社会と同じ。できないものにはやらせない
常日頃からだらしない選手には「そんなでいいのか?」「まだまだ甘い!」
高校生でも自立を求めていたし、甘い言葉をかけていた記憶は一度もない。
2期生に関しては主将の河西大樹が絶大な信頼もあり、チームとしてはまとまった。有馬先生も「俺が言わずとも河西が言ってくれるから」と。
今ではメディアを通じてよく放送されているベンチから外れた3年生による「引退試合」涙なしでは見られないような構成になっているが母校はこのようなものがなかった。
5月中旬に3年生全員参加の遠征があり、3試合目がメンバーは入れなかった3年生の試合が組まれていた。有馬先生はよく言っていたが「メンバー入れないことは何も恥ずかしくない。実力主義は社会と一緒。ただそこで泣くだとか、この世の終わりのような顔しているだとかをしていると社会に出ても負け癖がつくんだ、高校野球で正々堂々勝負して負けたならしょうがないけど、人生で負けは決まってないんだよ。最後の夏負けたとしても堂々としてれば良い。だからうちはお涙厳禁なんだ」
これは4期生の話だが、この代は東日本大震災があった2011年。夏はノーシードからの抽選となり、初戦は二松学舎大付と1回戦で激突。当時は投手だった鈴木誠也選手(広島東洋カープ)が2年生エースとして在籍していた。
主将が何回も交代したらしい。
有馬先生は厳しいことは常に言うが、僕らを子ども扱いするようなことはない。失敗が多いなら変えられて当然のことだった。
相当苦労したチームだったと思う。3年生だったときの1年生だったため、どんな選手がいたかは正直よく覚えていない。私はこの試合に観戦へ行っていた。5対4で惜しくも初戦敗退となったが、ノーエラーと総合工科らしい試合であった。
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