特集:杉原千畝氏のフィンランド在勤時代(1) ソ連渡航拒否とヘルシンキ赴任
第二次世界大戦中のリトアニアにおけるユダヤ人救出の功績を讃えられる日本人外交官・杉原千畝氏。
その杉原氏がリトアニアの前に赴任していたのは、フィンランドの首都ヘルシンキだった―
満州でロシア語を専攻し満州国外交部に勤務、日本とソ連間での北満鉄道売却交渉などで活躍した杉原氏は次の任地としてソ連を希望していた。しかし、ソ連政府は日ソ間鉄道売却交渉で暗躍した杉原氏の亡命ロシア人の人脈を理由にペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata ※「好まれざる人人物」)を通告し、ソ連赴任を拒否した。
そのため、杉原氏の次の任地はソ連の隣国である、ヨーロッパの国フィンランドにある日本公使館となったのだった。
1937年、杉原千畝氏はヘルシンキに赴任し、北欧における初めての職務に就く事となった。杉原氏の在フィンランド日本大使館内での職務については細部が判明していないが、赴任から1年ほど経った1938年2月の在フィンランド外交団リストには肩書が「大使館員」(Attache)とだけ記されている。
後年、夫人の幸子(ゆきこ)さんの回想によると、杉原氏在勤時の上司にあたる参事官の平田稔(ひらた・みのる)は幸子さんをホステス代わりに各種行事に連れ出して、杉原氏の不興を買っていたという。この件と杉原氏がフィンランド在勤時に自動車運転免許を取得した件は決して無関係では無く、元々、ヘルシンキ都心部に住んでいた杉原氏らが車で30-40分もかかる郊外の屋敷へ引っ越したのも平田の一件があっての事だろう。
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