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IMAKIRIエッセイ ~いまどきのキリスト者の静かな日常

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IMAKIRI〈いまどきのキリスト者〉である私の暮らしをのんびり発信しています。日々の出来事や思うこと、猫との生活、料理やガーデニングなど。ときには聖書の話も。空はいつも美しく、…
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#聖書

私がnoteで発信していること ~いまどきのキリスト者の静かな日常

 ときどきnoteで「自分のクリエイターページ」を開き、記事のラインナップを眺めます。猫、料理、詩、エッセイ、聖書、読書や他コンテンツの紹介と、いろいろなものが並んでいて、私のページはほんとうにつかみどころがないなあ(笑)と、思います。  でも、自分なりには、ひとつのテーマがあるのです。  それは、「いまどきのキリスト者の静かな日常」。  どうして「静かな」という形容詞がつくの? というと……昨今の流れにのって「ゆるい日常」としてもいいところですが、「ゆるい」という言葉の多

寄り添い、救う

 じわじわと心が疲れてきて、元気を出したいなーと思い、聖句を求めました。  わたしは小さめのノートに、随時「いいな」と感じた聖句を書き留めるようにしています。自分用の聖句ノートです。  そして、また別の日に「何かいまの気分に合う聖句はないかな」と思ったとき、聖句ノートをめくるのです。  そうやって、今日眺めたのは、数日前に書き留めていた上記の聖句。  心が疲れたときは素直に神さまに寄り添ってもらい、たのもしい救いの手にゆだねよう。  そう思うだけで、安心し、静かな気持

2024年に志す聖句はエフェソから

 今年の私のテーマは「自分を許す」。  年始にそれを決めてから、そのテーマに合う聖句はないかと考えていました。  そしてようやく今日、選び出したのがこちらです。 「赦し合いなさい」の中に、「自分で自分を許す」も含まれると解釈して、2024年はこの聖句を心にとめて進んでいこうと思います。  そして、今年はもうひとつ選びました。  私の場合は仕事柄、「聞く人に=読む人に」「語りなさい=書きなさい」と置き換えて考えたいところ。話すときはもちろん、書くときも、この聖句を志して言

今夜はいよいよクリスマス・イヴ

 夫と2匹の猫とともに、静かに、穏やかに過ごしている休日です。  今夜はいよいよクリスマス・イヴ。  このひとときに感謝して、イエスさまのご降誕に心からの喜びをささげます。 願うのは、愛と平和。 わたしの手は小さくても、 それを実践するひとしずくでありたい。 みなさまの心が、愛と平和に包まれますように。 Merry Christmas! ◇見出しのイラストは、みんなのフォトギャラリーから _kei_さんの作品を使わせていただきました。 ありがとうございます。

2023年のはじめに志した聖句は、Ⅰテサロニケ5:16-18でした

 年初に、今年のテーマにする聖句を選んで手帳に書き込みました。  こちらの記事でもご紹介したとおり、テサロニケの信徒への手紙一の5章16~18節です。   2023年も残り3ヶ月を切ったいま、この聖句をどのくらい心にとめて生活できたかな、とふり返っています。 ・祈りは毎日ささげていますが、「絶えず」とまで言えるかどうか…。 ・どんなことにも感謝する、はとても難しいけれど、どんなことにも感謝の種を探す努力はしています。物事の見方を変える練習ですね。 ・いつも喜んでいる、

カトリックのお祈りの本

 不思議な巡り合わせで、カトリックのお祈りの本が私の手に届きました。昭和46年が初版という、昔の本です。長く、たくさんの信徒を支えてきたものでしょう。  私自身はプロテスタントの教会で洗礼を受けたクリスチャンですが、祈る気持ちに教派は関係ないと考えています。カトリックのお祈りの本は前から読んでみたかったし、大切にしていこうと思います。  今日開いたページには、エフェソの5章8-9節がありました。  手元の本に掲載されているのは昔の翻訳で、イエスをイエズスと表記している時代の

疲れた…ので、聖書のあの箇所を開いてみたら

 このところ疲れが溜まっています。思わず「パトラッシュ…」とアニメ『フランダースの犬』最終回の主人公ネロのセリフがこぼれたことも(そのときは夫が、「俺がパトラッシュか? まあ、そうだな」と応えてくれました・笑)。  それはそれとして、この疲労感をどうにかしたいというか、「とにかく疲れてどうしようもないときは大好きなイエスさまのあのセリフだな」と思い、手元にある新共同訳の聖書を開きました。  実は、リアルで新共同訳聖書を手に取る前に、ぱっとPCの画面で見ようとして、日本聖書

「放蕩息子のたとえ話」へのモヤモヤがすっきり晴れた日

 放蕩息子のたとえ話といえば、聖書に出てくるいろいろなエピソードの中でも割と有名なものだと思います。神さまの愛の寛大さや、悔い改めた者への救いについて、たとえ話を用いてイエスさまが語ったとされる箇所ですが、実は私は以前から、このストーリーに少しモヤモヤしたものを感じていました。  ルカによる福音書の15章11~32節に出ているお話です。  ざっくり言うと、ある父親にふたりの息子がいた。弟のほうが、いわゆる生前贈与の形で財産がほしいと頼み、そのお金を持って家を出て、遠い国で放

らっきょうとパステルと猫でうれしいお知らせ0605 ~ありがとうございます!

 今週も、noteからうれしいお知らせをいただきました。  みなさま、ありがとうございます! ***  今日の横浜は、晴れの月曜日。  私は仕事の調べものなどをして過ごしました。  実は心が疲れていると感じるこの頃、なるべく自分をいたわって暮らしたいと思うのですが、つい余計なことばかり考えて弱音を吐きたくなるときがあります。そんなときは、そういう状態の自分を観察して、この先書いていくものの内容に活かそうと思ったり。  休む、というのも大切な仕事のひとつ。  昔から私は

今日は2023年の聖金曜日。受難日などとも呼ばれます。イエス・キリストが捕縛されて裁判を受け、十字架にかけられて死を迎えたことを思う日。十字架から降ろされた後、日没前には墓に葬られました。木曜日の最後の晩餐からあっという間の出来事だなと思います。 写真は先日近所に咲いていた雪柳。

今日は2023年の洗足の木曜日。イエス・キリストが自らの手で弟子たちの足を洗ってあげて、最後の晩餐をしたという聖書の場面を思う日です。 最後の晩餐のあと、ゲッセマネの祈りからキリストの捕縛、裁判、そして十字架刑へと受難の物語が進んでいきます。 写真は先日、近所に咲いていた春の花。

ホサナ ~今日は2023年の棕櫚の主日

 来週の日曜日はイースターです。  イースターといえば復活祭。イエス・キリストの復活を思って喜びを分かち合うお祝いの日ですが、復活の前にはご受難と十字架上の死があります。  今日から始まる1週間は、その道のりを思って過ごす受難週と呼ばれる期間。始まりの日である今日は、棕櫚の主日と呼ばれています。  棕櫚の主日は、イエス・キリストが地上の生涯で最後にエルサレムを訪問した日。ロバに乗ってやってきたイエスさまを、棕櫚(原語ではナツメヤシ)の枝を手に持った群集が、「ホサナ」と叫びな

今日の発見「祝福する魂」

 聖書協会共同訳の箴言11:25がいい! これは、今日の発見でした。  私が持っている新共同訳では、↓このようになっています。  この聖句は、いわゆる「情けは人の為(ため)ならず」で、他者に慈しみや善を与えれば、それは自分にも恵みとなって返ってくるという意味だと私はとらえています。  余談ですが、近年は「情けは人の為ならず」を「情けをかけて人を助けると、結局はその人のためにならない」という意味だと誤解している人が多いそう。正しくは、「人に親切にすると、やがて良い報いとな

初釜2023

 少し前のことになりますが、9日の月曜日(成人の日で祝日)に初釜をしました。義父が作陶した器に夫がお茶を点ててくれるわが家の恒例行事です。  いくつかある天目茶碗の中から、今年選んだのはこの2品。  お抹茶が入るとこんな感じ。  御茶菓子はひとくちサイズのチョコレートにしました。  わたしは義父の陶芸作品がとても好きなので、年の初めにそれを使わせてもらってお茶を味わうと、いい意味で気持ちが引き締まります。  ちなみに、お茶の作法にはあまりこだわらず、夫と一緒にお茶と