ラオス国道13号線(我々の偉大な旅路 7-5)
↑こちらのシリーズの続きです
↑越老国境編(7-4)はこちらから
不穏
国境のチェックポイントを発って、バスは山道をくだりながらメコンの流れる方角へと動き出した。ヴィエンチャンに着くのは何時になるのかわからないが、とりあえずヴィエンチャンまで辿り着くことはできそうだ。
安堵していたのも束の間。バスは国境から30分ほど走って麓の街に差し掛かったところで、しばらく停車してしまった。民家がまばらに見える集落に入った直後、バスはガレージのようなところへ入っていき、そのまま運転手がバスを降りていったのだ。最初はガソリンの給油かバスの点検なのだろうと思っていて気にしていなかったのだが、妙に時間がかかっている。
「もしかしてバスの調子が悪いのか…」
不安が再び襲ってきた。ハノイとヴィエンチャンと両国の首都を結ぶ幹線道路のはずだが、交通量はそう多くない。ここで取り残されてしまったら、元の旅程は大幅に変更せざるを得ない。
「とりあえず待ってみよう。時間は十分あるし」
ワカナミとそのような会話をしているうちに、運転手がバスに戻ってきた。何やら車掌のおばちゃんと話しているが、ベトナム語なので当然何一つ聞き取れない。そのやりとりを見て多少の不安を募らせたが、その心配は無用だった。すぐにバスは再び動き出し、ヴィエンチャンへと走り出した。
「・・・。なんだったんだろうね。」
「さあ。動き出したから良いんじゃない」
ラオスの旅路を往く
再び動き出したバスは、峠道のような道を進んでいく。道路状況は決して良いとは言えないが、山奥の道を進んでいく様子は旅をしている実感が湧いてきて、悪いものではなかった。
少しひらけた土地に出たところでバスは再び止まった。今度は止まった時に車掌のおばちゃんが「Toilet!」と案内していたので、トイレ休憩だということがわかった。我々はバスを降り、皆が目指しているトイレのある建物へと向かった。ここはパーキングエリアやドライブインという感じの施設ではなく、ごく一般的な民家だった。生活感が漂っている建物に併設されている便所を皆で使っているという状況になっていた。トイレは綺麗ではなかったが、もはや気にすることはなかった。むしろ、ローカルな雰囲気すら漂うトイレには旅情すら覚えた。用を足し手洗い場で手を洗う。手洗い場はバケツで溜めている水を手桶で汲んで洗うというスタイルだった。貴重な水なのだろう。無駄遣いはしないように、ただ清潔にはなるように手を洗った。
トイレ休憩から全ての乗客が戻ったのを確認してバスは出発した。時刻は昼で、我々を含め多くの乗客は眠ることなくそれぞれの時間を過ごしていた。私は少しばかり練習したラオ語の復習をすることにした。ノートを見て挨拶を思い出してみる。「こんにちは」は「サーバイディー」と言う。「ありがとう」は「コプチャイ」だ。ベトナムではこれらの言葉すらベトナム語を覚えていかなかったため、現地の人々とほとんどコミュニケーションを取ることができなかった。
早速覚えたラオ語を使ってみよう。私はバスの向かいの席にいる年配の女性に話しかけてみた。
「サーバイディー」
「?」
通じていないようだ。発音が悪いのか。
「サーバイディー」
「?」
「ラーオ?」
女性は首を振った。そうだ、このバスはほとんどベトナム人しか乗っていなかったのだ。私はベトナム語がわからない。しかし、こちらから彼女に話しかけてしまったからには、何かしらのコミュニケーションをとってみたい。そこで、私は昨日買ったベトナムの地図を広げてみた。
「私たちは今ここにいます」
我々がいるラオス人民民主共和国はラクサオの場所を地図でさしてみた。
女性はベトナムの地図だということはわかったようだが、今いる場所については把握できていないようだった。
「ハノイ」
彼女はハノイを指した。私は頷いて、ハノイからラクサオまでの道のりを指でたどった。
「ヴィエンチャン」
そして、目的地のヴィエンチャンを指した。まだ半分かそこらしか進んでいないことに、この時改めて気付かされた。時刻はお昼をとっくに回っていた。国境での待機時間が元々のタイムスケジュールに組み込まれていないものだとすると、当日中にヴィエンチャンに辿り着けるかどうかも怪しい。幸い、ヴィエンチャンから先の予定はほとんど決まっておらず、次のルアンパバーンまでの移動手段すら現時点では決めていない。ヴィエンチャンに着くのがいつになっても、旅程には大幅に影響しないであろうという認識であった。ただ、それでもこのバス旅がいつまで続くのかは分かったほうが良いに決まっていた。
国道13号線
バスはしばらく平地へ向けてと縦長のラオスの国土を西へと横断していたが、やがて大動脈の国道13号線へと合流し、北へと進路を変えた。この国道13号線は首都・ヴィエンチャンとラオス南部を結ぶ文字通りのラオスの大動脈である。しかし、番号は1号ではなく13号が振られている。日本でいう国道13号は我々の故郷である秋田市を目指し福島市から山形県内陸部を縦断するルートであり、主要な道路ではあるが、国の大動脈と言えるほどのメインルートではない。そんな13号というう数字がこの国の最重要ルートに振られているのが少し面白く感じた。
国道13号線はラオスを南北に結ぶ大動脈とあって、先ほどまでの山道よりは通行量も多く、たくさんのバスやトラックが行き交っており、バスの走りも前よりは安定してきた。やっとメインルートに出られたことに安堵していると、バスは国道沿いのドライブインへと入り足を休めた。ここでお昼休憩をするようだ。時刻は既に16時になりつつあった。お昼というより、晩飯に近い時間帯である。
ドライブインはやや大きめの商店の外にイートインスペースがあるような作りで、食事はこの外のスペースで食べることができるようだ。私とワカナミは二人で真ん中のテーブルに腰掛け、食事が用意されるのを待った。食事はフォーであった。ベトナムのフォーとの違いがよくわからないが、ラオスで食べるフォーも美味しかった。インドシナにやってきてまだ二日。フォーに飽きるにはまだまだ早すぎるので、フォーの食事が続くことに関して我々はどちらも不満を漏らさなかった。
食事を済ませた我々は国道の脇に立ち、行き交う車を眺めた。通行量が多いとはいえ、閑静な国の大動脈なので、数十秒に一度車が通るという感じだった。道の先は来た道もこれから辿る道も果てが見えなかった。地平の間に立って果てなく続く道路を眺めていると、我々は確かにユーラシア大陸に立っているのだと感じるのであった。
対岸のタイ
休憩を済ませるとバスは再び国道13号線を北上し始めた。まもなくすると、メコンの支流を橋で越えて、そこから先はところどころでメコン川が見えて来るようになった。この辺りのメコン川はラオスとタイの国境になっている。すなわち、この対岸はまだ見ぬ異国の地・タイなのである。
「この対岸がさ…w」
対岸にタイが見えた瞬間に私はワカナミにこう話しかけた。
「分かったって…!」
言うまでもなく、私の言うことを察したワカナミは私を笑って制した。笑ってこそいたが、バス旅が始まりもうすぐ24時間経つというころに、くだらない駄洒落を言おうとしてきた私に少し苛立ちを見せているようだった。
それから我々は他の乗客と同じように座席に横になって過ごしたり、それぞれの創作を行ったりして車内での時間を過ごした。退屈な車内であったが、移動そのものが非日常という体験をしていると考えると、旅らしく感じないこともなく、お互いそれを楽しんでいるような気さえした。
夕暮れの時間帯になり、あたりも少し暗くなってきた頃、バスは再び歩みを止め、例のおばちゃんが「Toilet〜〜!」と車内へ知らせてきた。トイレ休憩のようだ。我々も他の乗客と共に車外へと出ると、外はもう薄暗く、行き交う車の多くはライトをつけているような時間帯だった。こんな時間になったのにまだまだヴィエンチャンは先のようだ。ひとまず用を足そうとあたりを見渡すが、トイレがありそうな建物は一軒も存在しなかった。ここにきてついに「トイレ」という建物が消えたのであった。人々はみなそれぞれ草むらに隠れていき、用を足していたのであった。おばちゃんも草むらからどこからともなく現れ、車内へと戻っていった。あのあたりで用を足したのであろう。郷に入っては郷に従えなので、我々もベトナム人たちと共に草むらに入り用を足した。車内へ戻ると真っ先にウェットティッシュで手を拭いた。
長い長いバス旅を経て、Googleマップ上ではヴィエンチャンが近づいてきた。もう数十キロ行けば、この国の首都・ヴィエンチャンへ辿り着くらしい。バスは南ターミナルに着くということだったので、そこまでの距離を地図上で確認すると、あと数十分もすれば辿り着く。ようやくこの長いバス旅に終わりが見えてきた。
夜も深くなった22時前、我々はついにヴィエンチャンに到着した。ハノイのバスターミナルを発ってから実に28時間という長旅だった。長旅を共にしたベトナム人たちと、国境で同じ困難を乗り越えた我々を含めた外国人たちはそれぞれ荷物を抱えてバスを降りた。
(続く)
旅程表
2018年9月17日 "我々の偉大な旅路" 4日目
ベトナム・ラオス国境
午前11時半頃 ラクサオ にて バス停車
正午頃 ラクサオ 出発
午後2時頃 トイレ休憩
午後4時頃 ຮ້ານອາຫານ ແນ່ວັນ にて 昼食
午後6時半頃 トイレ休憩
午後9時40分 ヴィエンチャン 南バスターミナル に 到着
(時刻はすべてヴィエンチャン時間)
主な出費
昼食 30,000 キープ (ຮ້ານອາຫານ ແນ່ວັນ にて)
↑8-1 ヴィエンチャン編 はこちらから