#65

今日はお休みです。

昨晩、大きな火球が見られたと話題になってるみたいですね。

僕も中学ぐらいのときに親父に声をかけられて初めて「獅子座流星群」なんて言葉を聞いた頃に、

ベランダで朝の4時まで粘った記憶があります。

それ以来まともに粘ったことはありませんが、本当にストリートファイター2というゲームでいうところの「波動拳」、

またはドラゴンボールでいうところの「気功波」のような光があちこちで見えたのを覚えてます。

夜空をまえにして「プラネタリウム」なんて比喩を使うのは滑稽ですが、

ボウル状のパノラマ、全方位囲まれた自然のアミューズメントに、心が躍ったのを覚えています。

冬で、毛布に包まって小一時間。

当時、母と比べて、共に過ごす時間が極端に少なかった親父との数少ない思い出のような気もします。

これは今の自分の身にもつまされることかも知れませんね。

そういう機会が求められるものかはわかりませんが、あの経験は少なくとも親父の意向なしにはあり得なかった。

アイデアには気付ける人でありたいですね。






ところで、

今となっちゃ照明技術で空を光らせることなんて簡単なのに、

それが奇跡的で偶発的なことや、真実であることに価値を見出すのは不思議なことですよね。

それとは逆に、フィクションで以て盛り上がるカルチャー(映画・漫画・文学作品etc..)もすくすくと育っていて。

人間というのは兎に角まわりくどくて理屈っぽいのだ、ということがよくわかります。

夢のない。夢がある。

これだって果たして議論の余地があるのかといえば不明で、

子ども騙しに扱っているうちに感化されたもののようにも思います。

し、処世術といえばそうです。夢はあった方が暮らし易い。

恋愛などを含む人間関係などにおいても、既成概念のように「自然な出会い」を信用してしまったりする。

これももはや前時代的なのかも知れない。

「出会い系」なんて言葉も死語のように思うし、そもそもこないだ「死語」という言葉が死語だ、という話もTVで見ました。

"流行や既成概念の肯定こそがナンセンス"、そんなことを言われているような気さえします。

大事なのは目の前のことを一つ一つ丁寧に見定めて、最適解を導き出すこと。

漠然とした、根拠なき行動心理に引っ張られて道を誤ることを、

漫然として行ってしまうのが人間。馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいですね。

より綺麗"らしい"ものを選ぶものの、その顛末は醜いことになったり、ということが往々にしてある。

これはちょっと間抜けです。

でもそれが愛らしかったりもしてね。ふしぎな生き物ですよねほんと。

今日はこの辺で。

妻が14周に入り、いよいよ手術の準備に入ります。

今日は仕事の前にMRIを撮ってくるとのこと。

調べる場所によっては「妊娠中はしない方が良い」などと書いてあったりするのだけど、

本当に大丈夫なのか..。

それでは、本日もお疲れ様です。

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もりそ、ときどき妻
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