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良いものとはなんだろう?

小さい頃は、大事なものはずっと大事なままなんだと思っていた。おばあちゃんがくれた、黄緑っぽい石の亀。図工で作ったオルゴール。いつの間にか実家のブラックホールに消えていったあれらのもの。

働き始めてからは、良い物を大事に長く使うっていうのが、「賢い消費者」としてあるべきだろうと思っていた。そして、その良いものが買えないレベルの経済力の自分を残念に思ってた。ちょっと高いなんかいい物みたいなの。

が、今はあんまりそう思わない。

良い物っていったいなんだろう?

プラスチック包装まみれの買い物は好きじゃないけど。良いものがわからない。

十分に立派に大人だけど、デパートの1階にあるようなブランドの路面店に入ったことがない。当然、買ったこともない。というのは、恥ずかしいことだろうか?なんか馬鹿にされそうで、恥ずかしく言い辛いのだけど。現実これ。

手袋をしたブランドの制服を着た人たちのお店。一流の接客!なんというか、欲しいなと思わずに歳をとってしまったのだ。いや、くれるならもらうけど。自分で買うほど欲しくない、そういうもの。ブランドの精神をリスペクトしてって言うほど興味がないし、生活に合わない。

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「ブランドが似合うのが真の大人だ!」とか、雑誌見て思ってた時期もあったけど。「この仕事にぴったりのカバンが20万円!?おいおい給料いくらだよ!」なる自分が今でもいる。高級ニットも靴も同じ。その価値はあるんだろうと思う。ただ、自分に合わないだけ。

高いものはいい物、いい物だから長く使えるが全てのルールではないこともおしゃれな友人から教えてもらった。

「高級だけど、お金のある人にとっては、あのブランドは遊びで使うライン。だから、1シーズン使ったら終わり。故にものとしては、作りが雑なんだよ」数十万円のカバンが1シーズンで終わりとか。おーい世界が違う名しか思えない。

あと、それが必要な場所に縁がないというのも大きい。

イタリアに住んでると、結構目に見える階級みたいなのある。「ああ…ここは見た目で判断される場所だったな。ブランドのカバンが制服な人たちの場所だ。ショッピングバックで来た間抜けな俺よ、せめてバレーシューズを履いていてくれよ…」と思って、小さくなった経験は何度かある。

でも、まぁ年に1回程度だし。大体、皮のカバンなんてそれ自体が重すぎて無理。

日本で会う人は、みんなブランドの大きい財布好きだなと思うけど。まぁ財布くらべたりしないし。そのうえ、今はできるだけ手ぶらで生活したいと思っていて。携帯と財布だけで出かけている。だから大きい財布は困る。

じゃあ、サスティナブルな何かを使おう、身につけようと思うと、なかなかちょうどいいものがない。いや、私が知らないだけだと思いますが。

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で、どうなるかというと、何も買わない。そして本当に困ったら家からでない。やくそく?何それ?

体型とか顔の変化で数年前の服が似合わなくなるという経験、30代以降ならあると思う。体重は変わってなくても、ユニクロのサイズを1つあげた方がいいなってなった時。どんなに好きな服でもなんか似合ってないなって時があった。

身に付けるものだけじゃない。

鍋だ。鍋が重い。ストウブ・ル・クルーゼ。重い。美味しくできるのはわかった。でも重い。ものすごく重い。

家具だって家の大きさや生活スタイルが変われば、使いにくい。一生ものだからって、使いにくいものを使い続けるのも意味がない。

結局のところ、ずっと使えるものなんて存在しないのかもしれない。体とか?

でも、こういうことを書くと、「結局使ってないから、そのXXの良さがわからないんですよ。伝統があるものはー」となりそうな、散々 もの情報を詰め込んできた自分が意地悪くいう。

まぁそれを使えるだけの経済力をもっていないことですからねぇ。とか。なぞの挫折感を1人で味わうのはもう飽きた。やめてくれ、私。

そんなわけで、明日は一生使う大事な体のために美味しいバターでも買いたいとおもいます。バターは溶けるので0カロリー。

おわり

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