特集:杉原千畝氏のフィンランド在勤時代(3) 不可解な「ヨハンソン・レポート」
前回、前々回と分けて、杉原千畝氏のフィンランド在勤時代を特集してきたが、実際のところ、フィンランドに残る彼の活動に関する史料は限られており、いくつかの事実が判明したに留まっている。
更にフィンランド国内に残る「杉原史料」には、ほぼ確実に明確な目的を持って作成(偽造の可能性もある)されたものも含まれており、戦間期から第二次世界大戦直後のフィンランドを巡る国際情勢の複雑さをも反映している。
筆者はこの怪しい一次史料を通称「ヨハンソン・レポート」と呼んでいるのだが、1939年2月に書かれた、フィンランド公安警察(第2回の記事に登場したEK、1939年当時はVALPOと改称)の報告書になる。
この報告書の中で、杉原千畝氏は明確にフィンランド公安警察の監視対象であった事が示唆されており、公安警察の秘密協力者である”スヴェン=ヨハンソン”(Sven Johansson)を通じて(杉原氏は当然公安との繋がりは知らなかったと思われる)、フィンランドに入国するソ連国籍者の名簿などを入手していたとある。このヨハンソンなる人物は偽名で、1939年2月下旬の報告内容ではコードネームを「ヴェルマラ」(Vermala)に変更したいと公安警察側に申し出ている。
ヨハンソン(ヴェルマラ)は杉原氏から合計で600マルッカを受け取っており(当時のレートで5,400米ドル相当)、そのうち200マルッカを「グランド・ホテルのアビエリカリセッレ女史(?)」へ、さらに200マルッカを「セウラフオネ・ホテルのアバンティノフ(?)」へ支払い、ヨハンソン自身は200マルッカを報酬として受け取ったとされている。
ヨハンソンはソ連からフィンランドへの入国者に関する情報収集の為に、ヘルシンキ市内のホテル名(恐らく報酬の受け取り場所か)と偽名(通常、この類の報告書に協力者の本名が載る事は無い)で暗号化した協力者を複数抱え込んでいたと推察される。
ヨハンソンはこの報告書の中で、フィンランド公安警察に対し、自身の協力者らが非効率的に情報収集に難がある事を伝え、杉原氏に対しても「この秘密情報網は戦時にだけは役立ちそうですね」と述べると杉原氏が笑っていた事が書かれている。
また、ヨハンソン自身が感じたのは日本の諜報活動は全体的に愚かであり、レベルが低く、フィンランド公安警察側も積極的に杉原氏の諜報活動に介入する必要が無いとまとめている。
―この史料の信憑性については残念ながら低く、公安警察のファイルにあったものを筆者が発見したのだが、そもそも1939年2月に書かれた報告書が単体で「日本のスパイ 1945年」というファイルにポツンと切り離されて放り込まれており(公安警察側の1939年までの杉原千畝に関する資料はほぼ別ファイルに完璧にまとめられている)、その時点で違和感が拭えなかった。
杉原氏以外で、1945年にフィンランド公安警察の調査対象になった「日本のスパイ」らは第二次大戦中にヘルシンキ大学で教員を務めた、日本人哲学者の桑木務(くわき・つとむ)や駐フィンランド日本大使(1940-44年)の昌谷忠(さかや・ただし)であり、1939年夏までにフィンランドを去って次の任地リトアニアへ向かった杉原千畝氏(1945年当時は在ルーマニア日本公使館員だったが同国へ侵攻したソ連軍に抑留されていた)をこのメンツに加えるのは更に違和感が増す。
史実としては1944年秋にソ連と講和したフィンランドは、ヘルシンキに置かれた連合国管理委員会(ACC)と呼ばれる米英ソの代表らによってその外交・軍事行動などを監視される事になった。
しかし、ヨーロッパ西部戦線では米英軍とドイツ軍の死闘が続いていた事やフィンランドはソ連の勢力圏となった東欧地域に程近く、実質的にACCの実権を握ったソ連はフィンランドへの内政干渉を繰り返した。
特に第二次大戦終結直後、ソ連側はフィンランドを共産化しようと「フィンランド民主同盟」という政党を支援し、民主主義政権転覆を図って、国内で度重なる騒乱を起こしたのはよく知られている。
その流れの中で、ソ連側は戦前から対ソ諜報を行ってきたフィンランド公安警察の解体にも着手した。フィンランド政府への外交的圧力によって、内務大臣を共産主義シンパに置き換えたソ連は公安警察内部の大規模な人員整理を始めた。反ソ的思想を持つ職員らは追放され、代わって共産主義シンパが大量入省し、1940年代のフィンランド公安警察は実質的に骨抜きにされていたとされている。
果たして、このような状況下で書かれたと思われる「ヨハンソン・レポート」にいかほどの信憑性があるのか。
筆者としては1945年当時、ソ連軍占領下のルーマニアで抑留されていた杉原千畝氏とその家族を脅迫するために、フィンランド在勤時代の同氏の諜報活動をでっち上げた(内容についてはある程度真実であると思われる)報告書をソ連の息のかかった公安警察に作成させたのではなかろうか、と思っている。
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