#64

ちょっと愚痴です。

怒られたのはいいにせよ、心を込めて、頭を捻って出した言葉が「余計なこと」だったときは、

流石に全否定をされた気持ちになります。

今まで生きてきた人生から見出した感性というか、情。

場所によっては受け入れてもらえたであろう回答にペケをつけられる。

これが「社会」の洗礼なんですかね。

昨日は頭がブレブレのまま帰ったのもあり、ついつい妻にも敬語を話してしまうことがあって、

我ながら引きました。

コントロールが出来ていない怖さ。痴呆とかそういうものの片鱗すら感じます。

「正しい」と感じて発したものが大きく間違っていた。

これってのはだいぶきますね。

いよいよ不適合を感じます。






とはいえ、退路はもうないので。

いま与えられた役割と環境を演じ切るほかありません。

または、死に物狂いで事業を生み出すとか。

全体で怒られる機会が多いので、どこまで自分のことだと思って構えたらいいのかもわかりませんが、

「関係ない」だなんて思っていればまた後ろから刺されるんでしょうから気が抜けません。

個々が請け負うべき失敗を全体で持つってのは如何にも組織らしくて、これが正しいのでしょうけどね。

一蓮托生。

もっといい言葉だと思ってたんですけどね。

これは自分でメンバーを選んだときにだけだったようです。

入ってみても印象は変わりませんね。肌に合わない。

いや、僕が決定的にポンコツなんでしょうね。

今日はこんなところで。

妻のお腹を締め付けるにっくきスキニーに限界を感じてきたため、

昨日マタニティショーツとマタニティズボンを買ってきてました。

これでお子も少し快適なのでは。

親父も頑張るね。

それでは、本日もよろしくお願いします。

励みになります。