ハノイに別れを(我々の偉大な旅路 7-1)
↑こちらのシリーズの続きです
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香港から始めた旅も3日目の夕刻に差し掛かっていた。今朝ハノイについたばかりの我々だが、これから一路ラオスの首都ヴィエンチャンを目指し、バスで旅を続けていく。バスの手配はハノイに到着した時に済んでおり、あとはバスに乗り込むだけでラオスへと行くことできることになっていた。
バナナの押し売り
時刻になると、ランデブー・ホステルのスタッフが我々を呼んでくれた。我々は言われる通り、荷物をまとめランデブー・ホステルから通りへと出た。夕方で帰宅ラッシュということもあってか、バイクに乗った人々や歩行者たちが暮れなずむハノイの旧市街をひっきりなしに行き来していた。
ランデブー・ホステルのスタッフによれば、我々はホステルの向かいの角でヴィエンチャンへのバスを待つことになっているらしい。行き交う人々を眺めながら、我々は言われるがままに旧市街の角に立ってヴィエンチャン行きのバスを待った。
我々は角で立っているだけだが、多くの人々が我々に話しかけてくる。観光客は珍しくないだろうに。話に乗ってみると、だいたいが商品を売りつけようとしてくる商人だった。今朝、パンを売りつけられたときと同じミスはもうしない。商品を差し出してくる類の誘いは全て断った。
天秤のような竿の両側に皿を取り付けた商人が我々に話しかけてきた。どうやら商品を売りつけようとするのではなく、竿を貸してあげるから写真を撮りなと言っているだけなようだ。商人の人当たりのいい笑顔に我々は完全に善意だと思い込んだ。我々も「記念に…」とワカナミに竿を持たせ記念撮影をした。ベトナム特有の頭につける傘も貸してくれた。ワカナミは笑顔になり、私はiPhoneでシャッターを切った。いい写真が撮れた。短いベトナム滞在だったが、ベトナムらしいことをできたことに喜びを覚えた。
しかし、満足したのも束の間。商人の表情が豹変した。ベトナム語で捲し立ててくるが、言っている意味はわかる。「写真を撮らせてやったんだから、バナナを買え」と言っている。筋は通っているが、竿を貸してもらった時にはそんなこと一言も言っていなかったではないか。
「手持ちのドンが少ないから払えないよ」
本当のことをジェスチャー混じりの英語で商人へ伝える。しかし、てんで通じている様子はない。いや、通じていないふりをしているのかもしれない。しかし、どちらにしても埒が明かない。
「お金はないよ」
ワカナミも懸命に訴えているが、商人はまったく聞く耳を持たない。
「もう、しょうがない。バスで食料も必要になるし、バナナの一房くらい買ってやろう」
私はそう言って、先ほど韓国ウォンから両替したベトナムドンを商人に差し出した。すると商人は再び笑顔に戻った。本当にこの街の人々は表情がすぐに変わるな。内心そう思ったが顔には出さず、こちらも笑顔で応じた。金銭的に厳しい今の状況でベトナムドンの現金を失うことは相当な痛手である。しかし、これも旅の思い出になるのだと思えば高く感じなかった。いや、相場を考えればぼったくられているのだが…。
「また騙されたね」
「観光客慣れしているから、観光客からあらゆる手段でぼったくろうとしてくるよね」
「やっぱ、海外でやたらと話しかけてくる人を信用しちゃいけないね」
ラオスへの迎え
そんな会話をワカナミとしていると、バイクに乗った青年が我々に話しかけてきた。
「ヴィエンチャン行きかい?」
そのようなことを聞いている。"ヴィエンチャン"のワードが聞き取れたことで、彼が我々の迎えであることはわかった。ただ、バイクでやって来たことに違和感はあった。バイクでヴィエンチャンまで行くのか?そんなはずはない。
「私たちはバスでヴィエンチャンに向かうはずなのですが…」
そのようなことをバイクの兄ちゃんに伝えると、彼は何やら早口なベトナム語を口にしてその場を去って行った。一部始終を見ていたホステルのスタッフによれば、この後また違う迎えが来てくれるらしい。我々は安心した。
すぐにマイクロバスが所定の位置にやってきた。このバスでヴィエンチャンまで行くのだろうか。ホステルのスタッフに促され、我々はバスに乗る。これで一晩を過ごし国境を越えるにはいささか狭い気がする。
「これでヴィエンチャンまで行くのか?」
私はそうスタッフに尋ねた。どうやら、これはバスターミナルまでの送迎バスで、バスターミナルでもっと大きなバスに乗り換えてヴィエンチャンへと向かうらしい。
マイクロバスの中にはすでに乗客が数名乗っていた。大半が現地の人間らしいが、一人だけ日本人と思しき男性が乗っていた。顔つきや身なりを見て日本人だと思った。我々と同じバックパッカーのようである。
私はなるべく彼にこちらが日本人であることを悟られないようにしようとした。海外で日本人同士でつるむのが好きではないからである。ワカナミと日本語で話すと彼に日本人だとわかってしまうので、ワカナミが話しかけてきても極力無視をすることにした。無口になった私を乗せてバスはターミナルへと向かった。
夕刻のハノイバスターミナル
会話がなくなると必然的に視線は窓の外へと向けられる。ベトナムの首都・ハノイを渋滞を縫ってバスは駆けていく。大量のバイクが大通りを走る光景は、幼い頃の中国のイメージに近い。深圳や広州など、発展した都市ではもうすでに自動車が主流になっているが、ハノイではバイクや自転車が未だに主流となっている。クラクションが鳴り響く街頭を夕陽が照らしていた。
マイクロバスがターミナルに着いた。ターミナルには我々が乗っていたようなマイクロバスやバイクが多数停まっており、その横には大型のバスが何台も並んでいた。ここからベトナム各地へと向かうバスが出ているようだ。
マイクロバスの運転手に言われる通り、ヴィエンチャン行きのバスへと向かった。我々のバスは韓国製の赤いバス。フロントガラスには行き先が「Vientian」と書かれてある。これでラオス・ヴィエンチャンまで向かうことになる。ハノイとはこれでお別れだ。
「日本人ですか?」
例の日本人男性が話しかけてきた。
「そうです」
決して雰囲気の悪い方ではないし、むしろ好印象の好青年だったが、私が無差別に警戒していた手前、少し無愛想に返事をしてしまった。
「ヴィエンチャンまで行かれるんですね。よろしくお願いします。」
型式ばった挨拶を終えて我々はバスに乗り込んだ。バスは日本の高速バスと同じように中央に大きな通路があり、左右に座席がある構造だった。日本と違うのは、左右の座席が2段になっていることだ。下段は座椅子のない雑魚寝のようなスペース、上段は座椅子がリクライニングがフルで倒れた状態で並んでいる。我々が指定された席はバスに乗り込んで向かって右側の上段の2席だった。私が窓側に、ワカナミが通路側に座った。日本人男性は後ろの席だった。
「前後ですね。長旅、どうぞよろしく」
先ほど無愛想に返事をしてしまった申し訳なさがあったので、座席越しに挨拶を交わした。座席越しと言っても、座椅子が天井に対してほぼ平行に配置されているので、人一人分の距離はあった。それ以上の会話が発展することはなく、我々はそれぞれ長いバス旅に備えて体勢を整えた。
やや小太りのベトナム人女性が人数を数えている。彼女がこのバスの車掌なのだろう。運転手と何やらベトナム語で話している。運行に関する打ち合わせのようなことをしているのかもしれないが、内容はさっぱりわからない。
いざ、ラオスへ
定刻の午後6時、バスはターミナルを出発し、ラオスの首都・ヴィエンチャンへと走り出した。車内はカーテンが閉まっていたが、まだ外は十分に明るい時間帯なので、少しカーテンをめくると赤い夕陽に染まったハノイの街を眺めることができる。しばらくハノイの雑踏を眺めて、カーテンを戻した。
横になりiPhoneのGoogleマップで現在地を確認していると、バスは高速道路に乗ったようで、速度を上げてハノイを遠ざかっているようだった。調べてみるとベトナムには高速道路網がまだ十分に存在しておらず、途中のニンビン(寧平)という街までしか高速道路がないらしい。そこからはいわゆる下道でベトナム・ラオスの国境を目指すようだ。Googleマップによれば7時間かかるらしい。
前日は中国の南寧からの夜行列車でハノイ入りをしており、十分な睡眠も取れないまま一日中ハノイの街を歩いていたので疲労が溜まっている。しかし、時刻はまだ日の沈みかけた6時台で眠気はそこまで感じていなかった。ワカナミも私も睡魔に襲われることなく暇を持て余していた。
「これやろ」
私が両手の人差し指をワカナミに向け言う。正式名称どころか通称すら知らないが、我々が小学校の頃に流行していた指を使った"あのゲーム"をしようと提案したのだ。この説明で伝わるかどうかは微妙だが、お互いの指を交互に叩きあい、指の示す数を加算していく。最初は両手がそれぞれ1の状態からスタートし、相手に指を叩かれ1が加算されると2になる。そして先に5になった方が負けというルールの"あのゲーム"である。
「5は有り派?」
「え?5になったら負けじゃない?」
「たまに5はセーフで6でアウトってルールの時ない?」
細かいルール設定を終えてゲームがスタートする。声を出さず指だけでプレイできるので、バス車内でも他人に迷惑がかからない。
「所長、強ない?」
ワカナミはなかなか手強かった。何回か対戦したが、ワカナミに勝つことができたのは2回程度だった。
「あんま強い弱いないだろ、これ」
半分呆れたようにワカナミに言われ拗ねた私はこのゲームから撤退してiPhoneをいじり始めた。
招かれざる客
地図を眺めていると高速道路はまもなく終点となる。料金所なのかバスが減速し、やがて停車した。
「止まったね」
「料金所じゃない?」
すると、ドアが空き外から業者のような人々が大きな荷物を抱えて入ってきた。どうやら料金所ではなく、停留所だったようだ。しかし、乗り込んできた人々はかなり大きな木材のような物を持ち込んでおり、荷物だけバスへ積み人はそのまま降りて行った。貨物を積み込んでいるようで、バス車内はトラックの庫内のようになった。他にも商品の入った段ボールなどが積み込まれた。
「荷物も一緒に運ぶのか」
「通路塞がれちゃったよ。トラックの中にいるみたい。」
巨大な荷物は我々の空間を侵すことはなかったが、バスの中に圧迫感が生まれた。不快感はないが、窮屈な感じがする。
「これと一緒にラオスまで行くのか…」
軽く絶望を覚えたが、その程度のことを気にしているようではバックパッカー旅はできないだろう。我々は次第に荷物の存在を忘れ、元のように横になり休息を取った。
最後の晩餐(於ベトナム)
バスはニンビンを越えてタンホア(清化)という省に入った。ベトナムは中国と同じく省が広域の自治体の単位だが、中国のそれや日本の県と比べてかなり小規模で全部で60近くもある。タンホア省に入りしばらく走ったところでバスは休憩所に止まった。既に日が暮れて暗いベトナムの大地に灯りのともったドライブインのようなテントがあり、ここで夕食を取るようだ。ほかの乗客たちと一緒にバスを降り、テントの給仕をしているところに並びフォーをいただいた。夕食代はバスの運賃に含まれているらしく、乗客は皆同じフォーを食べていた。
「一緒に食べませんか?」
日本人青年氏を誘って我々は三人で夕食を取ることになった。
「どれくらい旅行してるんですか?」
「そんなに長くないんですけど、1ヶ月間東南アジアを周遊してます。いまちょうど折り返しの2週間ですね。」
「十分長いじゃないですか。我々は2週間。今日で3日目です。」
「これからラオス行ってタイに行かれる感じですか?」
「そうですね。ヴィエンチャンからルアンパバーン方面に行ってチェーンライに抜けるつもりです。」
「タイは良いですよ。ご飯美味しいですし、街も綺麗で滞在しやすいです。」
「もうタイ行ってるんですね。そういえば通貨ってどうしてます?うちらは香港でちょっとだけバーツ両替してきたんですけど。」
「僕は…」
そういうと彼は外貨の入った袋を見せてくれた。
「バーツがこれくらい。あと米ドルはこれくらい。それぞれ各地で両替してる感じです。」
「やっぱ、ラオスのキープは行ってから両替で良いですよね。」
「そうですね。他だと手に入りにくいしレートも良くないので。」
そんな旅の情報交換をしているうちに夕食を食べ終えた。私自身が他の日本人を警戒しており、彼もそれを悟ったのか、お互いある程度の距離感を持ったままの会食だった。馴れ合うこともなく、かといって無視するわけでもなく、ちょうど中間の距離感だった。特に気まずくなることもなく、お互いのペースで旅を進められそうで安心した。
バスに戻る前に用を足そうとトイレへ向かった。トイレは想像以上に汚かった。香港から深圳、南寧、そしてベトナムと徐々にトイレの質が下がってきている。無論、トイレなど用を足せればそれで良いので特に気にすることはなかった。
ゆっくり用を足していたのか、私が最後の乗客だった。一人旅だと、用を足している間にバスが行ってしまわないか不安が残るが、二人以上いると誰かが止めてくれている安心感がある。そのせいか、ゆっくりしてしまったのかもしれない。
私を乗せたバスはドアを閉め、再びラオス国境を目指して細長いベトナムの国土を南下し始めた。今度は食後ということもあってか、ワカナミも私もすぐに眠りに落ちる…はずだったが、すぐには寝付けなくなる事情が発生した。大音量で音楽が鳴り始めたのだ。
「この音量で寝るのか…」
「運転手が寝ないためなんじゃない?」
イヤホンで別の音楽を聴いていても十分に入ってくる音量である。かなりうるさい。ここで寝るのか…これには流石に参ってしまった。頭を抱えながらiPhoneをいじる。まだ電波が入るようでインターネットにも接続できる。暇は潰せるが、あまり電池を使いすぎてもいざという時に使えなくなってしまう。私はネットサーフィンもほどほどに眠りにつこうとした。疲れからか意外とすぐに眠りに落ちることができた。眠った我々をバスはベトナム・ラオス国境へと運び続けた。
(続く)
旅程表
2018年9月16日 "我々の偉大な旅路" 3日目 ハノイ
午後5時頃 Rendez-vous Hanoi Hostel を出発
午後6時頃 Bến Xe Nước Ngầm (バスターミナル) に到着 ラオスへ出発
午後7時頃 寧平(Ninh Bình)で荷物の積み込み
午後9時半頃 清化(Thanh Hóa)で休憩
(時刻はすべてハノイ時間)
主な出費
飲み物 40,000 ドン (旧市街の売店にて)
バナナ 20,000 ドン (行商人の押し売りにて)
7-2 越老国境編 続きはこちらから