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ツナマヨおにぎりとマナー講師
ここ数年の漫才で一番好きだったツッコミは、ニューヨーク屋敷の「逃走中で自首しただけで炎上する世の中だぞ」だった。
ニューヨークらしい視点で、おかしな状況になっている日本へのツッコミには、面白さと同時にモヤモヤしていた胸がすっとするような気持ち良さがあった。
このツッコミをきっかけに、ネットの世界は何か変わるかもしれないと思えるほどだった。
けれど、ネットの世界はなかなか変わらない。
すでに風化した話題になるが、ツナマヨを食べなかったシェフが叩かれたことがあった。厳しい評価を下すことがエンタメの一部を担うバラエティ番組で、シェフは非難されるほどのことをしただろうか。
ツナマヨおにぎりをシェフが食べずに評価を下しただけのことで、シェフの言動や容姿を揶揄するやり方は、とてもまともだとは思えなかった。
それから、マナー講師による指導でテレビスタッフが泣いた、というニュースで講師が叩かれたこともあった。
マナー講師の態度や言葉遣いが悪かったのは確かだが、それでも炎上するほど悪だったわけではない。
双方に共通するのは、コンビニ店の社員やテレビスタッフという素人が泣いたという点だ。そのシーンを見て感じた不快さを解消するために非難の呟きをしたのだと思う。
同時に、彼らを非難することに「正しさ」のようなものがあった。正しくないことを非難することは正しいことだが、それが何万もの呟きによって制裁されることは、正しいことではない。
周りが石を投げているから自分も投げるのではなく、必要以上の攻撃は避ける。
石を投げたくなった時に、一度落ち着いて想像してみたい。
マナー講師やシェフが友達だったらどうだろう。彼らを手厳しく非難するだろうか。
私なら友達の肩を叩いてこう声をかけたい。「見てて嫌な気分になったよ」「さすがに言い過ぎだったかもね」「気持ちはわからなくはないけど」「でもこれも仕事だしな」「番組の演出だったの?」
友達の過ちを注意しつつ、でもほどほどに寄り添うだろう。友達にはなるべく楽しく生きていてほしいから。
彼が、彼女が友達だったら、本当にその石を投げるのか。匿名の私たちにも発言の責任はあることを忘れずにいたい。