#加藤諦三
好かれるための努力で嫌われる人は多い。そんな努力は無駄である。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
好かれるための努力で嫌われる人は多い。そんな努力は無駄である。
by 加藤諦三
「好かれようとする努力よりも、相手を好きになる努力の方がよっぽど大切」なのだと勝手に理解しました。相手から好かれようとしても、私を好きになってもらえうかどうかは相手次第。しかも、私のことを正しく理解して受け入れてくれるかも分からないのです。なので、余りにも不確定すぎる努力は
損得だけで生きていくと、最後は大きくつまずきます。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
損得だけで生きていくと、最後は大きくつまずきます。
by 加藤諦三
「長い人生において、その時の損か得かという判断は当てにならない」のだと勝手に理解しました。また、「人生というのは、目先の損得勘定などに収まるような小さなものではない」のだとも理解しました。なぜなら、社会情勢や世界は常に変化していますから、損か得かという状況が目まぐるしく変わるのは当たり
現実を否認すると、ものすごいエネルギーを消耗します。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
現実を否認すると、ものすごいエネルギーを消耗します。
by 加藤諦三
「現実を否定しながら問題を解決しようとしても、それは難しいことの連続でしかない」のだと勝手に理解しました。現実があるからこそ、そこから問題が発生したり、人の意識の中に葛藤が生れます。つまり、現実の中に問題や葛藤の本質が隠れているわけで、現実に目を背けながら問題を解決しようとしたり葛藤
人は心理的に病んでいない限り、最後には一緒にいて楽しい人のところにいく。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
人は心理的に病んでいない限り、最後には一緒にいて楽しい人のところにいく。
by 加藤諦三
「人は打算的でない限り、一緒にいて“疲れる人”よりも“楽しい人”の方を選ぶ」のだと勝手に理解しました。個人的には、一緒にいて“疲れる人”というのは気分にムラが多かったり、いつも自慢話しになる人や立場によって態度を変える人が思い当たります。逆に一緒にいて“楽しい人”
起きた事はどんなことであれ、何かを教えてくれます。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
起きた事はどんなことであれ、何かを教えてくれます。
by 加藤諦三
「起きたすべての出来事には、何らかの意味がある」のだと勝手に理解しました。予期せぬことが起こるのを、自分が止めることはできないと思います。何故なら、予期していないことだから。でも、人生の曲がりくねった道の一部として、予期せぬことを受け入れて、そのうえで次の展開に任せることもできるのだと
人は、自分ができる事をする。それで良いのです。by 加藤諦三
おはようございます!
ドスコイ中原です。
人は、自分ができる事をする。それで良いのです。
by 加藤諦三
7つの習慣では、「影響の輪」と「関心の輪」という言葉が出てきます。私たちの関心事ではあるけれど、自分では変えたり影響することができない事柄を「関心の輪」、その中でも私たち自身で変えたり影響したりできる事柄を「影響の輪」と呼んでいます。主体的に物事に取組むということは、努力と時間を「影響の輪