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西の地、南寧へ (我々の偉大な旅路4-2)

↑こちらのシリーズの続きです

↑南寧編(4-1) はこちら


高鐵夢高速鉄道の夢


 広州南駅は街の外れにある駅なので、駅から出た列車から見る広州の街はだいぶ遠く見えた。列車はすぐに殺風景な郊外を走り始め、外の景色は平凡な景色を映すだけになった。

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 列車の通路の上には小さなテレビが設けられている。日本の国内線の飛行機などでよく見かける、モニターが上からぶら下がっている形のものだ。何やら広告を流し続けているようだった。中国鉄路の会社が流しているのだろうか。中国各地の観光地や文化についての映像が流れている。

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 また、しばらくするとお馴染みの社会主義革新価値観や中国夢など、国家や共産党のプロパガンダも流れてきた。しつこいくらいのプロパガンダにうんざりする観光客も多いようだが、私はこの独特な雰囲気を持つ広告が嫌いではなかった。

「ほら、社会主義革新価値観が流れてる」

そう言ってモニターを指差しワカナミの注意を引いた。

「ほんと、どこにでも流れてるね」

 ワカナミと中国の高速鉄道に乗るのは今回が初めてではなかった。前年に初めて中国を訪れた際、上海に着いてまず最初に向かったのが上海の隣町、蘇州だった。上海駅から蘇州駅までの往復を高速鉄道で移動した。それが我々にとって初めての中国鉄路であった。あちらは上海と北京を結ぶ中国の大動脈の一部ということもあって300km/h前後のスピードを出していた記憶があるが、いま乗っている列車は厳密には高速鉄道(高铁ガオティエ)ではなく準高速鉄道(动车トンチュー)という種別の列車らしく、スピードは200km/h弱しか出ていない。


香瓜子ひまわりの種


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 駅で買ったひまわりの種を開けてみる。何の変哲もない"ひまわりの種"がぎっしりと詰まっている。私は一粒をそのまま口に運び、ひまわりの種を味わった。殻が硬いが踏ん張って噛み切ってみると中に種子が入っていた。豆とそう変わらないような食感だった。ほのかに甘い味付けがなされていた。

 ワカナミにも食べさせてみる。反応は普通だった。

「これ、殻は食べないで中だけ食べるんじゃないの?」

そう言われてみるとそんな気もする。私はまだ口のなかにあった殻をティッシュに出してくるんでゴミ袋に入れた。もう一粒口に含んでみる。やはり殻が硬いし消化できなさそうである。また殻をティッシュに出した。


広西風光


 列車はやがて人家もまばらな田園地帯へと入った。広州市内からは大きな山は見当たらなかったが、そう遠くないところに山岳地帯があるらしく、しばらくするとトンネルも多くなってきた。肇慶ジャンチン雲浮ユンフーといった広東省の都市の駅に停車し、人民が乗り降りしていく。列車の中は常に多くの乗客で賑わっていた。

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 11時過ぎ、列車は梧州ウージョウ南駅に停車した。広東省を抜けて広西グアンシーチワン族自治区へと入ったらしい。初めての広西であり、初めての自治区だった。と、その時、"梧州"という街の名前で朝の出来事を思い出す。

「ここってさっきのバングラディシュの留学生が行こうとしてたところだよね」

「ここに来ようとしてたのか、彼は。」

「こんな奥地にも海外からの留学生が来る大学があるんだね」

「無事に列車に乗れたかな。いや、この列車には間に合ってないかな」

「もしあのときまだ切符を予約してなかったらこれには乗れてないだろうね」

「どちらにしても無事に辿り着いてほしいな」

バングラの彼が目指していた梧州の街は広東と広西の境にあった。駅は市街地から離れたところに置かれているらしく、大学がありそうな街並みは見当たらなかった。ここでも人民が乗り降りをしていた。

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 広西に入ってしばらくすると車窓が明らかに広東の景色とは異なってきた。車窓から平原に聳える石灰岩のタワーカルストがいくつも見られたのだ。広西を一文字で略すときに使われる漢字は ”桂” 。石灰岩の奇岩が林立するカルスト地形で有名な ”桂林グイリン” の ”桂” である。桂林はずっと北に位置するはずだが、石灰岩の独特な風景はこのあたりでも見えるようだ。車両や座席は日本の新幹線とそう変わらない高速鉄道に乗りながら、異世界のような風景を目にするのは新鮮であると同時に、祖国や自分の知っている世界から遠ざかっている感覚がした。


肚痛腹痛


 私のお腹に異変が現れたのもこの頃だった。昨夜の夕食は確かに美味であったが、内臓が消化しきれていないようだった。私は列車のトイレへと駆け込んだ。幸い誰も使っておらず、並ぶことなくトイレへと入った。しかし、ここで私は意外なことで驚いた。便器が和式(中華式と言うべきか? )なのである。列車はここ数年に作られたであろう高速鉄道の新しい車両でありながら、便器は床に穴が空いているタイプのいわば和式便所であった。腰や尻に負担がかかるので私は和式を好まないが我慢して用を足した。

 処理を終え座席へ戻る。

「昨夜の夕食がお腹にきちゃってね」

「脂っこかったからね。お茶あんま飲んでなかったでしょ?」

「たしかにビールばかり飲んでたな。」

「お茶を飲みながら食べないと消化できなくなるよ。だから俺は食後はたくさんお茶を飲んだ」

先に言ってくれればいいのに。とは思ったが、もう広州を離れ遥か西の広西グアンシーにまで来ている以上、もう引き返せないし、もう済んだことだ。


南寧到了


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 華南の大都会・広州、広東の田園地帯、山岳地帯を抜けるトンネル、カルスト地形を見せる広西グアンシーの大地を駆け抜けて列車は南寧ナンニンの街へと入った。車窓から見える大きなマンションが林立している姿は、地方都市でありながらも大都会と呼べるような繁栄ぶりであった。列車は南寧東駅に差し掛かろうとしていた。

「南寧東って南なのか東なのかわからんね」

私はつまらない冗談を言う。

「"みなみ寧東"かもしれないし"南寧ひがし"かもしれない」

列車が停車した。南寧東で降りる乗客がぞろぞろと席を立っている。

「え?降りないの?」

ワカナミが問う。

「降りないけど?降りるのは次の南寧駅だよ」

「なんか南寧東駅の話ばかりするから降りると思った」

「降りるとは一言も言ってない」

彼は表立って出さないが、苛立っているのが薄らと感じ取れた。たった一人の道連れをくだらない喧嘩で失うわけにはいかないので私は穏当に受け流した。

 南寧東駅を出ると数分で南寧駅に到着した。列車はこの先百色バイスーという街まで走るが、多くの乗客が我々と同じく南寧の駅で列車を降りた。

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 ホームに出ると南方の熱気が我々を再び襲った。心なしか広東よりも熱く感じる。大きな荷物を抱えた人々がぞろぞろと列車から降りてきて、階段を降りていく。我々も人の波に乗り階段を降りた。地下のコンコースを抜けると「南宁欢迎您南寧へようこそ!」の文字が我々を迎えてくれた。


出国準備


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「まず最初に今日の夜ベトナムへ行く列車の切符を買ってから市内を散策しますか」

「そっか、まだ切符もないんだもんね。無事に買えるかな。」

 南寧ナンニンに到着した我々がまず最初にすべきことは今夜の国際列車の切符の手配だった。中国鉄路の国内線はネット予約ができたが、国際列車は現地で購入する必要があったため予約を持たずに南寧までやってきた。もし仮に列車が取れなかった場合はバスでベトナムに抜けることを考えていた。また、この先の予約は一週間後にバンコクから香港に戻る飛行機のチケットがあるのみなので、バンコクにさえたどり着けばルートはどうだってよかった。

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 南寧は都会ではあったが、広州や深センと比べると垢抜けていない地方都市の雰囲気が漂っていた。南寧駅の駅舎は洗練された深圳北や広州南の駅とは違いやや埃っぽい建物であった。特徴的なのはシーサーのような獅子の置物が駅舎の入り口の両脇に座っていることだ。獅子自体は中国では珍しいものではないが、駅舎に構えているのは初めて見た。南方の熱気も相まって沖縄のシーサーを思い起こしたのだった。

 駅舎に入り券売所を探すと建物の東側に国際列車の券売所があることがわかった。券売所へ行ってみるとやや薄暗い部屋に窓口がいくつも並び、それぞれのレーンに既に多くの人々が並んでいた。広州南の券売所に比べると狭いその空間は窮屈で人が列に並んでいるのかどうかも判別がつきにくかった。

你排队吗並んでますか?」

と確認した上で列の最後尾と思しき場所に並び始めた。

 券売所の冷房は効いているらしかったが、開け放たれた扉から外の熱気が漏れてくるのもあり、人がたくさんの空間は暑苦しかった。バックパックをおろして肩の負担は減っていたが、体力が消耗していくのを感じていた。そんな中で私のお腹がまた不調になっていった。

「ごめん、トイレ行ってきていい?荷物置いてくから見てて」

「良いよ」

 私はワカナミへ荷物を預け、日本から持ってきたトイレットペーパーを1ロール持って駅舎外のトイレへと向かった。トイレはやや汚くはあるが、一般的な設備だった。洋式の便器はないようだったので、和式の便器を利用した。上部の扉がないニーハオトイレというのを聞いたことがあるが、ここ南寧でも扉はしっかりとついて個室になるタイプのトイレだったので安心した。

 無事に用を足して列に再び並び、順番を待った。十分ほどで我々の順番になった。

「今夜のハノイ行きを硬卧二等寝台で二人」

 メモを見せながら窓口へそう伝える。硬卧とは文字通り硬いベッドで安い寝台のことだ。バックパッカー旅行なので、安い切符を買うことで極力出費を抑えたい。

「この列車には硬卧はありません。軟卧一等寝台だけです。」

 ところが、窓口の站務員駅員の言うところでは、我々が乗ろうとしている列車には硬卧の設定はないようだ。仕方がないので軟卧のチケットを購入する。国内線の切符を買う時と同じく、パスポートを提示して実名と旅券番号をパソコンへ打ち込んで切符を発券してもらう。

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 無事に切符が発券された。これまでの切符とは違い冊子のような大きい切符で、中国語の他にキリル文字とドイツ語が記されている。これが国際列車の切符だ。ひとまずこれで無事にベトナム行きが確定した。中国で過ごすのも残り数時間となった。

「これでハノイまでは行けそうですね」

「中国もあと数時間で離れるわけか」

「昨日入国したばかりだけど名残惜しいね」

「ところで昼ご飯どうします?」

「軽くお茶でもしようか。さっき入口のところにあったファストフード行ってみるか」

 そう言うと駅舎の前に店を構えてるディコスというバーガーショップへ向かった。よくあるファストフードという感じだった。ハンバーガーを食べても良かったが、南寧での過ごし方を少し話し合う程度の用しかなかったので、半奶半茶というメニューのミルクティーを頼んで席についた。ワカナミも同じようなものを買ってきたようだ。

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「ひとまずベトナム行きに目処がついた。今のところは順調ですね」

「大きなトラブルもなく。列車の切符が少し高かったくらいか」

「そういえば昨日の夕飯代って精算してないな。いま細かいの持ってる?」

 そうワカナミに尋ねると彼は財布の小銭入れから十数枚の一元硬貨を取り出した。ジャラジャラという音がテーブルに響いた。

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「多いわ。こっちもなんか返すお金なかったかな。宿代も精算まだだよな。細かいのそっちにやるわ」

 1元硬貨の押し付け合いが始まった。1元は硬貨だけでなく紙幣もあるはずだが、なぜか我々の手元には硬貨が多かった。

 ディコスで熾烈な1元の押し付け合いを終えた我々は外に出た。外は相変わらずの熱気だった。ジリジリと照りつける太陽の中、大勢の人が大きな荷物を抱えて行ったり来たりしていた。

(続く)


旅程表

2018年9月15日 "我々の偉大な旅路" 2日目 南寧ナンニン

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午前9時18分 広州南駅 にて D3782次 百色バイスー 行き に乗車

午後1時20分 南寧ナンニン駅 に到着

午後2時頃 南寧駅 にて 国際列車の切符を購入

午後2時10分頃 南寧駅前 の 德克士ディコス にて、お茶

(時刻はすべて北京時間)

主な出費

電車賃

 高速鉄道 広州南駅 → 南寧ナンニン駅 172元(事前決済)

 国際列車 南寧駅 → 河内ハノイ嘉林ザーラム硬卧一等寝台 215元

飲み物 10元(?) (德克士ディコス にて)


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