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今の気分をChatGPTにエッセイにしてもらった。
私の何の工夫も面白みもないただの呟きを、ChatGPTに頼んで1,000文字くらいに膨らませてそれっぽいエッセイにしてもらうという遊び。
Shino:眠い、そろそろ寝ようか。でも食器洗うのめんどくさい。寒いからコタツから出たくない。
コタツと眠気と食器の話
眠い。そろそろ寝ようかと思うけれど、どうしても立ち上がれない。
目の前には、洗い物を待っている食器たち。そして、ぼくはその向こうにあるキッチンを眺めながら、まるで遠い国の話を聞くような気持ちでいる。
コタツの中は、あまりにも心地よい。
外の寒さを忘れさせる魔法のようなぬくもりに包まれたら、立ち上がるなんて誰が考えられるだろうか。寒いキッチンのタイルの感触や、冷たい水が手に当たる感じを想像するだけで、「明日やればいいじゃないか」と囁くもうひとりの自分が現れる。
でも、こうして先送りしていると、明日の朝の自分が困るのも知っている。
朝の忙しい時間、キッチンに洗い物が残っているだけで、なんだか気分が悪い。昨夜の自分が仕事を押しつけてきたときの、あのうっすらした苛立ち。どうしても思い出してしまう。だから、結局は今日の自分がやるしかないのだ。
コタツでぬくぬくしながら、ぼんやり考える。
食器を洗うという行為そのものは、そこまで大変なことではない。たかが数分間、水を流しながら手を動かすだけの話だ。だけど、その「立ち上がる」という最初の一歩が、どうしてこんなにも難しいのか。コタツのぬくもりには、ぼくの意思を吸い取る力があるのかもしれない。
眠気もまた、行動を妨げる大きな力だ。
「あと5分だけ」とか「このまま目を閉じてしまおう」とか、眠りはときに理屈を超えてぼくを引き込もうとする。キッチンの冷たい水よりも、眠るという選択肢の方がずっと魅力的に思えてしまう。
でも、ここで思う。
ぼくが眠る前にほんの少し頑張ることで、明日の朝が少し楽になるなら、それは未来の自分への小さなプレゼントではないか、と。キッチンに残る洗い物を見ないで済む明日の自分が、少しだけ幸せになれる。それなら、この寒さの中を、ほんの数歩進んでみてもいいのかもしれない。
コタツから足を出し、ゆっくりと立ち上がる。
キッチンはやっぱり冷たいけれど、ぼくの手は食器をひとつひとつ洗い、少しずつ片づけていく。気づけば、いつの間にかすべての皿がキッチンのラックに収まっている。達成感というほどではないけれど、ささやかな満足感が胸に広がる。
そして、コタツに戻る頃には、ぼくはすっかり眠る準備ができている。
こうして未来の自分へのプレゼントをひとつ用意して、ぼくは今日を終えることができた。きっと明日の朝、少しだけすっきりした気持ちでキッチンを見渡すことだろう。
コタツと眠気と食器の話。それは、ぼくの中の小さな戦いの物語だ。
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たったあれだけの呟きを、小さな戦いの物語にするとは。
…よし、食器洗って寝るか!
おやすみなさい。