アンディ・マレーのロックンロール

 「たぶん夏以降プレイすることはないだろう」

 すでにカウントダウンは始まっていたから、今シーズンに入って伝えられたコメントを聞いて、驚く人はいなかったと思う。夏、イコール、パリオリンピックがおそらく最後の花道。そして直前のウィンブルドンが、地元である聖地でのラスト・ダンス。

 2度の全英優勝を含む3つのグランドスラムタイトル。「ビッグ4」の一角を担い、オリンピックはロンドン、リオ連覇の金メダル。でも勝っても負けてもわあわあひいひいの気性難。17年にナイトの称号を授与されてサーの敬称を持ってからも、苛立ってわめき散らして、ラケットばんばん壊して、敵も味方も自分の中にいて、もろとも火を点けながら走って走って拾って拾って、ケガでトップから転がり落ちて、「ビッグ4」が「ビッグ3」と呼ばれるようになったあとも下部のチャレンジャー大会から這い上がって、でこぼこだらけで、泥だらけで、つまずいてばっかで。

 七夕の日に77年ぶりのイギリス人チャンピオンになった13年のウィンブルドン初優勝もよく覚えてる。でもわたしは、その前年、決勝でフェデラーに惜敗した時の、涙で絶句しながらの準優勝インタビューが、ずっと忘れられない。「I’m going to try this and it’s not going to be easy」。

 入場者数に制限はあったけれど、コートの中もスタンドもすでに素顔を取り戻していた21年のウィンブルドンでは、ケガの状況が不安視される中、吠えに吠え、大歓声に背中を押されるように3回戦まで勝ち進んだ燃える闘魂っぷりに、ロンドンの空よりどんより灰色に塗りつぶされていた東京で、どれだけ勇気づけられたことか。

 37歳。世界ランク113位。最後の夏。前哨戦で背中に異変。即手術に踏み切り、誰もが「あかん、ウィンブルドン間に合わへん、なんとかオリンピックには」と思ったけれど、もちろんあっさりあきらめるはずもなく。「やれるやりたいやる」本選エントリー。シングルスは当日無念の棄権。名手である兄ジェイミーとのペアでダブルスに出場し、ママ・ジュディと嫁のキムちゃんと娘たちが見守る中敗退。

 「もう無理だってわかってた。無理だった。でも、永遠にプレイしたかった。やめたくない。テニスが大好きなんだ。だから、つらい」。センターコートへの別れの言葉は、歯ぎしりと痛みを散りばめ、簡単じゃなかった道のりそのまま、安堵とも達成とも程遠く、ただただ、らしく。

 叫んでも叫んでも燃え残る思いをロックと呼ぶ。それはライブハウスやコンサート会場だけのものじゃない。おつかれさまでした。淋しくなります。でも、忘れない。頂点でもどん底でも最後まで鳴り止むことのなかった闘争心、アンディ・マレーのロックンロール。

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