#233 意味と理由になってくれませんか
こんばんは。
ご無沙汰しております。
いよいよ来週末にはお子との対面、何より妻との再会です。
僕はこの数ヶ月、今までの人生も大概でしたがどん底もどん底。精神的にも体力的にも地の底でした。
周りからは「お子さん帰ってきたらもっと大変」と叱咤を受けますが、多分それは大丈夫です。
自信があります。
今は、心の真ん中がすっぽり抜けているんでしょうね。
もとい、体の中央というんでしょうか。心があるならば、据え置かれていそうなそこです。
そこが空白でした。
この状態を例えるなら、電池がとうに切れているのに気づかないまま、上層部からの命令を受け続けてなんでか知らんが動いてるロボット・・という、
要は「無理な状態」「有り得ない状態」に在ったと感じます。
僕は恋愛結婚なので、すっかり妻ありきの生活、性格、人間になっています。
生きていれば節々につきまとう「なぜ」の辻褄を、すべからく紐づけてくれるのが妻という存在なのです。(なぜ生きる〜、なぜ働く〜等)
頭(さっきでいう上層部)がそれを度外視して司令を飛ばしてくるも、心(体のまんなか)はそれを拒絶。というか、もはや足の部品をロストしたまま、引き擦って進んでいたに違いありません。
あんまり自分を鬱だとかネガティブだとか言及してしまうのは嫌だったのですが、もうこの期間はそうであって欲しいとすら願っていました。
帰れば妻がいる、それが本当に毎日在った日々を思っては、脳みそから来る「今だけだ」「みんなおなじ」「贅沢な悩みだ」といったリアリストな返答に突き刺されていました。
そのポジティブでもネガティブでもないリアリスト(ズム)こそが、僕自身の本質なのですが、それがいざパートナーになると嫌なものでした。
僕のパートナーは妻が良いです。
そんな奇跡のような人に、さらに仲間が加わって帰ってくるそうです。
きっと想像を絶するエネルギーがもらえるに違いない。
考えても考えても、人間の理屈なんでのは勝手なものですから。弱肉強食、衣食住。得てして何かの犠牲の上に成り立つものばかり。
上ばかり見上げて、足元の屍の数を忘れてみせようとする。ポジティブなんてそんなもんじゃないですか。
そういう禅問答のような問いかけには「意味」や「理由」をこじつけてしまうのが適切。決して言い訳なんかとは違う、迷うことすらない直線的な希望。夢。
お子や妻は、僕にとってまさにそれです。
無駄な問答を終わらせてくれ、近くにある大切や感動を感じることを赦してくれる。言うなれば神様とか、そういうものすら超越した存在です。
神様と違うのは、向こうもまた僕をそういう存在だと呼んでくれる可能性がほの見える点。これは非常に重要です。
お子の動画を眺めているだけの今ですら、体中の血液がみなぎるのを感じる(心臓が重くなる)のに、それがなんと目の前に・・。しかも毎日!?考えられません。
なんてご褒美なんでしょうか。
だから、多分大丈夫です。
今日はこんなところで。
妻の近況については前回、妻自身が綴ってくれた記事をぜひみていただいきたいです。→#232 出産の思い出(妻)
僕は想像力がないので、頭がいくらこの時期(妻の里帰り期)の重要性を説いても、正直、孤独ばかりを感じていました。
依存していたツイッターもついに見るのをやめました。
ついつい暗いことや、現状の辛さを吐きたくはなるものの、無意識に誰かの視線を感じ、それに合わせ発言していることに気がついたからです。
反射、呼応、人間社会にいる以上、大事な反応だと思います。でも、そこに「僕が元気になるような見返りは見込めないのだ」と確信してしまいました。
バンドマンをやっていた頃は「誰かを元気にするようでありたい」と思って、それを実際に行動し、形として提示できました。
今の僕は卓上の空論を並べるだけの老害見習い。行動するような時間も作れなければ、何をしても半端。
何とも見苦しく思いました。自らの無力さ、むなしさ、空白感を痛感しました。世間にとっても、居ても居なくても同じなのです。
何より、僕自身がそんなことはもはやどうでもいいはずなのに、その競争に参加しているような錯覚を覚えてしまっていることが問題でした。もう引退している、活動のかの字もありません。
何にもならないことなら、まだ寝ているだけ、ぼーっとしているだけの方が賢明なのです。
しかもこれらはきっかけを作って仕舞えば、ある程度の成果を出すまでは失敗であり続ける。それは実に不利益だと。
口を開けるのは簡単ですが、それをゴールまで導くのは半身ではとても出来ません。
具体的には、音楽的表現、映像制作、イラストレーションなどを積極的に起こしていたんです。どれも半端でした。それはそうなんです。そうにしかならない。
個人的には面白いものが撮れたなーと思っていたOGとのユニット「ホイミズ」での→スタジオ風景。(よかったら見てみて欲しいです・・!)
即興演奏やカバーなどをふんわりやってみたのですが、やはり発信力を突き詰められていない2人の告知は脆弱で、あまり楽しんではもらえませんでした。
もちろん、是正点はいくらでもあるのですが、連続して行える程度の編集やクオリティに敢えて制限しています。でもそれもやっぱり言い訳。松岡修造さんに怒られます。
とはいえ、僕はこのホイミズというユニットに無限の可能性を感じています。
「いつか目にモノ見せてやるぞ!」という思いは胸に秘めて虎視眈々。今は、今度こそ耐えて、先ずはお子と妻との平穏なる生活を守りたいと思っています。
それでは、本日もお疲れ様でした。