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危なっかしい通り (我々の偉大な旅路 6-5)

↑こちらのシリーズの続きです。

↑ハノイ編(6-4)はこちら


Điện Biên Phủディエン・ビエン・フー



ホーチミン廟


 ホーチミン廟を目前にして、金欠によりホーチミンとの面会を断念した我々は一路、先程までいたハノイ駅や旧市街の方角へと歩き始めた。ホーチミン廟の前の広大な広場の周りには政府関係と思しき荘厳な建築物が囲っていた。正面にベトナム共産党旗がたなびく建物は党本部だろうか。日本で言うところの霞が関や永田町界隈にあたるこの地区は、日本のそれと似ている部分もあったが、やはり異国の土地である。感じる格式高さは言葉では上手く言い表せないがそれぞれ異なったものがあった。

ディエン・ビエン・フー通り

 ホーチミン廟から駅の方角へと伸びる一本の大通りは名前を「ディエン・ビエン・フー通り」と言った。言わずもがな、ベトナム戦争でフランス軍を撃退した地であるディエン・ビエン・フーから取られている。

「ディエン・ビエン・フーも行きたかったよな」

私が言う。実はルートを考える際にディエン・ビエン・フーも候補に上がっていた我々の関心の的である近現代史に直結する場所であると同時に、ハノイからラオスへと抜ける一つのルートの通り道でもあったのだ。

「ディエン・ビエン・フー通り。あのディエン・ビエン・フーから名前を取っているわけだね。次回来るとすればディエン・ビエン・フーにも行きたいね。」

ディエン・ビエン・フー通り


レーニン


この背広、このポーズは……?

 ディエン・ビエン・フー通りを駅へと向かって歩いていると、巨大な像が立つ公園が右手に見えてきた。背広に手を当てるその立ち姿には見覚えがあった。世界史の授業ではもちろん、テレビニュースなどでも名前を聞くあの人物である。

「レーニンだね」

ウラジーミル・レーニン

ワカナミが言う。ベトナムは共産国、レーニンが英雄視されている共産圏の一部なのである。共産主義革命の英雄とはいえ海外の偉人の像が首都の大きな公園に立っている光景は日本ではおそらく見ないだろう。共産圏特有の文化な気がする。

 我々がレーニン像を見上げていると、公園で遊んでいた子どもたちのサッカーボールがこちらへと転がってきた。

「レーニンに当たったらどうするんだろう」
「やっぱ怒られるのかな」
「ソ連崩壊のときの像が倒されるやつみたいになりかねないよね」

我々外国人が適当なことを考えてるのをよそに子どもたちはサッカーに熱中している。

「子どもたちが多いのは国の将来が明るくていいな。」

少子高齢化の国から来た私はそんなことを思った。この旅路の途中で幾度か考えたことである。少し公園で休んでレーニン像と一緒に写真を撮った我々は旧市街方面へと向かった。


センチメンタル・ジャーニー



通りは線路と交差した


 少し歩くと通りが鉄道の線路と交差した。ハノイ駅へ向かう、あるいはハノイ駅を出た列車が通る線路だろう。線路は確かにあるのだが、列車の気配はない。なぜなら、線路に面した建物は線路側に出入り口があり、線路の上には人々が行き交い、自転車を線路の上に放置して買い物をしている人もいたからだ。列車がここを通る気配は感じられなかった。

「よくテレビとかで見るやつだね」

「たまたまだけど来れて良かった」

狭隘な土地を線路が走り人々が行き交う

なんの前情報もなく散歩をしてたらたまたま遭遇してしまったが、ここはハノイでも有名な観光地・トレインストリートだった。すなわち、この線路は決して廃線の類ではなく、現役の線路であり、当然列車も走るはずだ。しかし、列車の本数が少ないからか、人々(現地の人々も観光客もどちらも多い)が線路の上を平然と行き交っていた。線路のすぐ横にベンチを置いて営業しているカフェもあった。

「写真撮って」

いつものようにワカナミにカメラを渡す。

「篠はまだ、16だから〜♪」

「この前炎上してたやつ 笑」

少し前に京都某所の線路への立ち入りで炎上していた某女優の真似をした。おそらくこちらでは線路への立ち入りを制限する法律はないはずなので合法だ。正確には合法かどうかは知らないが、これだけ多くの人々が行き交っているのだから、当然合法なのだろう。

 お互いに写真を撮り合い、偶然通りかかったトレインストリートを満喫していると周りが騒がしくなった。線路の上に物を置いていた人々は物を撤収し、カフェのベンチも線路から遠ざけられた。

「列車くるっぽいね」

 私には列車の気配そのものを感じられなかったが、周囲の人々がそれを察知し、線路から退避を開始していた。我々も線路から離れ安全な場所へと移動した。すると、遠くから汽笛のような音が聞こえ列車がゆっくりとやってきた。人や物を跳ねないようにのっそりのっそりと列車はやってきた。

至近距離を通過する列車

 列車の通過をじっくりと待つ。線路から離れたとはいえ、建物に挟まれた狭いトレインストリートで列車の通過を間近で見ると、その距離感に少しの恐怖を覚えた。楽しく愉快な観光地ではあるが、日本では絶対に見れない危険なスポットでもあるなと感じた。

 トレインストリートを通過する列車を見ることもできたことだし、元の経路に戻り旧市街を目指そうと線路の上を歩き始めた。その時だった、

「すみませ〜ん!」

後ろから日本語で誰かが話しかけてきた。私には海外で日本語を使って我々日本人に話しかけてくるのは不審者である可能性が高いという思い込みがあり、今回も本能的に怪しげな人が話しかけてきていると判断した。日本人ではないフリをしてその場から離れようと無視をした。

「すみません!日本人ですよね?」

日本人かどうかを尋ねてきた。ほら、怪しい。日本人だと、日本語がわかると思われないように私は無視を続けた。

「あの、カメラ落としましたよ!」

「え?」

つい振り向いてしまった。

「これ、落とされてましたよ。さっき日本語で話してたから日本人だと思って」

話しかけてきたのは、善良な日本人の方だった。あろうことか、私は善意でカメラを届けてくれた彼女を不審者扱いしてしまい、無視をしていたのだった。

「ありがとうございます。助かりました。気づかずにすみません。」

「いえ」

そう言って彼女は線路を向こうへと歩いていった。

「悪いことしちゃったな…」

私はワカナミに反省の弁を述べた。

「でもカメラ戻ってきて良かったじゃん」

「だいぶ序盤で無くしちゃうとこだった」

何はともあれ、カメラを紛失せずに済んだことに感謝しながら、旧市街への道を歩き出した。

ハノイ トレインストリート


ハノイで最後の休息


 しばらく歩くと鬱蒼と街路樹の繁るハノイ旧市街へと戻ってきた。我々がハノイ観光の拠点としたランデブー・ホステルへもすぐ戻ることができた。

 ラオス行きのバスは17時にここランデブー・ホステルに来てくれることになっている。それまでにシャワーを浴びて長いバス旅に備える。ハノイからヴィエンチャンは20時間近くかかるらしい。途中食事休憩はあるが、シャワーは浴びれないだろう。暑いハノイ市内を歩き回ったので、体はかなり汚れている。ゴシゴシ体を洗って清潔な体でラオスへ向かうことにした。

 今朝、ランデブー・ホステルに依頼していたクリーニングも無事に済んでいた。我々の衣服は綺麗にたたまれ袋に詰められていた。二人の洗濯物を分別し、それぞれのバックパックへ詰め込む。あとはバスを待つだけだ。

電源があるうちのデバイスの充電も欠かさない

 ランデブー・ホステルの2階のラウンジスペースで我々二人はくつろいだ。繰り返しになるが、ワカナミはWi-Fi以外のネット環境で外界と接続できない状態で旅行をしている。彼にとってWi-Fiのあるランデブー・ホステルは数少ないネット通信が可能なスポットなのだ。彼はインターネットを楽しんでいた。

 私もくつろぎながら次の出発へ向けた準備を進める。財布の整理をしていると、残りのベトナム・ドンが少ないことに気づいた。ベトナムはあと数時間で出国するとはいえ、少しくらいはベトナム・ドンがあったほうが何かと便利だろう。財布を確認すると韓国ウォンの紙幣が10,000ウォン入っているのが目に入った。日本円にして1,000円。ちょうど、ハノイから国境まで行くには十分だろう。これを両替してベトナム・ドンにすることを考えた。

「ちょっと両替してくるね」

そう言ってワカナミと別れ1階のフロントへ行った。

 フロントで1枚の10,000ウォン札を出して両替を頼む。するとフロントには首を振られた。少額の両替はお断りということだ。ただ、現状の残金では国境を越えるのに不安が残る。私はランデブー・ホステルを抜け出し、近くに両替屋がないか探した。この辺りは安宿がひしめくバックパッカーの集まる界隈。両替するところがないわけがない。少し行ったところの角を曲がった宿に入ってみる。ランデブー・ホステルでしたのと同じく10,000ウォン札を差し出す。すると、すんなり両替してくれた。200,000ドンを渡され私は笑顔でその宿を出た。

(続く)


旅程表
2018年9月16日 "我々の偉大な旅路" 3日目 ハノイ

6-5での移動

午後3時頃 Duong Điện Biên Phủディエン・ビエン・フー通り を見学

午後3時10分頃 レーニン公園 を見学

午後3時20分頃 トレイン・ストリート を見学

午後4時頃 Rendez-vous Hanoi Hostel で休憩

午後2時半頃 ホーチミン廟 に到着

(時刻はすべてハノイ時間)


主な出費

両替
 10,000 韓国ウォン → 200,000 ベトナムドン

↑7-1 越老国境編 はこちらから

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