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2.5次元から距離を取った話

昨今のオタク活動してると、大体どこかで2.5次元と遭遇します。
私もオタクの端くれとして、2.5次元もたしなんでいました。(推しカプとか関係なく)
でも、今は基本的に距離を取っていて、ほぼ追いかけてません。なんでだっけ、と思い返したのでその辺の心情の記録。


注意

  • 特定のジャンルの話は出てきません

  • 何かを非難する意図はありません

  • 大きな出来事があったわけでもないです

  • 作品がわかってもノーコメントでお願いします




2.5次元が好きだった

友達の布教で映像作品を見たのがきっかけで、2.5次元という存在を知りました。漫画原作のミュージカルで、漫画を知ってたからこそ「コスプレして歌うのか……」とちょっと懐疑的でしたが、いざ見たらそんな考えは消し飛びました。

漫画をこう解釈するんだ!?
キャラクターそのままってわけじゃないのに、かっこいいな!?!?
全力のエンターテインメントを浴びている……!

って思って素直に面白かった。機会があれば実際に見てみたかったし、それができなくても友達に借りたりして、2.5次元楽しいな~!ってなってた。

ただ、チケット取るとか観劇自体ハードルがわりと高かったので、基本的に映像作品で満足してました。

でも、いろいろあって私の人生に大きな影響を与えたジャンルがあるんですが、その2.5次元舞台をどうしても見たい!と思って。
どうにかチケットを入手して、それはもう緊張しながら初めて2.5次元の舞台を観劇しました。

始まる前から、ずっと心配だったんですよ。
大好きな話で大好きなキャラクターだからこそ、変な風に解釈されてたらどうしようって。いざ舞台を見て幻滅したらどうしようって。

だけど、いざ幕が開いたらそんな心配は要らなかった。
舞台の上では、私の大好きなキャラクターが間違いなく生きていた。それが嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいだった。

だって、私の好きなキャラクターはどうしたって現実世界には存在しない。同じ場所には生きてくれない。そのはずだったのに。
目の前に、同じ空間に、確かに生きていてくれた。呼吸をして、しなやかな筋肉を持って、声を発して、ただそこに生きていてくれた。
それがどれだけ嬉しかったか。
だってずっと、手もつなげない人だった。同じ世界には生きてくれない人だった。だけど今、何を隔てることもなく、同じ場所に私と同じ世界に生きている。
その事実がたまらなくて、嬉しくて、泣きたくなったし実際ちょっと泣いた。

まあ、実際に手をつなげるわけでもないし、現実的な触れ合いが発生するわけじゃないんですけど。
でも、幸い通路側だったから真横を通ってくれて、走り抜ける風を感じたり、揺れる髪の毛(ウィッグだけど)や洋服のひらひらを感じたりとか、「ここに生きてる」感を味わえるのがめちゃくちゃ嬉しくて。
脳内妄想だけは得意なので、どんな風に笑うかとかどんな風に答えてくれるかとかはいくらでも考えられたけど。実際の動きを感じることは難しいから、それを体験できたことで胸がいっぱいになったし、舞台を見に来てよかったと心から思った。

この舞台をきっかけにして、他の舞台にも行ったり配信を見たりするようになりました。
タイミングよく、2.5次元舞台をよく見るって友達がいたのでチケット協力も兼ねていろいろ申し込んだりとか。おかげで、一時期は結構いろんな舞台見られたな~。

その内、友達が特定の俳優さん推しになって、マイナーな舞台も見に行くようになって私とはあまり趣味が合わなくなったので、一緒に行くことはなくなったけど。
同時に私も、好きな2.5次元の舞台が出てきて、主にそのシリーズを追いかけるようになりました。



最初の違和感

新作の発表があれば喜んで、チケット取るのに奔走して、グッズもいろいろ買って、役者さんやファンの感想にいいねをして、当日は緊張しつつ劇場へ行って、席に着けばそこからは幸せな時間の始まりです。

舞台の上で、きらきら輝く人たちを見て、物語に心を動かされて、心からの拍手で感謝を伝える。
幕が下りる瞬間まで、全身の全てで物語を感じ取れるあの場所が、あの空間が大好きだったと思います。

今でも思い出すと「好きだな」って思うし、あの時感じたことは一つも色褪せてないと思うんだけど、少しずつ少しずつ、変わっていった。


一応Twitterアカウントは持っていて、情報収集に重宝してます。公式からの最新情報わかるしね。
舞台関係の情報もまずはTwitterから知るし、公式情報発表→みんなで騒ぐ、みたいな流れも好きでした。

だけど、ある日新作の発表があった時、何かすごく「追いかけるのしんどい」ってなってしまった。
怒涛の情報が流れてきて、新作こういう感じ、スケジュールはこれ、場所どこ?チケット最速先行いつだろ?ビジュアルいいな!とかの感情が一気に押し寄せた時、「情報が多すぎる」って思っちゃって。
その時のコンディションとかもあったんだろうけど、「あ、無理だ」ってなっちゃったんですよね。「キャパシティーを超える」って。

もともと、私は何事も自分のペースで楽しむタイプです。みんなで一緒に何かをする、というより自分が楽しいと思うことを一人で突き詰めるタイプ。
外部からの供給が極端に少なくても、自分の脳内妄想でいくらでも自給自足できるから、それだけでまかなえるし。

そう考えると、もともと2.5次元界隈は供給過多な傾向がある。
これ自体は仕方ないというか、戦略的には妥当だと思ってます。そんなにのんびり展開してたらあっという間に忘れられるし(原作あるから多少のアドバンテージがあるとしても)、情報を小出しにする意味があんまりない。たくさん情報出してお客さんを引き寄せるのは理解できる。

あと、たぶん純粋に現実って情報過多なんですよ。(現実の情報過多とは)
物語の世界は、描かれていない部分は基本的に空白だけど(その空白をオタクは妄想で埋める)、現実はそんなわけがない。
表に出てないだけで存在はしてて、Twitterなんて特に空白部分を否応なしに埋めていく。集合知というか、放っておいても勝手に集まってくるから、舞台関係をフォローしてればあっという間に莫大な情報に直面するんですよね。

何か、それがすごくしんどいな……と思って。
もとの性質的に、一つ一つを咀嚼して噛みしめることが得意だから、膨大な情報を前にすると「待って待って溺れる!!」ってなっちゃうんですよね。

これは本当に誰も悪くないし、Twitterから離れてろって感じだし、実際そうしてました。
だけど、この辺りから「舞台追いかけるのしんどいな」という気持ちが芽生える。



あれ?と思うことが増える

主に役者に対してです。
これは役者が悪いわけではなく、たぶん私がすごく、SNSとの相性が悪いというか、Twitterで情報収集するの止めろって話だと思う……。

役者自体には、「キャラクターを演じてくれてありがとうございます」の精神です。
その人がいなければ舞台上にキャラクターは存在しないし、キャラクターとしてこの世に生きてくれたことに対しては、いくら感謝しても足りないと思ってます。本当にありがとうございます。

私自身は、役者を推すという感覚はありませんが、「キャラクターを演じてくれた」という事実があるので好感度は高いです。
できれば今後のキャリア的にも良い展望が開けて、望んだ通りにステップアップしてほしいと思うし、健やかにキャリアを積んでほしい。
ただ、役者個人に対する興味はどうにも薄いので、他の出演作は一切見ないです。だから、あくまで私にとって役者は「キャラクターを演じていること」に価値があって、それ以外はあんまり……というか興味が持てません。

でもまあ、2.5次元関係の情報って、役者関係の話はいっぱい流れてくるんですよね。公式的にもインタビューのお知らせあったりするし、特典映像でバクステもあったりするし。

別にそれはいいというか、それはそれで楽しく見られます。こんな人が演じてるんだな~と思うし、そこにいるのはあくまで役者であってキャラクターじゃないし。
キャラクターを演じた人はこんな人なんだな~と思うのは、それはそれで面白いので、別に嫌だってこともないです。

ただ、ずっと同じシリーズとかを追いかけていくとですね……役者本人に対する認知度が上がってしまうんですよ……。これが意外と自分的にもやっとしてしまうことにつながる。

役者は悪くない。わかってる。
だけど、単純に情報が増えると認識できるようになっちゃうから、他の舞台化作品で顔を見ても役者がわかってしまう。
私基本的に人の顔把握するの得意じゃないから、キャラクターの格好してないと大体誰かわからないんですが、あまりにもしょっちゅう顔を見てればさすがにわかる。
結果として、「キャラクターを演じている人」として見ていたのを「役者本人」として認識しちゃって、それに対して「あれ?」って思ってしまった。

役者何も悪くなくない!?本当にそう。
これはTwitterの情報とかでもそうなんだけど、私は「役者本人」であることを認識するのがすごく苦手なんだと思います。

この辺は、恐らく
①私が好きなのはキャラクターであって役者ではない
②現実の人間を消費する感覚がしてしまう
あたりかなと思います。まあ、①が強いと思うし、②に至ってはそれを含めて役者として活動してるんだから(限度はあるけど)、私がとやかく言うことではないだろと思うけど。
どうしても、自分の中でもやもやが募ってしまった。

あと、これは公式というか作品に対してですが、最初は「キャラクターが生きている」ことに対する感動で、大体なんでもオッケーだったけど段々注文がうるさくなってしまうという……。

主に脚本に対して「そこは違くない!?」とか「もっとこうしてほしかった」という気持ちが募るようになってしまった。
「とんでもない駄作だ!」とか「原作を貶めた!」とか、そういうことでは全然ないんですが、「こういう話が見たかったんだけどな」とか「ここはこうじゃない?」みたいなことを思う機会が増えました。

これは最初のフィーバー状態が薄れたからなのか、脚本の解釈が合わなかったのか、実際脚本に難があるかららなのかわからないんですが。
実際の作品に対して「最高だった!」「大好き!」と100パーセントの気持ちで言えなくなったな~って思ってました。
まあ、この辺のもやもやは表立って言わないし、誰にも見せない二次創作として自分で昇華してましたけど。ないのなら自分で作るんだよ。

みたいな感じで、ちょっとずつ「あれ?」って要素が増えてはいました。
でも、100パーセント完璧な舞台はないし、楽しいことの方が多いから離れるつもりは特になかった。



恐らく決定的だったこと

明確に意識したわけじゃなかったけど、思い返せばあれがわりと決定的だったな……みたいなことがありました。
Twitterがらみだから、本当私はTwitter止めた方がいいしそれか役者全員ブロックした方がいいのでは?

舞台にはアドリブのシーンがあって日替わり要素として人気だし、舞台レポとかでも結構回ってくる。
それはそれで、生の舞台っぽくて面白いかな~とは思ってました。

でも、ある日の舞台で行われたアドリブが、前日の役者同士のTwitterでのやり取りをもとにしてて、あの瞬間「は!?!?」って思いました。
これは、何事!?とかじゃなくて、明確な拒否感の「は!?!?」です。

Twitterでのやり取りは!!!キャラクターじゃないでしょ!?!?

私は今まで、役者に対して特に何かを思うことはなかったんですが、この時はさすがに役者に対してマイナス感情抱きました。なんで???Twitterでのやり取りを???舞台に持ち込んだ????

ここで明確に感じたんですが、私は「私が好きなのはキャラクターであって役者ではない」という気持ちがとても強い。
キャラクターを演じてくれたことは感謝してるし、キャラクターを演じてくれたのがあなたでよかったと言わせてもらえたら嬉しい。
でも、私はキャラクターが好きだからあなたに好意的になっただけで、あなたを好きなわけじゃないんだよ!!!!と心から思いました。

唯一の救いは、このアドリブが私の推しキャラクターを演じる役者じゃなかったことだけど、その場にはいたから巻き込まれてはいる……。
あと、Twitterのやり取りは偶然見てたから知ってるけど、見てない人間がいたら意味のわからないアドリブになるし、それもちょっとどうか思う。

この一件で当然その役者への印象はマイナスになったわけですが、何がそんなに嫌かというと、現実を舞台に持ち込まれたことへの忌避感なんですよね。

インタビューとかバクステはいいんですよ。そこにいるのは役者であると、私だって理解してるから。
でも、舞台の上は話が違う。舞台で生きてる時は、役者じゃなくてキャラクターでいてほしい。Twitterの話持ち込むならキャラクターとしてTwitterやってからにしてくれ。

アドリブだからオッケーなのかな。
まあ、確かにアドリブだと役者本人の顔がのぞきやすいよね……と思ったし、なるほどだから私がアドリブシーンそんなに好きじゃないのかと納得した。役者の顔舞台では一切見たくないんだよ。
キャラクターらしいアドリブを見せてくれるならいいのにな~。そういうものじゃないってことなのかな。

この辺は芝居の中でどういう扱いなのかわからないし、この役者もそれ以外のところではちゃんと演じてくれてるので、別にそこまで役者が悪いとは思ってないです。
ただ、少なくともこの状況に憤ってる人はあまりいなくて、むしろ賞賛の声が目立つくらいの感じだったので「ええ……」って思っちゃって。

あと、公式もどっちかっていうと、役者のキャラクター解釈を尊重してる節がちょこちょこあって、それも何か嫌になってきてしまった。
役者とファンはまったく同じ立場ではないんだけど、それでも公式から与えられるものを解釈する、という意味では少なくとも同じだったのに、だんだんキャラクターが役者の色に染まっていくようで嫌だったんですよ。
キャラクターはキャラクターであって、役者のものではない。

そういう感情を、何となく自覚し始めたのがこの一件なので、たぶんこの辺が決定的だよなぁと思います。




きっとここが潮時だなと思う

その後も、すぐに「もう舞台はいいか」と思ったわけではないんですよね。舞台自体も配信も楽しみにしてたし、実際楽しかったし。

だけど、その後新作発表でビジュアルを見た時、キャラクターじゃなくて役者として認識してしまったんですよ。
この瞬間に、「あ、これもうだめだ」と思いました。たぶん、私舞台見てもキャラクターじゃなくて役者だと思ってしまう。どこかの瞬間でふと「これはキャラクターじゃないな」って思ってしまう。
そしたらたぶん舞台が楽しめないし、下手すると嫌悪を抱く。これ以上関わったら、もとの作品すら嫌いになるかもしれない。
だからきっとここが潮時で、離れた方がいい。

っていう経緯があって、追いかけてたシリーズを今はもう見てないです。
薄く情報は入ってくるので、無事に千秋楽を迎えられますように、とその都度思ってます。
嫌いになる前に離れたから、おだやかにそう思えてよかった。

あとまあ、これは自分勝手な理由にも程があるんですが。
脳内妄想を昔から重ねてきたおかげで、リアル度がそれはもう増してきていてですね……。下手にストレス要素のある舞台見るくらいなら自分の脳内妄想の方が優秀だな……っていう結論になってしまった。なんでだよ。
実際の体験として風とか体温は感じられないけど、映画くらいのクオリティならまあ自分で書いたもので体験できるからいいかなって。
めちゃくちゃ遠い席からの観劇に比べれば、アングルも自由に動かせる脳内妄想の方が見たいもの見られるじゃん!?

などという結論に落ち着いてしまい、2.5次元からは距離を置いてます。原作は追いかけてるよ!!!



これからのこととか

他の2.5次元を見るという選択肢もなくはないけど、今はいいかな~という気持ちです。
むしろ、今回の一件で「たぶん私は、役者を役者として認識したくないんだな……」ということを実感してしまった。
これは恐らく2.5次元というかそもそも舞台に向いてない。

物語という虚構の世界は好きだけど、現実を感じさせてほしくないんですよね。一切役者の情報を知らず、舞台の世界だけを見ていたい。キャラクターとしてだけ生きてほしい。
みたいなの、現実に生きてる役者に対して無茶なことだし、傲慢にも程があるから向いてないんだなと思います。

そういう自覚ができただけよかったのかな~。面白いんだけどね、2.5次元も舞台自体も。
SNS一切シャットアウトして、役者も全員ブロックすれば行けるのか……?という気もしなくはないけど、そこまでやる必要もない気がする。

あとたぶん、私はキャラクターを現実に持ち込みたいのであって、現実を物語に持ち込んでほしくない。
この辺の折り合いをつけたら舞台もまた楽しめるのかな、と思いますが現状特に未練ないからまあいいか、という感じです。
原作があれば満足できる人間だったんだよそういえば。ある意味初心に返ったと言えるかもしれない。


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