ハノイのカトリック(我々の偉大な旅路 6-3)
↑こちらのシリーズの続きです。
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1万の押し売り
フォーを啜りスープを飲み干した後、再び太陽が照りつけるハノイの旧市街へと繰り出した。少し歩くだけでも汗が滲み出てくる。9月とはいえ真夏の気候だ。行く宛があるわけでもない真夏のハノイの街を我々は歩き続けた。
「Japanese?」
街を歩いていると現地の人に声をかけられた。わざわざ観光客の我々に話しかけてくるなんて、怪しい人に決まっている。私は無視した。しかし、彼女はしつこく我々を追ってくる。パンの籠を携えて我々に話しかけてきている。パンの行商人のようだ。
「Yummy. Service.」
どうやら無料でプレゼントしてくれるようだ。試食みたいなものだろう。
「一個くらいならもらってもいいか。」
「俺はいいよ」
ワカナミはいらないようだが、私は少し食べてみたくなったので、この行商人からパンをもらうことにした。彼女はトングのようなもので私へパンを差し出した。先ほどからずっとパンをこちらの方へ向けていたのだが、私が手を差し出すとパンを私に渡してくれた。
「あー、まあ美味しいな」
特別に美味しいというわけではなかったが、普通に小麦の香りが心地よく美味しいパンだった。小さいパンだが、歩いて体力を消耗しているハノイの散歩のお供にはちょうど良かった。
「Yummy. Thank you.」
そう言って去ろうとすると、行商人は「買わないのか?」といったニュアンスのことを言ってきた。私はジェスチャーで「お腹いっぱいだからいらないよ」と伝えた。しかし、彼女は血相を変えて「さっき食べたじゃないか。お金をよこせ。」と言ってきた。
「ほぼ強引に押し付けてきたのはそっちじゃないか」
「そういうやり口なんだろうね」
警戒せずに易々と試食をさせてもらった私にも非があるが、これでは押し売りではないか。私は不機嫌になったが、お金を払うことにした。
「How much?」
そう尋ねると、彼女は10,000ドン札を見せてきた。10,000ドンのようだ。10,000ドンというと、日本円にすると50円。押し売りにしては良心的な価格な気がする。私はすぐ10,000ドン札を差し出すと、彼女は満面の笑顔でその場を去っていった。
「まあ50円ならぼったくられてもいいな。」
「美味しかったんでしょ」
「美味しいパンだったよ。旧フランス領だからパンも美味しいのかな。朝のも美味しかったし。」
そんなことを話しながら我々はハノイ旧市街の散歩を続けた。
ハノイ大教会
ハノイの旧市街を歩いていると、通りが開けて広場へと出た。広場の奥を見るとノートルダム大聖堂にも似た、西洋風の大聖堂が聳えていた。ハノイ旧市街のシンボル、ハノイ大教会だった。
「フランス統治時代の名残だね」
ワカナミが言う。
ハノイ大教会は正式名称を聖ヨセフ大聖堂と言い、カトリックの教会のようだ。やはりフランス統治時代に建てられたもので、ヨセフとはインドシナの守護聖人の名前のようだ。
今日は日曜日でミサをやっているらしい、信者と思しき人々が教会の前に数多くみられた。我々のような観光客、ただ遊んでいるだけの近所の子供たちなどでも賑わっており、日曜の広場は活気があった。
我々はどちらから言い出すでもなく自ずと聖堂の入り口に来ていた。見学は自由にできるようだ。我々は他の見物客と一緒に聖堂の中へと入った。
聖堂の中は灼熱の太陽から身を隠せるので涼しい。また、白い壁に覆われ、信仰の場所であるがゆえに静粛な空気が漂う建物の中は、体感温度をさらに低く感じさせた。決して音のないわけではないし、話し声も普通に聞こえる程度ではあるが、それでも外の喧騒を忘れさせるのは宗教施設だからなのだろうか。
信者たちが腰をかけるであろう椅子の並んだ広い建物を奥へと進み、祭壇の手前にまで来た。頂点に十字架が掲げられたステンドグラスがそびえる。東南アジアのベトナムで目にするキリスト教会。歴史を鑑みれば当然ではあるのだが、アジアの喧騒の中に存在する西洋文化は異質であるように感じた。もっとも、キリスト教会は日本にもあるし、キリスト教文化は日本にも溢れるほど存在している。キリスト教は裏を返せば自文化に近い存在でもある。遠いはずのキリスト教が近くのベトナムにある、はたまた近いはずのキリスト教が遠くのベトナムにもある。不思議な感覚がした。
ミサが始まるようだ。聖堂の中が少し騒がしくなっている。我々見物客は大人しく聖堂の後ろへと下がった。見物客もそのまま中にいていいようで、我々を初めとした外国人観光客を中心とした見物客は後方で儀式を見守った。
「そろそろ出ようか」
私は小声でワカナミに促す。ワカナミは承諾した。私は聖堂の後方に置いてある募金箱へ、手元にあった2,000ドン紙幣を寄付して聖堂を去った。2,000ドン、日本円にして10円である。ケチ臭いが、今回手持ちのドンはわずか600,000ドンしか持ち歩いていない。この先の旅路のご加護を…、とはお願いしないので、せめての見物料として2,000ドンを寄付したのである。
ハノイキッズのドローン遊び
再び灼熱のハノイの街へと放り出された我々は、聖堂の前の広場の一角に腰を下ろした。ミサが始まっても聖堂の外には信者ではない者たちが多く集まっており、それぞれ思い思いに遊んでいた。特に目立ったのは小さい子供たち。中国でもそうだったが、少子化が進む日本からくると、街角で出会う元気な子供たちがとても印象的に映る。
「日本と違って小さい子どもたちが多いよな」
私はワカナミに思ったことを言う。
「にぎやかだよね」
「未来が明るくていいよな。これからの豊かな国の姿が見える。」
広場を駆け回っている子どもたちを眺めていた。彼らがこれから先のベトナムのさらなる発展を背負っていくのだろう。初めて訪れる国の知らない子どもたちを通して勝手にこの国の将来を夢見ていた。
「ウィーーーーン」
どこかで聞いた機械音がした。音のする方を振り向くと二人組の小学校低学年くらいの男の子たちがドローンを飛ばしていた。街を飛び交うドローンは中国でしか見られない光景だと思い込んでいた。ドローンで遊ぶ子供たちがベトナムにいるとは。我々は興味深く彼らを見つめた。ドローンを操縦している少年はドローンを彼の手前へ着地させた。もう一人の少年もドローンを見つめている。するとその時、彼は足元にあったサッカーボールを蹴った。ほんのひと蹴りだったが、ボールはドローンにトンっと当たった。リモコンを持った少年は何やらリモコンを操作しているようだった。しかしドローンは動かない。ドローンは壊れてしまったようだ。
ドローンが動かなくなる瞬間を見つめていた我々は苦笑いしながら彼らを見守った。少年たちは何やらベトナム語で会話をしている。喧嘩をしているようではなかった。
「なんか儚いね」
ワカナミはそう言った。儚いドローンの一生を見送った我々は聖堂前の広場を経った。
書店街を往く
教会から10分ほど歩くと旧市街を抜けたようで、立派で大きなビルが立ち並ぶエリアに入った。官公庁や大きなホテルなどがあるエリアで、道も広く整然とした街並みになってきた。
大きな通りを大量のバイクが行き交っている。バイクに乗っている人たちはみんな暑そうだが、二人乗り三人乗りと体を重ね合わせて街を移動している。はたから見ると暑苦しそうだが、東京の満員列車よりはマシなのかもしれない。
そんなことを思いながら新市街を歩き続けると、大きなビルの間に挟まれた歩行者天国のような通りが道の向こう側に見えた。
「あそこなんだろうね。」
「ホコ天みたいになってる。」
我々はそのホコ天に興味を持ち、道を横断した。通りの入り口には本を開いたモニュメントが建っている。書店街なのだろうか。
「書店街?」
「みたいだね」
「ちょっと調べてみる」
そういうと私はiPhoneでGoogleマップを開いた。正解。ここは「Phố sách Hà Nội」という通りで、英語では「ハノイブックストリート」。まさに書店街だった。
書店街といっても東京の神田のような雰囲気ではなく、歩行者天国の通りに小さなコンビニサイズの書店が並び、通りには軽食を売るお店やベンチがあり、老若男女が集うおしゃれで文化的な通りといった感じだった。
涼むのもかねて我々は通りの一番手前にある書店へと入ってみた。当たり前だがベトナム語の書籍がずらりと並んでいる。何が書いてあるかさっぱりわからないが、表紙でなんとなく内容がわかるものもある。これはトランプ大統領について書かれている本、国際情勢に関する本だろう。これは習近平。中国について書かれているのだろう。
読めない文字の背表紙を眺めながら書店の奥に進むと旅行書のコーナーがあった。日本でいうと「地球の歩き方」のような本が並んでいるコーナーだ。ベトナム人にも海外旅行は人気で海外旅行について書かれている本も需要があるということだろう。私は「Nhật Bản」という国の本を手に取ってみた。Nhật Bảnというのは日本のことである。アジア有数の世界都市・Tokyo。独特の文化や食が溢れる・Osaka。ベトナム人が見る我が祖国の観光地はこんな雰囲気なのかと思いながらページをパラパラとめくった。
「こっちは漫画だ」
ワカナミが隣の列で呼びかける。私はワカナミの方へ行くと、そこは日本で見慣れたマンガが並ぶコーナーであった。
「ドラえもんはそのままĐôrêmonなんだね」
「どれーもん」
「よくみたらaが落ちてるね」
漫画に明るくない私でも読んだことのある王道作品が並ぶ。日本文化はここベトナムの地でも受け入れられているようだ。祖国の誇れる文化がこうして遠い異国の地で感じられることは素直に嬉しかった。
書店の中をぐるりと一周し、地図のコーナーを見つけた。ベトナム国内の地図はもちろん、世界各国の地図もある。ベトナム国内の地図も子供向けのものや、観光向けのものなどたくさんの種類がある。
最近でこそ機会は減ったが、私は海外に行くと必ずと言っていいほど、その地の地図を買ったものだった。グアムではアメリカの地図を買い、韓国では朝鮮半島の地図を買った。香港や深圳では街歩き用の小さな地図を買った。台湾でも台湾島の高速道路地図を買った。はじめて行く場所では必ず地図を買っていたが、今回は荷物が多くなるとのちのち困るので、広州や南寧では地図を買っていなかった。見つける暇がなかったというのもある。
本棚のなかから薄い1枚の地図を見つけた。広げるとベトナム全土の地図になるようで、当たり前だが地名もベトナム語で書かれていた。このサイズなら旅の邪魔にもなるまい。私はその地図を持ってレジへと進んだ。会計は33,000ドン。さきほど押し売りされたパン4個分。日本円にして170円である。バックパックにも財布にもやさしいこの地図を手にして、私は満足して書店をあとにした。
さっそく通りのベンチに腰をかけ地図を広げる。
「ここが南寧で、いまここのハノイにいる。ここにくるまで、ランソンやバクニンという場所を通ってきた。」
「真ん中ほっそ」
ワカナミがベトナム中部を指して言う。ベトナム中部は一つの省が南シナ海とラオス両方に接しており、その幅はとても狭い。幅が狭い国というとチリを思い出すが、ベトナム中部もなかなかの細さだ。
「そして目指すのはここ」
ラオスの首都ヴィエンチャンを指して私は言う。チケットは既に取ってある。ハノイから海岸線を通り、内陸国のラオスへ抜ける。おそらく通るであろうルートを指でなぞった。近いような遠いようなそんな感じがした。
書店街を進むと、アイスクリーム屋さんがあった。こんな暑いハノイではさぞかし盛況なのであろう。多くの人々がアイスクリーム屋さんの周りでアイスクリームを食べていた。
今回両替したベトナムドンは3,000円分。節約しなければならないが、外の熱気を考えるとアイスクリームの一個や二個くらい食べてもいいだろう。
「食べていい?」
「どうぞ」
ワカナミの許可を得て、我々はアイスクリーム屋に入った。アイスクリーム屋は各種のフレーバーを揃えていた。サーティーワンアイスクリームことバスキンロビンスの品揃えには到底構わないが、10種類程度のフレーバーがあった。定番のバニラやフルーツ味のものがほとんど。特に珍しいものがなかったが、一番ベトナムっぽいと感じたココナッツ味のアイスクリームを選んだ。価格は20,000ドン。日本円にして100円だ。やや小さいし、これくらいなら日本のコンビニでも同じくらいの値段で売っている気がするが、まあいいだろう。30度超えの炎天下で食べるココナッツアイスは美味しかった。
書店街のベンチでアイスクリームを食べながら、我々は次なる目的地を探した。例によってGoogleマップを見てみると、このあたりには「警察博物館」「捕虜収容所博物館」「女性博物館」の3つの博物館があるらしい。
「ベトナム戦争時代に捕虜収容所として使われていた建物が博物館として公開…ハノイの警察の歴史を展示…ベトナムの女性の歴史や文化…」
ネットの情報をそのまま読み上げる。
「どれも面白そうだね」
「捕虜収容所はハノイヒルトンって呼ばれてる有名なやつらしい」
「捕虜収容所にしようか」
「あ、でも、ここ入館料かかるけど、警察博物館は無料らしい」
「今回はお金ないし、警察博物館でもいいか」
「距離も近い」
ということで、我々は無料で距離も近い警察博物館を目指すことにした。
(続く)
旅程表
2018年9月16日 "我々の偉大な旅路" 3日目 ハノイ
午前10時半頃 聖ヨセフ大聖堂 を見学
午前11時頃 ハノイブックストリート を散策
(時刻はすべてハノイ時間)
主な出費
押し売りされたパン 10,000 ドン
教会への寄付 2,000 ドン
ベトナムの地図 33,000 ドン (ブックストリートにて)
アイスクリーム 40,000 ドン (ブックストリートにて)
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