「フラッシュバック」を「ブラッシュアップ」に ― 元社会孤立者が社会変革に挑戦する
自己紹介と現在の挑戦
こんにちは。signers(サイナーズ)の那珂です。
いま私は、AR技術を用いた「補聴グラス」と、リモート手話通訳派遣プラットフォームの開発に取り組んでいます。
耳が聞こえない、あるいは聞こえにくい方々の生活からコミュニケーションの壁を取り除き、人と人が当たり前に意思を交わし合える社会を作りたいと考えています。視線を向けた先にリアルタイムで字幕や手話通訳が浮かび上がる仕組みを整えれば、「聞こえない」という理由だけで社会から孤立してしまう人が減るはずだと信じているのです。
この記事では、私がこの挑戦をする原点について書こうと思います。これまではあまり私の人生について語ることはありませんでした。とても恥ずかしく、また思い出すのも嫌に感じ、自分の中に封印してきたのです。しかし、この話がだれかの希望になるのではないか。そう感じた時、ようやく少しずつお話することができるようになりました。
実は私は幼い頃から「社会から完全に孤立した人間」でした。まずは、その理由をお話ししたいと思います。
幼少期からの宗教生活と社会的孤立
私の母は、私が3歳の頃にとある宗教にのめり込みました。幼少期から母の信仰する宗教に深く関わり、宗教組織では「世の人」と呼ばれる、信者以外の方々、すなわち一般社会との接点をことごとく断たれて育ちました。幼稚園にも通えず、高校を卒業しても「世俗の学問は悪」とされて大学進学を諦めざるを得ませんでした。宗教では週に何度も集会へ出向き、祝いや行事ごとを一切認めない厳しい戒律があり、さらに母や信者仲間と共に布教活動に駆り出される生活でした。そこでは、一般社会の人々との交流は“罪”とされ、戒律に違反すれば即座に“宗教裁判”にかけられ、排斥(破門)を言い渡されてしまう。その排斥が下れば、信者間でしか作ることのできなかった友人をすべて失い、家族ですら私との連絡を断たなくてはならない。これまで繋がりを形成できなかった社会の中で、これからは1人で生きていかなければならない。想像を絶する孤立のリスクが、常に私の頭上にのしかかっていたのです。
しかし、それでも心のどこかには「いつか自由になりたい」という思いがありました。26歳のとき、私は戒律を破ったことで実際に排斥を受け、家族との縁も一瞬にして絶たれました。宗教の世界から放り出されても、社会のほうにもほとんど接点がない。しかも、当時の私は原因不明の病気を抱えていて、外出先で意識を失って倒れることが頻繁にありました。これからは突然倒れたとしても、家族が駆けつけてくれることは決してないのではないか。もしもそれが死に面した状況だとしても。
そして、恐れていたことが実際に起きてしまいます。破門から2年近く経ったころ、外出中に意識を失い救急搬送されました。心肺が停止した状態でICUに運ばれます。病院スタッフが家族に連絡し、危険な状態なためすぐに来てほしいと伝えましたが、結局誰1人として来ることはありませんでした。懸命な治療により、なんとか一命を取り留めましたが、回復後にその現実を知り、宗教、とりわけ自分自身で望まずに信仰を押し付けられる、いわゆる二世信者の環境がいかに恐ろしいものなのかを実感し、精神的に不安を感じるようになりました。まるで世界のどこにも自分の居場所がないような絶望感に襲われました。自分はただ、生きているだけでいいのだろうか、と繰り返し問いかける日々が続いたのです。
手話との再会がもたらした気づき
自分自身の存在の意義を見出すため何かできないかを模索していました。私は幼い頃から「誰かの助けになりたい」という気持ちが強くありました。
そんなある日、15歳のころ独学で学んでいた手話のことを思い出しました。成人後はそんなに頻繁に手話を使うことはありませんでしたが、学習していた頃は日常生活レベルの会話が可能でした。当時学んだ技能を生かしてなにかできないか、その思いから、聴覚障害について本やインターネット記事を読み漁るようになりました。
そんな時、ヘレン・ケラーの逸話に目が留まります。彼女は見えない・聞こえない・話せないの三重苦を患っていました。
――「もし神様が障害をひとつだけ取り除いてくれるのなら、あなたは何を望みますか」。
彼女はそう質問された時、「聞こえないこと」と伝えます。私は少し意外に感じました。目が見えないことのほうがよっぽど生活に支障をきたすのではないかと感じたからです。
なぜ「聞こえないこと」を選んだのか。彼女はその理由について「見えないことは人と物とを切り離す。しかし聞こえないことは人と人とを切り離す」と答えました。
この言葉を知ったとき、私自身が深く味わってきた孤立の痛みと結びつきました。耳が聞こえないことで、人と人との繋がりから孤立してしまう。家族にも会えず、社会からも疎外されていた自分の境遇と重なり、強い共感を覚えたのです。
私が据えた新たな目標とビジョン
宗教生活のなかで強く感じていた「孤立感」が、耳が聞こえない方々が置かれている状況とどこか重なって見え、彼らの気持ちを少しでも理解し、同じ立場に立つことができるのではないか、そしてそれを解消する一助となれないか――そう考え始めた瞬間から、私の中に明確な目標が生まれました。
それがAR技術を取り入れた「補聴グラス」の開発と、いつでもどこでも手話通訳を呼び出せるリモート通訳プラットフォームの開発に繋がりました。もしこれが完成すれば、耳が聞こえない方や難聴の方がさまざまな場所で瞬時に手話や字幕を受け取れます。病院や役所、学校、職場、さらにはレストランなどの日常生活の場面でも、誰かに付添いを頼むことなく自立したコミュニケーションを実現できる可能性があります。実際、多くの方々が「聞こえないことで感じる孤立」を克服し、自分の可能性を思いきり発揮できるようになるのではないでしょうか。
私は現在の事業ビジョンとして、「すべての人が障壁なく繋がり合える世界を実現する」ことを掲げています。
耳が聞こえないことだけでなく、さまざまな事情で孤立を余儀なくされている人は、私のように「生きる場所がない」と感じることがあります。宗教や家庭環境、病気、障害、いじめ、差別――その理由は人それぞれかもしれません。私の取り組む技術が直接支援できるのは主に聴覚障害の分野かもしれませんが、「孤立する気持ちを理解する」ことが出発点である以上、その恩恵は耳の聞こえない方々にとどまらないと信じています。コミュニケーション手段が広がれば、自分が社会に受け入れられているという実感を得やすくなり、それはきっと人が前に進むための原動力になるはずです。
孤立は決して「終わり」ではない
さらに、この補聴グラスやリモート手話通訳システムを普及させることは、私が「社会から排除された人間」であったからこそ成し遂げられるのだと思っています。孤立の苦しみや、家族を含めた人間関係が一夜にして崩れ去る恐怖は、何よりも深く私の心を傷つけました。そのトラウマは今もフラッシュバックのように蘇ることがあります。しかし、その痛みこそが「このままではいけない」という決断を促し、行動へ移す原動力になりました。かつて孤立していた私が今は「社会を変える」側に回っているという事実は、同じように孤立を感じている誰かにとっての希望の光になるかもしれないと思っています。
言い換えれば、私はこの事業を通じて、「孤立は終わりではない」というメッセージを広く届けたいのです。どんなにつらい状況にいても、自分の人生をあきらめずに踏み出してみれば、新たな道は必ず開ける。私は、信じていた家族やコミュニティから見放され、どこにも行き場がないと思い込んでいました。けれども、そうした苦しみが思いがけない形で“使命”に変わったのです。もし私の活動を見て、少しでも「自分にも何かできるかもしれない」「もう一度だけ信じてみよう」と思う人が増えてくれたら、この上ない喜びだと感じています。
過去の苦しみを未来への原動力に
孤立が生んだ悲しみを、自分の人生の価値へと転換していく。そのプロセスは決して簡単ではありませんし、私もまだ道半ばです。けれど、過去の苦しみを無駄にせず、未来に活かす生き方は必ずある。私は「補聴グラス」という最先端の技術と、リモート手話通訳による人と人との繋がりを通じて、それを証明していきたいのです。耳が聞こえない方々が活躍できる社会をつくることはもちろん、そこからさらに広がっていくコミュニケーションの可能性が、孤立する人を減らし、希望を見出すきっかけになると確信しています。
孤立を抱えるあなたへのメッセージ
最後に、いま苦しみの中で孤立を感じている方に、どうかあきらめないでほしいとお伝えしたいです。私もかつて、家族や社会とのつながりを失い、自分の存在を否定されたように感じていました。それでも、絶望の底で思い出した手話をきっかけに、こうして新しい道を歩むことができています。あなたが抱えている痛みも、いつか誰かの背中を押す勇気に変わるかもしれません。孤立が続くように見えても、あなたの歩みは決して無意味ではありません。苦しんだからこそ見えるものがあり、そこにこそ人の「力」と「思いやり」の芽が隠れていると信じています。
フラッシュバックが訪れるたび、その過去を、私の人生を「ブラッシュアップ」する機会に変えていく。社会から孤立した人間であった私はそうやって、社会を変える側に立とうと決めました。どうか、同じように孤立を感じている方も「一歩だけ」を試してほしいです。いつの日かきっと、その勇気が大きな希望の花を咲かせると信じています。孤立から見上げた景色は暗いかもしれませんが、そこから小さな一筋の光を見つけることは、決して不可能ではないはずです。私自身、その光を見つけました。だからこそ、あなたにも必ず見つけられると願っています。
「フラッシュバック」を「ブラッシュアップ」に。社会から孤立していた私は、社会を変えるために、今日もまた一歩前に進みます。