Noahの出産
緊急帝王切開に
Noahは2015年3月22日に生まれた。
当時は調布市に住んでいて、私の持病もあり私のかかりつけだった新宿駅近くの総合病院でNoahを出産すると決めていた。出産前の検査は毎回順調で、予定日が4月1日だったので『ぎりぎり早生まれか~…なんとか出産日を遅くする手はないだろうか』なんて思いながら「出産日 遅らせる方法」なんてネットで検索したりする日々だった。
3月21日の深夜23時頃だったか、予定日より随分早かったけど突然陣痛がやってきた。病院に電話をすると、『もう少し陣痛の間隔が短くなってきたらこっちに来てください』と予想通りの対応。言われた通り陣痛の間隔が短くなるのを待ってタクシーを呼んだ。当時の家から病院までは電車で約30分の距離だったので、前もって陣痛タクシーサイトに登録しておいたのが役に立った。夫のアレックスはNoahが産まれるのを心待ちにしていて、ブラジルのお母さんに『陣痛が来た!!赤ちゃんが生まれるよ~』なんて早速Skypeで報告していた。そして立会出産に備え、自前のNikonの一眼レフと三脚、Goproを準備していた。
病院ではお産を待つためのお部屋、LDR室に通された。LDR室でアレックスに背中をさすってもらったりしながら波のように襲ってくる痛みに耐えていた。あの痛みはなんと表現すればいいのか。背骨を引き裂かれるような痛みというか、腰の骨が折れそうな痛みというか、この痛みがどれだけ長く続くのかと思うと気が遠くなるものだった。この痛みがどれほど続いただろうか、あまり覚えていないのだけど確か3時間くらいだったように思う。赤ちゃんの心拍を見に来たお医者様が、『へその緒が首に巻き付いてきているかもしれない。赤ちゃんが苦しそうなので帝王切開で出してあげた方がいいと思いますがどうしますか?』と確認してきた。赤ちゃんが危険なのであればそれはもうYesの一択でしょう!と思いつつ『お願いします』と答えた(この痛みから逃れられるのであれば今すぐやってくれ~!!というのが本音だった)。残念ながらアレックスの立会出産の夢はこれで立たれてしまった。この奇跡の瞬間を一緒に経験できなくてごめんねとちょっと悲しくもあった。
その後確か麻酔医の先生が来るのを待つとかなんとかで(痛すぎて記憶が曖昧…)手術の準備が整うまで暫く待ったと思う。背中を丸めて打ってもらった麻酔が背骨をぎゅ~っと絞られるような激痛で。わずか数秒だったけど、この痛みに耐えたおかげでその後Noahを取り上げてもらうまでは嘘のようにあっという間だった。こんなにすぐ出てくるんだ~と感心。ささっと赤ちゃんをきれいにしてくれて、多分『元気な男の子ですよ~』なんて言いながら顔の近くまで持ってきてくれたんだと思うのだが大変残念なことに覚えていない、笑。Noahは2312gと小さかった。産まれてすぐにいろいろと管をつけれられてスペシャルケアユニットに入った(らしい。手術直後の私はもちろん見ていない)。私が病室に戻って暫くして、『赤ちゃんは大丈夫だけど、ちょっと検査が必要なので設備が整った日赤病院に救急車で運びます』と告げられた。私は術後で足にはエアポンプ、口には酸素マスク、腕には点滴で身動きが取れないし、正直なんで赤ちゃんが別の病院に行かなければならないのか、私は一緒に行けないのか、頭が混乱してあまり記憶に残っていない。でもNoahは私の見えないところで一人ぼっちで別の病院に運ばれていった。アレックスは日本語が分からないから、一体何が起こったのか、動転して心配していた。Noahが運ばれた病院は広尾にあって、渋谷駅からバスに乗り換えて行かなきゃいけないちょっとアクセスの悪い場所だったけど、アレックスはそれから毎日、文句の一つも言わず私の入院している代々木の病院とNoahが入院している広尾の病院を行ったり来たりしてNoahの様子を話してくれたのでNoahのこともそんなに心配せずに済んだ。本当にアレックスには感謝しかない。いつも本当に優しいアレックス、ありがとう。