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気づき、大人とは

有馬先生は日頃から部員に対してこう言っていた。
「俺は大人のチームを作りたい」

1999年から2003年までの5年間で3回も都立が甲子園に出場。
何があったのかと思うぐらい東京の高校野球が変革した。

都立城東が1999年と2001年。都立雪谷が2003年に。
都立城東2001年のチームは有馬先生が異動したため、大学の後輩である梨本浩司監督(現在は母校である都立文京にて監督)が導いたが異動前ギリギリまで指導していたのは有馬先生だ。有馬先生が作ったチームと言っても過言ではない。

この言葉の意味は選手と監督に大人の会話や考えがあったこと。
指導者の目がなくても、選手達が進んでやっていること。

都立城東で監督をされていた有馬先生の日課は放課後に隠れて練習しようとする部員を探して止めていたこと。大人のチームとはこういうことだろう。

入学したての頃にこう言われたことがある。
「大人とはどういう人間かわかるか??」

ー自分を客観的に見れること

簡単に言うと守備で使いたい選手なのに打撃の練習をいつまでもやっていること。
自分はここが弱いとわかっていることはいいと思うのだが、選手起用するのは監督の判断。使われるためにはどうしたらいいのかを客観的に見てわかっていないといけないよということだ。

この部分を教えてもらったことで、社会人になっても生かされている。
自分の長所は何かを考えて仕事をできている。これが大人であり、気づきだろう。

自身の場合だと、野球でレギュラーになることは厳しいと思っていた。
二塁手だったが、後輩にも負けていたし4番手だっただろうか。
一番の武器が明るさ「声」だった。絶対メンバーに入って頑張りたい。
そのために練習では誰よりも声を出して盛り上げて、通る声で選手を鼓舞していた。チームの得点を握る3塁ベースコーチも任された。責任しかなかったが、監督やチームが回せと思う時に回せていること。ここだけ意識していた。

メンバーでも気づきができていた奴が必然的に活躍していた。
高校野球を通じて、社会で通用する人間を育てることが有馬先生の指導であり、モットーだ。

厳しいようだが、気づかなかった奴はいつまでも幼かったような気がする。


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