SHINKUKAN Podicast#141 ヤマムラタケヒロ Part1
SHINKUKAN Podicast#141は#ヤマムラタケヒロさんをゲストに迎えた前半のテキストバージョンです。
おはようございます。音楽プロデューサーそして音楽グローバルマーケッターのWELCOMEMANです。
この番組は世界で今最も注目を浴びてるアーティストから世界のミュージックアワードに関連する楽曲を紹介しつつも、日本の素晴らしいアーティストや音楽をお届けしていきます。
世界と日本の架け橋となる音楽情報発信基地になることを目的としております。
スペシャルゲストアーティストウィークトークセッション、前半、今回は#ヤマムラタケヒロさんをお迎えし、いろいろお話を伺っております。
プロレスラーとして、そしてDJ、音楽プロデューサーとして、本当に幼少期から今までに至るこのマインド、前半、後半楽しくお話させていただきました。それではまず楽曲紹介していきましょう。CREW5で「 The beginning」
WELCOMEMAN:お送りしたのはCREW5で「 The beginning」でした。今回のスペシャルゲスト・#ヤマムラタケヒロさんです。よろしくお願いします。
僕は何回かお会いしてて、いろんな音楽活動だったりとか、プロレスラーとしての活動は伺ってるんですけど、結構、濃い話はしたことないからので今回楽しみです。
ヤマムラ:そうですよね。楽しみです。
WELCOMEMAN:だからこのポッドキャストではそういうゲストの方を根掘り葉掘り深いところまで聞いていくという趣旨になってますので、いろいろ聞いていくと思います。よろしくお願いします。
ヤマムラ:お願いします。
WELCOMEMAN:まず前半はね、音楽を好きになったきっかけとか、特にヤマムラくんの場合はもちろんファンの方は知ってると思いますが初めての方はプロレスラーで音楽プロデューサーですごい面白い肩書き。
ヤマムラ:はいそうです。
WELCOMEMAN:他にいないですよね?
ヤマムラ:聞いたこともないですね。
WELCOMEMAN:逆に今、ヤマムラくんが活動しているDJ界隈でもプロレスラーの方はいない?逆にプロレスラーの方でDJとか?
ヤマムラ:いないです。
WELCOMEMAN:そうですよね。なので幼少期から遡っていきつつこういうスタイルになっていったのを前半に伺いたいんですが、まずちょっと遡ってもらって、音楽を好きになったきっかけ、DJをしたいなと思ったきっかけ、あとプロレスラーとして活動していきたいと思ったきっかけ、これはどっちが先でいつごろなんですか?
ヤマムラ:これはまず音楽ですね。僕は元々小学校1年からエレクトーンをずっとやってたんですね。
エレクトーンを6年間やってて、そのときに野球もやってたんですね。
野球もやってて、同じくエレクトーンもやってて、習い事をいろいろしてたんですけど、そろばんであったりとか、キックボクシングとかをしているうちのひとつがエレクトーンで音楽をやり始めてそこでちょっと曲を作ったりとかしてたのが最初に音楽の触れたときですね。
WELCOMEMAN:ポッドキャストやから伝わらないんですけど、がたいからしてエレクトーンを触ってる印象がないですね。
ヤマムラ:今日も朝のトレーニングからのプールに行ってきましたね。それから髪の毛をセットしてきました。
WELCOMEMAN:さすがやね。なるほど。プロレスより先に音楽の方が早かったというのはちょっと意外ですよね。
ヤマムラ:そうですね。そこから野球がメインだったんですね。もう親父がずっと野球が好きで親父に引っ張られて野球をやって、お母さんは音楽の道に進んで欲しかったらしいんですよ。
WELCOMEMAN:そうなんや。へえ。
ヤマムラ:野球がメインになってしまうんで中学校に進んでも野球をやるわけですね。
ボーイズリーグに入ってそのときに野球が忙しくなるからエレクトーンを辞めないといけないってなって、6年間やってきたエレクトーンをそこで一旦終わったんです。
WELCOMEMAN:なるほど。
ヤマムラ:プロレスは小学校の何年かのときに友達のゲームの影響で好きというか、ちょっと見てて、なんだこの世界はみたいな。
WELCOMEMAN:まずゲームの世界なんですね。
ヤマムラ:そうです。そのときやっぱりプロレスがかなり低迷してたということもあったんで地上波での放送がほとんどなかったんですね。
そのときネットも普及してないというか、まだ僕も携帯とか触れてないんで友達のゲームから入りましたね。
そんなのがあるんだ、こういう世界があるんやなと思って、それで一、二回見たら面白かったんですよ。
WELCOMEMAN:遊びに行った?
ヤマムラ:はい。実際に大阪に大阪プロレスっていうのがあって土日に毎週、試合をしてて、当時、新今宮のフェスティバルゲートっていうところがあって、その中に大阪プロレスの専用の会場があったんですよ。
それを見に行って、いやこれは面白いなと。ですけどやっぱりずっとメインは野球だったんで。
WELCOMEMAN:そのときは面白いな、エンターテイメントとしてすごいなっていう感覚だけは頭に入ってたんですね。
ヤマムラ:そうです。こんな世界もあんねんなって。そしてそのまま中学生になって、さっき言った通りでエレクトーンを辞めないといけない、野球に専念しないといけないってなって、中学校の野球をやるわけですね。ボーイズリーグで。
それで中学生になってきたら、大体野球で自分がどこのレベルまでいけるかっていうが何となくわかってくるんですよ。
WELCOMEMAN:わかります。僕もやってたんで。
ヤマムラ:そのとき僕はちょっと自分で言うのも何なんですけど、野球がうまかったんですよね。
自信あったんですけどそんなに身長も大きくなければ今、僕170cmなのでそんなに身長もでかくなければ、何か飛び抜けてめちゃくちゃホームラン打つとか、めちゃくちゃ足が速いとかそういうのはなかったんですよ。
平均的に上手い方だみたいな感じだったのでプロは無理だなって思ったんです。
WELCOMEMAN:自分が野球がうまいっていうところの自負もあったんだけど、プロのレベルまではいってないよっていう感覚はあったんや。
ヤマムラ:やっぱり飛び抜けてないとプロにはなれないんで。
WELCOMEMAN:すごい大きい選手がいっぱいいますもんね。
ヤマムラ:でも野球をずっと続けてきたからには高校野球の甲子園ってのあるじゃないですか。そこを目指そうって思って、やっぱり甲子園に出るだけで見方も全然変わってくるじゃないですか。どの道に進もうが。
WELCOMEMAN:そうだね。世界が変わりそうだね。もちろんね。
ヤマムラ:でそこを目指そうと。とりあえず高校まで野球をしたんですよ。でも中学生の後半に先が見えてきたときにプロレスの意識がちょっとだけあったんですね。
WELCOMEMAN:なるほど。
ヤマムラ:はい。片隅にあったんです。これはちょっとプロレスかなみたいなことになりまして、でも高校生になって野球で甲子園を目指すとなってる中で何となく自分の中ではプロレスラーになろうかなみたいな、なるぞみたいな気持ちはあったんですね。
WELCOMEMAN:なるほどね。頭の中で野球とプロレスでどんどんプロレスの方が強くなっていって、自分の肉体的な問題とか技術の問題と照らし合わせながらもそこは冷静に考えつつ、わくわくしたプロレスがどんどん入ってきたみたいなことですね。
ヤマムラ:そうです。プロレスラーになるために甲子園に行こうみたいな感じで筋トレももう楽しくて楽しくて仕方なくなってきて、学校はウエイトをする学校じゃなかったんでバランスであったり、基礎の部分を鍛えるような学校だったんで、これはプロレスのためと思って練習してそれが楽しかったです。
WELCOMEMAN:トレーニングが楽しい人に初めて出会った。楽しかったんですか?
ヤマムラ:それまで嫌いでしたよ。さすがに。
WELCOMEMAN:ずっと自分との戦いじゃないですか。ここを超えていくみたいなあれってしんどいじゃないですか。
ヤマムラ:めちゃくちゃしんどいです。
WELCOMEMAN:それを超えたときの喜びみたいなのが、トレーニングすることによってそのときに感覚はあったんですね。
ヤマムラ:そうですね。ありましたね。そうですそれがプロレスを目指す流れというか最後の決め手というか、プロレスもやっぱり身長が大きい人が多いんでそのときに自分のお母さんとか、先輩とかもそうですけど、お前がなれるわけないって言われたんですよ。
WELCOMEMAN:なるほど。
ヤマムラ:これはちょっとやったるでって。
WELCOMEMAN:それが高校2年生ですね。高校野球もそうですけど、要は高校2年生になったら卒業とか進路のタイミングに入ってくるので野球をそこでは引退して完全にプロレスの方にベクトルを向いてました?
ヤマムラ:向いてました。受験勉強せえへんとこって。良いことか悪いことかわからないですけど。
WELCOMEMAN:でもやっぱり好きなことが決まったってすごい大きい力になりますよね。
ヤマムラ:そうですね。そのときはでも本当に毎日のようにスクワットを1000回してましたからね。受験勉強しなきゃいけないのに僕はウェイトトレーニングしてスクワットを1000回してました。
WELCOMEMAN:すごいな。結構、野球のトレーニングって厳しかったんですか?
ヤマムラ:結構厳しかったですね。やっぱり何が厳しいじゃないんでちょっと説明しにくいんですけど、走ったり本当に基礎の部分ですね。
それが活きてきて最初に入門したドラゴンゲートという団体に入ったんですけども、基礎体力の部分では同期より抜けてたなっていう部分もありますね。野球のおかげで。
WELCOMEMAN:一生懸命トレーニングした結果が、そうなってたってことですね。
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:高校卒業後そのドラゴンゲートに入って、プロレスラーとしての道を歩む?
ヤマムラ:それから練習生として約1年半ぐらいやってました。練習があったり雑務とかね。住み込みで。
WELCOMEMAN:デビューというか、初めてのリングはいつやったんですか?
ヤマムラ:デビュー戦は本来は堺の方で2015年の9月にデビューする予定だったんですよ。予定だったんですけども僕ともう1人の石田凱士っていう同期のやつがいて、2人で9月にデビューする予定だったんですけどもその1週間前の後楽園ホール大会があったんですね。
そこで僕の師匠的存在のCIMAさんっていう方が怪我されたんですよ。怪我をされて翌日が埼玉大会だったんですね。
僕はもう会場にいて開場するかしないかぐらいの時に、CIMAさんにお前ら今日デビュー戦をやるかって言われて...
WELCOMEMAN:怪我された翌日の埼玉の移動の時ですか?
ヤマムラ:そうです。埼玉の会場に行って、開場するかしないかぐらいのとき言われましたね。言われて僕とその同期のやつで勝った方がCIMAさんが本来出る枠に入れるみたいな。
WELCOMEMAN:怪我をされてたから?
ヤマムラ:そうです。前日の後楽園大会で怪我しちゃったんで、埼玉大会に出られないんで要は若手2人のどっちかが俺の代わりにみたいな。
WELCOMEMAN:ほんまもう映画の世界みたいなことやね。どんでん返しや。
ヤマムラ:いやもう緊張とかなかったですね。急すぎて。それで僕、勝ちましてデビュー戦で2試合するっていう多分こういう人はいないんじゃないかなと思いますけど。
WELCOMEMAN:デビュー戦に2試合!しかも憧れのCIMAさんの怪我の欠場のそこの枠でやらせていただいた。
ヤマムラ:そうです。僕の周りの友達や先輩、後輩の人に言ってて大阪大会を絶対見に来てって頼んでたんですけど、お前もう埼玉でデビューしてるやんってなって申し訳なかったです。
WELCOMEMAN:それはなんて言うかもう運命というしかないですね。
ヤマムラ:それでドラゴンゲートでプロレスを続けてまして、あるタイミングで中国の方に住むことになったんですね、ドラゴンゲートを離れて中国のOWEという新しい団体でそこは少林寺の子たちをプロレスラーにするところでもうね運動神経すごいんですよ。
うつ伏せで15人ぐらい横に並べて、その上を走り込んで全宙をして越えていくんですよ。信じられないです。そのときはもうプロレスって何なんだろうと思いました。
WELCOMEMAN:すごいね。
ヤマムラ:すごい身体能力の持ち主たちが集まってますよね。
WELCOMEMAN:それは少林寺拳法の子たちをプロレスラーにするっていうのはプロジェクトの一環としてやってるんですか?
ヤマムラ:そうですね。そういう感じです。
WELCOMEMAN:面白いプロジェクトですね。
ヤマムラ:はい。そうなんです。
WELCOMEMAN:それもドラゴンゲートでのいろんな出会いがきっかけで中国にそのプロジェクトがあるから手伝ってくれへんかみたいな話だったんですね。
ヤマムラ:元々はそういう感じです。いろいろあって、中国住んでやるってなって、何人かで。
WELCOMEMAN:そうなんや。
ヤマムラ:はい。そうです。2017年に話がちょっと戻っちゃいますけど2017年に頚椎の一、二番を脱臼したんですね。
WELCOMEMAN:首のところですね。
ヤマムラ:そうですね。
WELCOMEMAN:これはだからドラゴンゲートに所属されているときでこれからどんどん上っていくぞ、結果を出していくぞっていうときに怪我が起きたんですか?
ヤマムラ:そうなんです。そのときは中国に住んではなかったんですけど、中国に行ったり来たりみたいな生活をしてて、平日に中国に行って、練習、指導して、日本に土日に帰ってきて試合して、また平日に中国行ってみたいな。
WELCOMEMAN:それは中国どこですか?
ヤマムラ:上海です。
WELCOMEMAN:上海って飛行機のフライトで何時間ぐらいですか?
ヤマムラ:3、4時間ぐらいです。
WELCOMEMAN:行き来できる距離だったんですね。
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:それでも結構、移動が大変ですね。身体も作らないといけないし。
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:そのタイミングでは怪我もあって思うようなトレーニングができないっていうのもありつつですか?
ヤマムラ:そうですね。トレーニングというかやっぱりリカバリーの部分が少なかったかなと思いますね。
僕は身体が大きい方じゃないんで、技もガンガン受けますし、隙をみて勝っていくっていうスタイルなのでどうしても受ける分、リカバリーが必要になります。
WELCOMEMAN:そのリカバリーはいわゆるトレーニングした分の時間はアスリートはその分ちゃんと回復することしなきゃいけない。
ヤマムラ:メンテナンスや治療に行ったりとか、整えるというか。
WELCOMEMAN:そうか。高校の時にスクワットを1000回してたけど、そのトレーニングの疲労を癒すそっちの技術も必要だっていうことですね。
ヤマムラ:そうですね。やっぱりどうしても野球ときもそうですけど、何て言うんすかね根性で乗り切れみたいなところがあるんです。
WELCOMEMAN:わかります。
ヤマムラ:治療に行ってみたいなそういうところが自分でも良くないところかなと思いますけどね。
WELCOMEMAN:根性でいけみたいなところ、それを養いつつだけど、上手に自分の身体と付き合っていくっていうこともその怪我のおかげで勉強し始めると。
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:なるほど。でも今、僕の話で言うとやっぱり気合、根性でトレーニングして上に上がってってしかもデビュー戦が衝撃ですごい脚光を浴びた状態であるからどんどん追い込んでいったんでしょうね。
ヤマムラ:そうですね。
WELCOMEMAN:それが限界がもしかすると怪我に出てきたかもしれない。
ヤマムラ:自分じゃわからないですけど、やっぱ追い込んでたんかなとは思いますね。怪我する前日とかももう正直言うと手がしびれたんですよ。
WELCOMEMAN:トレーニングしすぎて?
ヤマムラ:確かそのとき上海から帰ってきて、上海のときにリングがまだなかったので、畳で受け身を取るみたいな感じでこっちでは試合して、だから完全にその回復の時間がなかったんでこれはちょっと運とかもあると思うんですけど、ホテルの枕とかも合わなかったんですよ。
ホテルの枕が気持ち悪いなみたいな、起きたらめちゃ痺れてるやんみたいな状態で怪我の当日を迎えちゃったんで、アドレナリンで乗り切れるかなみたいなところもあったんすけど、それでどういう感じで怪我したかというと、トップロープに飛び乗ってジャンプをして相手を蹴って、受身をしたときに首から下が一切動かなくなって全然記憶を失ってないんすけど、首から下が本当にもう一切動かなくなって。
WELCOMEMAN:その瞬間どう思ったの?
ヤマムラ:そのときは高山さんっていうレジェンドのプロレスラーの人とほとんど時期が一緒だったんですね。
高山さんも頚椎の怪我をされて半身麻痺みたいな状態になってしまって、その直後じゃないですけど、ちょっとしたときだったんでこれは俺もやばいかもって思いましたね。思ったんで持ったんですけど、運よく二、三十分経ってから首から徐々に下にかけて麻痺が取れてきたんで良かったっ手を動かせる、足を動かせるってなったんで。
WELCOMEMAN:なるほど。いやそんな体験しないですよねなかなかね。
ヤマムラ:しないですね。
WELCOMEMAN:動いてて普通ですからね。
ヤマムラ:そうですね。
WELCOMEMAN:動かせれた、よかったみたいなその感覚はもうわからないんです。
ヤマムラ:それが1回目の怪我で僕は2回怪我をしてて、まだあるんですよ。
WELCOMEMAN:ドラゴンゲートから上海のプロジェクトに関わりつつ、やっぱり身体がどんどん酷使されていったタイミングで、もしかするとそれが引き金で怪我になってしまって、その後のDJのお話できてないですが。
ヤマムラ:そうです。その後は2018年に復帰をしまして2019年にまだ中国に住んでたときに中国から月に1回、日本で試合をしてたんですよ。
WELCOMEMAN:怪我で要は休憩、リカバリーしてる間はおとなしくしてたんすか?
ヤマムラ:その間はおとなしくしてましたね。
WELCOMEMAN:そこで音楽に出会ったとかではなかったですね。
ヤマムラ:2017年のときは治療ばっかりしましたね。
WELCOMEMAN:もうやっぱりそこに専念しなきゃいけないから、100%プロレスラーだったんですね。そのときは。なるほど。
ヤマムラ:それで時が進みまして2018年復帰しました。2019年になりまして、2019年の春ですね。3月の末だったと思うんですけど、幕張メッセにマシュメロのライブがあるとので行きませんかって誘ってくれたんですね。僕もそのDJのライブを見たことがなくてたまたま予定も空いてたんで、行きましょうってなって、行ってみたんですよ。
もうめちゃくちゃ感動して、最初にプロレス見たときみたいな衝撃があったんですね。
WELCOMEMAN:なるほど。このタイミングで来たんですね。
ヤマムラ:そうです。そのライブを見に行った10日後ぐらいに2回目の首の怪我をしたんですよ。次の2回目の怪我は頚椎3番4番脱臼っていう怪我したんですね。
3番4番を怪我して、このときはめちゃくちゃ落ち込んで1回目復帰して、1回いろんな人から応援を裏切ってしまったなという気持ちがあったんで復帰してまた応援してもらって、応援してくれてる最中に2回目の怪我が起きたんで、またやってしまっていろんな人を裏切ってしまったなって落ち込んだ気持ちがあって、それが春だったんで夏ぐらいになって、このまま何もせえへんのはおもんないなと思ったときにそういえば何かDJの世界に出会ったなと。
WELCOMEMAN:ここでマシュメロのインパクトがやってくるわけですか?
ヤマムラ:そうです。マシュメロの幕張メッセだけじゃないんすよ。
そのとき幕張と神戸公演の二つあったと思うんですね。で神戸公演に出演してた大阪のDJの方とSNSで繋がったんですね。ちょっとDJ練習したいですと伝えたら、TryHard DJ Academyを紹介してくれたんですよ。
WELCOMEMAN:なるほど。
ヤマムラ:それで行ってみて、やっぱりずっと家にいてもね、気が滅入っていくばかりなのでDJの練習しに行って...
WELCOMEMAN:音楽を聞いたらやる気が戻ってきたりとかしたわけですね。
ヤマムラ:そうですね。それがDJに触れるきっかけです。
WELCOMEMAN:幼少期にエレクトーンをして音楽が好きっていうのがあってそれからプロレスをやったときに、2回目の怪我で落ち込んだときに、自分の人生とかいろんな人迷惑をかけてしまったとか、それも一番とはまた違うところだったっていうのもなかなか難しいところがあっていろんな迷い中、あるDJのライブに行ったときの光が射した感じが自分のインスピレーションとしてまた光って、DJをやろうっていうことになってきたと。
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:それでも2018年の話やからコロナがやってくるんですね。
ヤマムラ:そうです。怪我したのが2019年の春なんで、コロナがやってきて、それ僕のDJ名にも関係ちょっとあるんですけど、プロレスのときは漢字のフルネーム山村武寛なんですけど、DJのときはハッシュタグもついてるんですけど、カタカナで#ヤマムラタケヒロってなってるんですよ。
WELCOMEMAN:なるほど。
ヤマムラ:コロナが始まる前は外国人にとってカタカナブームだったんですね。カタカナめっちゃ好きだったんですよ。外国人の方が。
2019年にDJ始めるときにこれはカタカナブームに乗っかろうかと思って、これ日本人やってる人ほとんどいないしらしい聞かないじゃないですか。
これちょっとカタカナブームに乗っかろうかなと思ったらコロナがきました。
WELCOMEMAN:本当にプロレスラーからDJになっていくタイミングの2019年までの話を伺ったんですけど濃厚ですね。
ヤマムラ:僕も説明は上手くないんで伝わるかなと思うんですけど。
WELCOMEMAN:いやいや。伝わってます。もっと聞きたいことがあるんですけど、でもやっぱり今の話だけでも一生懸命やっていく、何か一つ選んだらそこにトライする力みたいなのはヤマムラくんも持ってるけど、野球のおかげでよりストイックにできるようになって。
ヤマムラ:そうですね。
WELCOMEMAN:そこからキラキラしたプロレスとリンクして、今度はエレクトーンをずっとやっていたときの音楽的なマインドとかアートの部分がマシュメロのライブを行くことによって光がまた差してきてこれがどんどんハイブリットされていって今のヤマムラくんが出来ていった?
ヤマムラ:そうです。
WELCOMEMAN:なるほど。後半は2019年、コロナがやってきて、今までに至るまで、そしてこれからの活動とか、その辺の話も伺っていきたいなと思いますので皆さんぜひ後半もチェックしていただければと思います。
それではヤマムラくん最後に曲の紹介をしてもらってもいいでしょうか?
ヤマムラ:はい、わかりました。僕が今チームでやってるんですけど、CREW5というチームでやってまして、CREW5からの楽曲です。「Super Star」です。
お送りしたのはCREW5で「Super Star」でした。後半も本当に素晴らしい話をいっぱいもらってるんですけど、山村くんとお会いして、ミーティングを重ねてたんですよ。
今回、DJ1の話もありましたが3位を獲得し、僕は今、プロデューサーとして関わらせていただいているので、打ち合わせを何回かしてるんですけど、非常に全体的な空気を読みながら判断してくれ、リスペクトしてくれてるのですよ。非常にね。
ただその山村くんと深く話をしたことがなかったから今回、ポッドキャストを通して聞けて思いっきり野球少年だった自分とプロレスラーとしてのマインドと、エンターテイナーとして人を楽しませるっていうマインドがいろんなところで交差しながら時代によって変わってきたことだったり、自分のターニングポイントになった話とかを伺うと、今回すげえいっぱい話してくれてるんですけど、個人的にもめっちゃ喋るやんと思ったんですよ。
だから嬉しくて、そうそうやっぱり山村くんの根本にあるマインドももっともっと発信していきたいななんていうふうにも思いましたんでね。このトークセッションをきっかけにね。
この山村武寛を好きになっていただいて、元々ファンだった方もこういう経緯でこうなったんかみたいな言葉でなかなかSNSでも発信は今までなかったと思うんで非常に貴重な機会いただいたなと思っています。
後半もぜひお楽しみにということで最後に少しだけお知らせさせてください。
私、WELCOMEMANは、音楽プロデューサーとして様々なプロジェクトに関わっております。
将来の夢はグラミー賞主要4部門のトロフィーをゲットすることです。
そしてこの番組タイトルでもあります。SHINKUKANとは日本の音楽コンテンツを世界へをモットーに掲げたサブスク型の音楽ストリーミングプラットフォームであり、ライブアーカイブやオリジナルコンテンツも見放題でございます。
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