無能な僕 Part.2
出足、良くなかった前回の『無能な僕』という投稿w
しかしじわりじわりなにかが?伝わっている様子。
それも一部の強烈なマニア気質の方々にw
面白いです。
それが今の時代の空気でもあるんだよね。
まあ、すべては自分の責任で、
誰のせいでもありませんから。
僕の場合、無能だ、無能だと言われ続けてきたのはそれが自分の思い描く世界に通じる道だと無意識にも知っているからだというのもあるんです。そういう現実を創造しているのは自分なんです。
人は誰も彼もすべての人が、現実的に望んだ人生を送ってます。不平不満、不幸せ、満たされない思い、被害者意識もろもろ、そのすべてが思いのまま、思うがまま、望むままに実現し、体現しているんですね。
なぜならそれが大好きだから。
それしかないです。
僕の場合、無能だ、無能だと言われ続けることが大好きでした。さらに言えば今もそうなのですね。
今日はその視座から僕なりの遠吠えを叫び上げてみたいw
ワオ一一一一一一ン🐺
まずは前回投稿。良かったらお読みください。今回は少し視点を変えて書いてみますね一一。
なぜ?無能、無能と言われることが好きなのか?
ですよ。小さい頃からお前はバカだ。無能だ。お前だけには才能がないと周囲から必死に潰されてきました。前回も書きましたが、家族や周囲にとって脅威だからです。そこに良し悪しなんてあるはずもない!笑
脅威は叩き潰す。
それが普通です。
もし、僕を叩き潰してくれなかったら、
好きなアート🎨や音楽や役者なんかになっていたでしょう。山の上の誰も助けてくれない環境で、徹底的に痛めつけられ、潰してくれたおかげさまで、中途半端で、なにも出来ない無能感をどこまでも膨らませることに成功しました。
もし、そうならなかったらと考えるとゾっとします。
もし、そうなってなかったら、もしかしたら社会的な成功みたいなどうでもいいことに一喜一憂していたかもしれません。どうでもいいことでマウンティングしていい気になっていたかもしれません。
それが嫌だから、
僕は無能が好きなのです。
傷めず、叩き潰されずいたら好きなアートや音楽にずぶずぶと携わってしまっていたでしょう。また、今のような誰かの才能を開花のお手伝いをするプロデューサーにはなっていないと思います。
自分が潰され続けてきたから才能を眠らせているアーティストに対して身を投げてまでも開花に尽力できる資質を育てることが出来たんですよね。
そういう意味では僕が放つものは大きいです。
細胞に刻まれてきたことのすべてと、魂の叡知や創造の感覚がすべてです。
さらにこの広い宇宙の中に新しい星を産み出すくらいの情熱とエネルギーと愛と創造力を持っています(少なくともその意志があります)。
それが僕の人生で培った初期設定(デフォルト)です。
消えたかった!消えなくてよかった!
そんな資質ですから人に迷惑しか、かけていないと思っていた時はこの宇宙から存在のすべてを消してほしいと真剣に祈り続けていました。
一秒一秒、一日一日、何年も祈り続けました。だだの死では魂みたいなものや、なにか?が残存してしまいそうで、それでは物足りなさすぎる。
永遠に自分の全存在を消してしまう、道を探し続けてきました。
この宇宙から跡かたなく消えれたらどんなにいいだろう!そう祈り続けました。僕があまりに真剣に祈り続けたので、結果的には永遠に存在し続ける、永遠に生き続ける覚悟が備わることになりました。
「陰が極まれば陽に転ずる」は実際の摂理です。
(反対に陽極まれば陰に転じます。これも摂理です。)
これも「無能効果」で、無能が大好きな理由です。
避けたい闇と向き合うことで運命の星が輝く
僕がこの人生で一番受け入れずらかったことは上に書いた「魂は永遠に存在し続ける」つまり魂は不滅ということです。
幼少から魂感覚がありましたから、このことにコミットすることが苦痛で苦痛でしょうがない人生でした。今から思うと、一瞬一瞬、来る日も来る日も、宇宙から消してほしいと祈りました。それも超真剣に。
誰もが終わりを望んでる
僕だけではなく人は生きることに大なり、小なりのストレスを抱えて生きています。毎日、エラーも発生して不要なキャッシュもたまります。
誰の中にもなにかしらの消滅(リセット)願望を持っています。
それを簡単に解決できる手段を生命は常に担保しています。
死はひとつの安らぎの世界
死を怖いものと洗脳されていますが違いますよ。ある意味、そこにはやすらぎがありますし、安定した状態があります。
それはひとりひとりが望んでいる「終わり」です。「死」は生を全うしたひとつの勲章でもあります。
生という限られた時間をどうするか?
今日はとりとめないことを書きましたが「死」を忌み嫌わずパートナーに迎える時、人は強くなります。先日、思い浮かんだ言葉です。「生きる死者は強い」。
生きる死者は強い
生きる死者は強いです。0(ゼロ)は生と死のすべてを含んでいるからですけど、昨日の自分に死に、今日誕生した自分を生き尽くす。自然のサイクルはそのように出来てますから。一日も一生ですよ。毎日、死ぬことが出来るし、リセットできます。
一日を生き抜けばそこには安らぎの仮死(睡眠)が訪れます。
そしてまた朝、目覚め、新しい自分の誕生とともに新しい一日というチャンスが芽吹きます。このリズムや流れこそ、人生をマスターするひとつのポイントです。
これ以上のことに到達することもありません。同時に学ぶこともありません。←僕の考えね
これがすべてです。
誰かから教えてもらうこともありません。
終わりを受け入れたときに
日々の終わり、
一生の終わりを受け入れてみる。
さてそしてどうするか?
僕はあなたのことはわかりません。
あなたが決めてください。
それはあなたの自由です。
ただし、あなたがこの人生で
自分という存在を全開花したいなら
僕にもそれなりの準備が必要です。
そして僕はあなたの開花のために全力で準備してきました。
だから僕はすべてを捨てても、
あなたをサポートします。
その準備が出来ています。
さあ、どうしますか?
それこそあなたの自由ですよ💕
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先日、すごく気になって葦木ヒロカの楽曲のMVをつくりました。
モバイルでつくった簡単なムービーです。よかったら見てください。
自分の中に もともと存在している「 魅力 (個性)」や「 可能性 」について考えたことがありますか?それらを、どのくらい活かせていますか?
篠原正司 Masashi shinohara プロデューサー・クラウドファンディングアドバイザー
1966年長野県 岡谷市で生まれ。2才時の親戚からの虐待により失語および乞音(どもり)を患うことで本音の感覚と言葉を失う。芸術や音楽などの創造分野に魅せられ、いつも絵を描いているような幼少期から家族みんなに「お前はバカだ。無能だ。お前だけには才能はない。才能があるなんて思うな」と言われ続け、ありのままの自分を承認してもらえない怒りやコンプレックスや家族への殺意などが蓄積し、自分を表現することがさらにトラウマ化していく。
社会人になってからは自分の本音や才能から逸脱することで望まない結婚、蒸発、不倫、育児放棄、社会放棄、共依存、借金苦などを経験する。
また身体障害、身内の死、離婚、幼少期の虐待、レイプ、洗脳などの経験によるPTSDやフラッシュバックを患ったアーティストたちのプロデュースおよびマネジメントを展開するようになる。
「自分は無能」だという思い込みを無意識的に抱いていたが深い闇の淵に堕ちたアーティストと共に表現活動をすることで「その同調」から様々な気づきが生まれ、関わるアーティストのみならず自分自身の才能や可能性に目覚めていく。
波乱万丈、闇深い問題と格闘するプロセスをとおして、誰にも特有の魅力、個性、可能性があることを発見する。その発見をフィードバックし、アーティストやクリエイターの魅力や可能性の目覚めに導くプロデュースワーク(リアル&オンライン)、クラウドファンディングアドバイスなどを行う。2020年より対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】を展開している。
対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】
https://peraichi.com/landing_pages/view/awake-meeting
YouTube番組 三面鏡で見る自分
https://three-sided-mirror.com/https://three-sided-mirror.com/