされた。セット間ゲーム間はもちろん、ポイントとポイントのわずかな隙間にもチャントが響き渡るテニスの試合を初めて見た。主審があんなに「クワイエット・プリーズ」を連呼し、最後はほとんど懇願口調になるのも初めて見た。スタンドで、帰ってきた同胞に歌を贈り続けたたくさんの白と空色軍団。サッカーじゃねーし、と思わず噴き出しながら、ちと間違ってる気はするけど、でもものすごく正しい!と思った。声援に応えて、ひとつ勝つたびに「アメイジング」とつぶやきながら涙を流していたデル・ポトロ。彼らにとってデル・ポトロは、競技を超えてアルゼンチンの代表なのだ。南米大陸初開催のオリンピック。愛も、南米流でいいじゃないかと思った。

 再びニューヨーク。この日のアーサー・アッシュ・スタジアムにも、白と空色のチャントは響き渡っていた。7年前、同じ場所で当時絶対王者だったフェデラーを倒して、初のグランドスラムタイトルを手にした時はたちだった青年は、次世代を担うと期待されながらケガに泣き、世界ランク142位、ワイルドカードで全米オープンに戻ってきた。みんな、夢を見たかもしれない。私も、ちょびっとだけ。でも、やっぱりそんなに甘くはなくて、数分後の敗戦が誰の目にも明らかになった第4セット第8ゲームが始まる直前、その日最大の音量と雄々しさで、デル・ポトロへの歌声がセンターコートを包んだ。身長198センチの泣き虫は、こらえ切れずに涙を流し、何度も顔をぬぐいながらラケットを振って、そのやかましくて美しいメロディを受け止めた。

 あの時、もう深夜1時を過ぎていたのにスタンドにとどまり、デル・ポトロに愛を贈った人たちは、きっとものすごく幸せだった。くるしかった日々が報われて欲しいと願いながら声援を送る時、その言葉はいつの間にか自分に向かったかもしれない。本気で誰かを励ます時、人は自分のことも励ましている。そしていつの間にか自分が背筋を伸ばしていることに気づく。誰かを応援するって、きっとそういうことだ。だからあの時人々は、目前に迫った敗北をものともせず、感謝と共感を込めて、その日一番の歌声でデル・ポトロを最後のゲームへ送り出したのだ。

 と、極東の感傷的テニス観戦者の妄想ともらい泣きはとどまるところを知らず(笑)。

 数日後、広島カープ25年ぶりの優勝。デル・ポトロを破ったバブリンカは驚異的な意志の強さでみっつ目のグランドスラムタイトル獲得。くるしい日々を乗り越えて、がんばった人が報われる姿を見るのはいい。たとえそれらすべてが勝利という結末でなかったとしても、きっとそこには歌声がある。  

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