返せないものを受け取っている
叔母夫婦が鎌倉を案内してくれた。
8時半に鎌倉駅集合。大仏→長谷寺→鶴見八幡宮を駆け足で見て11時半には京都へ向けての新幹線に飛び乗った。
叔母は母の姉で。子どものころ、夏休みといえば叔母がいとこ達(年が近い)を連れてやってくるものだった。西日が差す二階で昼寝をしたり。公園で花火をしたり。昼寝からふっと目が覚めた時の黄土色っぽい感じ。黄土色は実家の2回のカーテンの色のせいなんだけど。私の幸せな子供時代の一部に叔母は確実にいる。
友達への鎌倉案内は叔父に任せ、叔母と近況報告をしながら参道を歩いた。「東京に来ると聞いていたから、連絡を待っていたけど。連絡が来なかったから昨日歩いたのよー」(健康のために週3回歩いてる)とか、いとこ達の近況とか。「叔父ちゃん孫ができて丸くなったねー」とか。そんな他愛ない話をしながら二人で歩いた。
叔母は私たちに拝観料を払わせず、「お昼はどこで食べようか?」「お茶でも飲まない?」とそればかり心配していた。残念ながら、お昼を食べる時間もお茶を飲む時間もないまま別れる時間となってしまったんだけど。
手をつないで歩くわけでもないし。「いつもありがとう」とかそんな言葉を掛け合うわけでもない。ただの雑談・近況報告をしながら、初老の叔母と中年の私が汗をかきながらタラタラと歩いているだけ。
なのに、急に気づいてしまった。「今、この人から何かとても温かいものを受け取っている」と。無償の愛とか。そういう感じ。叔母から光がさしてたわけでは全くないけど。(それが見えていたら、暑すぎて軽い熱射病だったのかもしれない)今、隣を歩いているこの人から自分が大事に思われていると気づいた時の幸せ感。半端ない。
で、それと同時に。この温かい想いは私から叔母に返すものではなく、未来に返すものなんだなーとも考えていた。性格が丸くなった叔父が、修学旅行の小学生に話しかけているのを見ていたから、そんな考えになったのかもしれない。
自分の子どもとか従姉妹の子どもとか、全然知らないその辺の子どもとか、未来に返していく愛情を私も持っているのかなー?持っていたいなー。とぼんやり思った。
多分、とてもきれいな蓮の花を見たからこんなことを考えてしまったのだろう。オチはありません。
おわり