「問う」ことの計り知れないパワー
今朝、古代蓮の写真を撮影してきたので画像につかっちゃいながら、並行して表題のココロを書きたいですけど、その前提の「教える」「問う」の違いに少し触れたいです。
「教える」→相手に足りないことがあるという前提
「問う(質問する)」→相手にはすでに備わっているという前提
↑すべてに当てはまるか?は知りませんが大方、こういうことなんだと思っています。
相手に足りないところがあるという前提では、
「相手をコントロールしたいという欲求処理」または「相手を崇めて依存する欲求処理」、または「共依存関係」を結ぶということになるかなと考えます。「足りないが前提なんで」数学的に思考すると、補うとかそういう概念にならざるを得ないです。
また反対に相手にはすでに様々な資源が備わっているという前提では「相手はコントロール不能な独立した存在」としての畏敬の念がわき起こります。
未知の可能性が溢れまくる世界です。
このように人の成長の大前提には足りないものを足していくという発想と、すでに備わっていることを思い出し、表現(創造)するという発想のふたつがあるかもしれません。
以上を前提に昨今、「問う(質問する)」ことの計り知れないパワーを感じることが増えました。
人から学ぶものはなにもない
究極、なにもないと思います。本当にそう考えています。そのかわりに自分には生まれながらに備わっている才能や能力や可能性があり、それを思い出し、開花させていく責任があり、その責任を果たしていく主体は自分自身であるという考え方です。
この考え方を僕はまったく疑っていません。
自分に対してそう思っているわけなので、同時に相手にも計り知れない能力や可能性があると考えます。
このフェーズから発生してくる様々な事柄に興味が尽きません。同時に相手の存在に対峙すると、わからないことだらけになります。
そこから相手への質問が相手の尊厳を尊重する気持ちとともに湧き上がってきます。ただただ、謎と問いと尊敬の念が湧いてきます。
僕が行っているAWAKE MEETINGや三面鏡で見る自分にはこの思考がベースになっています。
質問のシャワーを浴びる時間
そうそう昨日、田村まよさんの対話ミーティングでした。
月一回の「質問のシャワーを浴びる時間」です。まよさんは質問の天才なので次々に繰り出せれてくる質問に答えているうちに自然に新しい視点や見方を発見したり、突然、視界が広がったり、一定方向からしか見えなかった物事が違う角度から見えるようになったり、より自由度の高い思考が生まれたりします。
それはまるで質問のシャワーを浴びる時間です。
昨日も、沢山の質問を浴びて、思考がシャッフルされ、スッキリしました✨
思考というものは、肩や腰と同じように「凝り固まる」もの。
「知らず知らず自分の思考パターンに陥っていくもの」。
だと思います。
だから...
自分以外の誰か?から
自分にない視点で
自分のある部分で沢山の質問を
浴びるとどうなるか?
スッキリすると同時に潜在していた自分の可能性が浮かび上がってくるのです。
思考があらたな視点や見方を発見したり、
視界が広がったり、一定方向からしか見えなかった物事が違う角度から見えるようになり、より自由度の高い思考が生まれたり。
今、自分が気づきたいことはなんなのか?
気づいていないことはなんなのか?
そんなことを知ったり、
腑に落ちたり。
質問のチカラは計り知れない!
そんなことをひしひし思う瞬間です。
そんなに時間があるわけじゃない人生
自分の思考や可能性や能力を炙り出し、自分自身の思考や存在をマスターして、日々に形にしていくだけでも、人生の時間は足りません。
人生は花に例えられるように花の一生は短く、儚く、だからこそ美しいもので、さらに大切な本質は花は誰かのために咲いているわけではありません。自分を全力で創造し、表現しているだけです。だからこそ純粋で美しいのだと思います。
他者からなにか?を教えてもらうことだけでは成り立たないのが人生の本質です。さらには人に捧げている時間もありません。人生はただ単に幸せを感じるというふんわりしたものだけでなく、もっともっと主体的に、あらゆる権限を自分の手元に呼び戻し、取り返し、未知の自分を創造していくゲームです。
人生は一度きり。
自分の思考の垢を落として、
シンプルにつかみ、シンプルに思考を活用する。そのことでシンプルに自分が持っている可能性が広がります。
最近、田村さんとはじめた
「三面鏡で見る自分」というYouTube番組(プログラム)はこの質問のチカラを使ったプログラムです。
田村さんも、僕も、ふたりとも、
このプログラムのパワーに驚いています。
今までの経験や知恵が開花しているような強いパワーを感じます。また、少しづつ情報開示していきますが、急ぎながらじっくり育てていこうと思っています。
人生は一度きりです。
ご興味がある方は以下の予告編をご覧ください。
対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】
https://peraichi.com/landing_pages/view/awake-meeting
誰しもが自分では見つけられない自分がいる
自分を知る新しい形「三面鏡で見る自分」
https://three-sided-mirror.com/
篠原正司 Masashi shinohara プロデューサー・クラウドファンディングアドバイザー
1966年長野県 岡谷市で生まれ。2才時の親戚からの虐待により失語および乞音(どもり)を患うことで本音の感覚と言葉を失う。芸術や音楽などの創造分野に魅せられ、いつも絵を描いているような幼少期から家族みんなに「お前はバカだ。無能だ。お前だけには才能はない。才能があるなんて思うな」と言われ続け、ありのままの自分を承認してもらえない怒りやコンプレックスや家族への殺意などが蓄積し、自分を表現することがさらにトラウマ化していく。
社会人になってからは自分の本音や才能から逸脱することで望まない結婚、蒸発、不倫、育児放棄、社会放棄、共依存、借金苦などを経験する。
また身体障害、身内の死、離婚、幼少期の虐待、レイプ、洗脳などの経験によるPTSDやフラッシュバックを患ったアーティストたちのプロデュースおよびマネジメントを展開するようになる。
「自分は無能」だという思い込みを無意識的に抱いていたが深い闇の淵に堕ちたアーティストと共に表現活動をすることで「その同調」から様々な気づきが生まれ、関わるアーティストのみならず自分自身の才能や可能性に目覚めていく。
波乱万丈、闇深い問題と格闘するプロセスをとおして、誰にも特有の魅力、個性、可能性があることを発見する。その発見をフィードバックし、アーティストやクリエイターの魅力や可能性の目覚めに導くプロデュースワーク(リアル&オンライン)、クラウドファンディングアドバイスなどを行う。2020年より対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】を展開している。