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特集記事 篠原雅弥×長岡成貢 Talktime~日本(東京)のシティポップの風~

2022年長岡成貢さんがサウンドプロデュースおよびアートディレクションをしてくださったアルバム「Oh,Baby Blue」ですが、完成直前に星園祐子が大動脈解離という大病で緊急手術、入院とアクシデントが起きました。

アルバムはその後、完成したものの、大々的なお披露目もなく2024年になっています。

星園祐子の体調も徐々に回復して、先頃、フランス JAPAN EXPO PARISのライブステージでも好評だったアルバム(楽曲)を今、解き放ちたくお蔵入りの対談記事を掘り起こしたいと思いシェアします。

長岡成貢さんと作詞・総合プロデュースの篠原雅弥でサウンドの核になる「時代の風」「東京のパワー」を語ります。


特集記事 篠原雅弥×長岡成貢 Talktime~日本のシティポップの風~

篠原:やっぱり東京のシティポップを、成貢さん、語らないといかんですね。

長岡:僕らもそういう東京シティポップに影響を受けた世代だけどね。やっぱり僕らの上の世代。大滝詠一さんとかさ。

篠原:大滝詠一、ロング・バケイション。

長岡:そうそう。やっぱりいわゆる元々はっぴいえんどとか、細野さんまわり。シュガーベイブ、山下達郎さん、大貫妙子さん、あのへんがみんな、メンバーがぐちゃぐちゃになって、それでみんな影響し合ってできていったムーブメントという感じがするもんね。横の交流もすごかったしさ。

篠原:そういうフィルターを通して、今回のアルバムをよく聞いていると、そこ呼吸しているだけじゃなくて、ダイレクトに洋楽みたいなものに精通していたりとか、だから、そういうアレンジしてきたというか、そこだけでは消化できないような音に聴こえるんですけどね。

長岡:そうね。

篠原:そこ、成貢さんが語ったほうがいい気がするんですけどね。そこって出てこないですよ成貢さん以外、たぶん。

長岡:そうかね(笑)

篠原:出てこないと思いますけどね。どうして出てくるのかというのも大事だと思いますけど。どうしてそういうところが出てくるんだろう、みたいな。あのアレンジの中でそういうふうなことが自然ににじみ出てたんですか?

長岡:いや、出てたと思うんだよね、やっぱり。自分では気付かないけど、やっぱり出てると思うし。例えば、全然話違うけどさ、SMAPとかでね、あれはちょっとジャズ・フュージョンの香りとか、アメリカのソウルミュージックとか、ダンスミュージックみたいなものを取り入れたポップスをつくろうという感じだったんだけど。みんなやっぱり、メインのアレンジャーさんたちというのは、僕たちと同じ世代で、みんなやっぱり古き良きアメリカのポップミュージックとか、アレンジ、プロデュースというものを聴いてきて、そういうものを目指していると思うんだけど、絶対それにならないじゃん、やっぱり。それは日本人がやるから面白い、独特のサウンドができてくるという感じだと思うんだよね。だから、たぶんシティポップって後付になって一つのカテゴリになっているんだけど、達郎さんとか、坂本龍一さんとか、細野さんとか、あのへんの人たちって、もう自分たちなりに洋楽を解釈して、普通にかっこいいと思ってやってただけだと思うんだよね。日本人っぽいものをつくろうなんてたぶん考えてやってないと思うから。だから、自然にできてきたものなんだろうね。

篠原:まあそうなんでしょうね。東京にいると自然にそうなるのかしら。

長岡:それはあると思うよ。それはやっぱり松本隆さんがいつも言ってるけどさ、やっぱり東京という風。あの人は「風」という言葉をよく使うけど、やっぱり風が吹いてるんだと思う、街の風がね。やっぱりはっぴいえんどなんかに代表されるように、松本隆さんの詞がのってたから東京を感じるわけじゃん。あれがやっぱり大阪の人とか博多の人が詞を書いたら、ああはならなかったんだよね。松本さんなんかが、青山で生まれて、青山で育ってるからさ。そこでやっぱり街の中を歩く人の情景とかね。そういう、ビルが立ち並んでる中での日常の情景みたいなところに、言葉として東京が入ってくるから。やっぱり詞がすごく重要だというのは、シティポップの条件だろうね、一つ。やっぱり東京人にしか書けないんだよね、ああいうのは。僕らが書くともっと自然とか宇宙を感じるものとか、どこかに神を感じてしまうとかさ、なんかそういう大自然とか、そういうことになっちゃうんだよね、たぶん僕が書いたらね。こんな都会の詞なんて書けないもん。

篠原:書けないですね。そうとうそこの空気を吸ってないと。

長岡:そうなんですよ。だから、それはやっぱりよそから来た人じゃ駄目なんですよ、東京の人じゃないと。それがやっぱりシティポップの流れをつくってるんだと思うね、あのムードというか。ぽんと出てくる自然な言葉がね。東京人だな、みたいな。

篠原:すごくバーチャルの時代になって、リアルな東京を描くということがたぶん70年代、80年代あったと思うんですけど、もうわからなくなって、東京って何?みたいな。くらいのところまできている感覚があって。

長岡:それはあるよね。

篠原:リアルで東京を捉えても、たぶん70年代、80年代のものよりすごいものはできないと思うんですよ。

長岡:もうだって東京にしかないものって今ないからね。当時は東京に来ないとできないとか、東京にしかないものがあったけど、今は日本全国どこでもあるし、なんなら地方のほうが面白いものいっぱいある時代だからね、今は、東京よりも。

篠原:濃いものは地方のほうがありますね。

長岡:間違いないよね。

篠原:だから、そのクオリティでいうと、地方のほうが圧倒的に質量感があるというか、質感があって、東京そのものに今は質感が見えなくなってきていて。でも東京を再評価していこうというときにそのへんがやっぱりなんかしらの系譜なり、新しいアイデアなりが必要になってくるというか。と言う感じはやっぱしますね。逆にいうと、僕とか成貢さんの、地方から東京を見ている人のほうが東京見えているかもしれないですよ。

長岡:そうだと思うんだよね。

篠原:東京の人は東京の質感が見えてない気がしますもん。

長岡:東京の人って不思議なんだけど、あんまり自分のエリアから出ないんだよね。

篠原:あ、なんでですか?

長岡:そこで一つ完結してる世界が、各街にあるというのはあるんだけど。あんまり出ない。東京中遊びに、あっちに行ったりこっちに行ったりしないんだよね。例えば、元々細野さんとか、あのへんの人たちは、細野さんは池袋の人なんだよね。松本隆さんとか青山の人だし。高橋幸宏さんとか、ああいう人たちもみんなど真ん中の、青山とかあのへんだったりするんだけど、その人たちがみんなこぞってあそこに集まってたんだよね、立川。立川が一つミュージシャンの聖地みたいに当時なってたんだって。それでいわゆるサロンみたいになってて、立川に行けばみんな集まってるみたいな。だから、昔1920年代にエリック・サティとか、ヘミングウェイとかさ、ストラヴィンスキーとか、ああいう芸術家たちが集まって、サロンというのをつくっていたみたいに、当時は立川に行けばみんな集まって情報交換できるというところで、立川が一つポイントになっていたんだよね。そこで人脈を交換し合ったり、人脈が広がったり。そこで達郎さんなんかも、いろいろ誰々をつないでもらったりとか、そうやって東京のコミュニティができていった。

篠原:幻冬舎の編集者の社長とか、あのへんもそのへんですよね。坂本龍一、村上龍(笑)

長岡:本当にそうそう。そういう人脈の中にいろいろな東京人も入ってきて、一つのムーブメントをつくっていったという感じなんだよね。

篠原:そんな感じなんですよね。すごく狭い人間関係の中からあれだけのものの広がりが生まれたという感覚は、僕もそのへんの喫茶店というか、飲み屋というか、そういうサロンに集まってみんなぐじゃぐじゃやってて、いろいろ生まれたという、横のつながりができてって。それはもちろん海外も含めて、ニューヨークだったり。そんな感じになっていったと思うんですけど。今ないですもんね。

長岡:そういうのないですよ、今は。だって、今もっと細分化されて。年齢という層もあれば、もうカテゴリも多すぎてね。ものすごい分散化されちゃったからね、21世紀に入ってからね。

篠原:そうですね。だから、ある種分断しちゃいましたね。もう個々にバラバラになって、すごい小さなタコツボになったというか。まあ核家族もそうですけど。

長岡:そうなんだよね。だから70年代とかって、ジャンルは違っても、みんな横のコミュニティはすごかったから。だから、ああいう細野さんたちの、いわゆる、ザ・東京シティポップス系も、あと例えばCharさんとか、ああいうロック畑の人も、みんな同じ仲間たち。やってる音楽
は違うんだけど、もうみんな当たり前のように相手のことをよく知ってて、すげえやついるよな、みたいなところで。そんな中にカルメン・マキがいたりとか、ジャズ系の人もいたりとか。もうオールジャンルの人たちが一つの流れをつくってたんだよね。今それはたぶんないと思う。

篠原:ないですね。

長岡:よくそういういろいろなジャンルの人たちが集まって一つのイベントをやったりとか、そういうのはやってるんだけどさ、今時のミュージシャンたちがね。あれは全部レコード会社とかが企画したものであって。こいつとこいつとこいつを呼んで、一つのフェスをやろうとか、ああいうのは全部レコード会社とかプロダクションの企画ものだからね。文化として生活の中から出てきたものじゃないと思うんだよね。

篠原:そういう時代のものと今のつくるものって、当然変わりますよね。ああいう松任谷由実みたいな感じの、タコツボ化した音になっていきますよね。

長岡:どうしても。そうなんだよね。

篠原:そうとういろいろ呼吸していた、そういったもののほうが自然に身体の中に蓄積して、そういうものが統合されて出てくるものという、経験とか、そういったものが今は大きな情報源になっているというか、情報の一つの表現の一つの起爆剤になっているんでしょうけど。その中で、なんとか面白いものをつくるというか。

長岡:そんな流れですよね、あのへんのね。

篠原:せっかくこうやって音ができてきているので、そのへんの歴史も少し振り返りながら、東京のそういう文化なり、カルチャーなり、音楽だったり、ポップスなりというようなところで位置付くようなもの。まあ東京でなくてもいいのかもしれないけど、そういう位置付くようなものができたらいいな、くらいな感じはあってつくりました、的な。

長岡:なるほどね。

篠原:音の残像として、聞き終わったときに、ああ、東京だったと思いますもん。あの歌詞は僕が全部書いてるので、地方というか、まあ僕も独特ですから、ある意味。そのへんの独特なところから出ているものもあるので、なので、そういった純粋な生粋の東京育ちではないにしろ、東京ってなにもないよね、なんか探したいよねと言っている一人ではあるので。そういう人っていないですかね。そういう人が集まれたり、しゃべれたりするようなところ、うらやましいですね。

長岡:いわゆる文化人たちが集まるサロン的な場所とかネットワークというのがあったんだよね。そういう時代だったんだよ、あの頃はね。

篠原:まさに時代ですね。

長岡:そこに山本耀司が来たりとか、山本寛斎、そういうファッションデザイナーもいたし、吉本隆明とか、そういう哲学者が来たりとか。来て、みんなでわいわい意見交換したりとか、非常に文化度が高かった時代なんだよね。今はストリートの時代だからさ。ウェーイ、みたいな感じ(笑)。ミュージシャンもなかなか文化的な話ができるミュージシャン、少ないよね。本当少ないなと思う。あんまりいないもん、僕の周り。

篠原:それはやばいですね。僕とか成貢さんって最終ラインじゃないですか、もしかしたら。

長岡:本当そうだと思うんだよね。

篠原:もしかしたら貴重かもしれないって話じゃないですか。

長岡:本当、本当。年齢的にもたぶん最後のあれだと思うし。

篠原:僕からしたら、すごいテレビ世代だし、カルチャーというものがますます遠くなっていくという世代になっちゃうから。今の若い人たちはサブカルじゃないですか。まったく分断があって、あれはあれですごいと思いますけど、パワーがあると思いますけど。まあサブカルアニメまでの、この断崖というか、断層になっていくというか。そのへんのなんかなんですね、これ。「なんか」なんですよ。うまく言葉で言えないんですけど。成貢さんの音を聞いて、「なんか」なんですよね。そこらへんをちょっと言葉に頑張ってして、なんとか一つの流れをつくりたいなという。

長岡:一つには、やっぱり東京を中心とした音楽のプロとしての、まあ音楽業界。音楽業界ってまあ東京じゃん、はっきりいって。東京しかない。音楽業界の中に、やっぱり同じように、日本の音楽をつくっていこうというミュージシャンたちとか、プレーヤーとか、作曲家、アレンジャー、作詞家。そういう人たちとずっと20年、30年、40年一緒にやってきたので、自然とそういう香りが。東京というより、日本の音楽の業界、プロの業界の音というか。そういうものがもしかしたらそういうふうに聞こえるのかもしれないよね。

篠原:絶対そうです。独特ですもん。

長岡:東京を感じるのかもしれないよね。

篠原:海外にないですもん。絶対違いますもん。音圧から何から、ミックスの系譜から何から。音楽、ポップミュージックのつくり方というところでいうと、東京のつくり方というのは、確固としてありますよ。

長岡:そういうふうになっちゃうというのもあるしね。

篠原:なっちゃうというのもあるかもしれないですけどね。

長岡:今回の祐子ちゃんのアルバム「Oh,Baby Blue」も、面白い、最終的にパッケージングだと思いますよ。

篠原:そうですね。そんなようなところを整理しながら、どういうふうにやったらいいのかなと、ちょっと探り合う時間が欲しかったので、すいません、お忙しいところありがとうございました。

以下リンク、J-POPの秘宝 長岡成貢さんを掘り込んだ記事です。よろしければ読んでいただければと思います。↓

長岡成貢
(作曲家、編曲家、音楽プロデューサー)

1961年 三重県伊勢市生まれ、5歳より明和町で育つ。 EXILE、SMAP、中島美嘉、嵐、KIMKI KIDSなど多数のアーティストの楽曲提供、編曲、プロデュースのほか、大沢たかお、綾瀬はるか、主演のTBS日曜劇場『JIN-仁-』、佐藤純彌監督の映画『桜田門外の変』など、多数の映画、ドラマ、アニメ作品の音楽制作に携わってきた。 Seikou Nagaoka名義でソロアーティストとしても活動し、ジャザノヴァ、ジャイルズ・ピーターソン、DJスノウボーイ、ライナー・トゥ
ルービーなど多くの海外TOP DJ達に熱烈な支持を受け、ロンドン・クラブシーンでヒットした「Speed of Love」は90年代UKジャズ・ファンクのクラシックになった。

篠原雅弥(作詞家、プロデューサー)
音楽を中心とした、ジャンル横断的プロデューサー・作詞家 。「自分自身が最高の宝物」をコンセプトにオリジナルの世界観を共に創造していくプロデューススタイルが特徴。

1998年から、バイオリン奏者、手回しオルゴールシンガー、弾き語りシンガーソングライターなど、多種多様な女性アーティストのプロデュースに携わる。プロデュースしたイベントも多数。作詞家としても石田桃子(俳優石田純一の姉)、葦木啓夏(美咲)など の作品を多数手がける。

2020年より、作曲家 星園祐子と共に「レガシーソング®︎」という特別な楽曲提供サービスを開始。誰もが生まれながらに自分自身が最高の宝物であり、その人オリジナルのレガシー(存在遺産)を掘り起こして作詞する。また2022年、活動20周年を機に制作したアルバム「Oh, Baby Blue/星園祐子」では全曲作詞を担当した。

同じく2022年より、アニメ、音声合成音楽(ボカロ)に表現領域を広げ、星園祐子と組んだ合成音楽ユニット「Babyblue 」を始動。若年層や海外にもファン層を持つサブカルチャーに着目し、オリジナルコンテンツの世界発信を開始。2023年に自身で書き上げた小説「Blue Renessance」の主人公の兄妹「風花&隼人」をキャラクター化し、ボカロとMMDにより3Dバーチャルアーティストとしてデビューさせ、2024年7月フランスパリ ジャパンエキスポに出展し好評を博した。

人はみな生まれながらにアーティストであるという信念を持ち、現在は一般の方向けにも「創造性とオリジナリティー」を再生するプロデューセッションを展開中。


アルバムダイジェスト星園祐子『Oh, Baby Blue』〜(元チームSMAP)長岡成貢プロデュースによる世界レベルのシティポップサウンド〜

星園祐子「Oh, Baby Blue」

01.TOKYO ROMANTIC
02.タイムライン
03.アサガオ白書
04.どれくらいの思いなら
05.真夏のパンデミック
06.Dancing with Midnight Butterflies
07.Dress in a Kaleidoscope
08.Oh, Baby Blue
09.TOKYO ROMANTIC Part.2

価格 3,000円(税込)


「Oh, Baby Blue」
再リリースイベント

2022年アルバム完成直前に星園祐子が大動脈解離という大病で緊急手術、入院とアクシデントが起きながら今は2024年。再リリースイベントを開催します。

星園スタジオPresents
秋分スペシャルライブ


〇日時 2024年9月22日(日)秋分
〇19:00 開演(18:30 開場)
〇GRAPES KITASANDO
〇主催  星園スタジオ

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