SHINKUKAN Podcast #140 SeshiroX from SHILHOUETTE FROM THE SKYLIT Part1
SHINKUKAN PODCAST#140はSHILHOUETTE FROM THE SKYLITのボーカル・SeshiroXさんをお迎えした前半のテキストバージョンになります。
おはようございます。音楽プロデューサーそして音楽グローバルマーケッターのWELCOMEMANです。
この番組は世界で今最も注目を浴びてるアーティストから世界のミュージックアワードに関連する楽曲を紹介しつつも日本の素晴らしいアーティストや音楽もお届けしていきます。
世界と日本の架け橋となる音楽情報発信基地になることを目的としております。
ということでスペシャルゲストアーティストウィークでございます。
今回はスペシャルゲストにSHILHOUETTE FROM THE SKYLITのボーカルのSeshiroXさんをお招きします。
実は長い付き合いがあって、お会いしたのは本当に数年ぶりなんですけれどもいろんな話を改めて振り返りながらして、非常に楽しかったですし、何か身が引き締まったし、もっと頑張らなあかんなとか、なんかまた一緒にできたら嬉しいなとかなんかいろんな感情が非常に芽生えたそんな回でございました。
前半、後半トークセッションありますがまずは前半お楽しみいただければと思います。改めて楽曲紹介していきましょう。SHILHOUETTE FROM THE SKYLITで「Spring」
WELCOMEMAN:さあ、お送りしたのはSHILHOUETTE FROM THE SKYLITで「Spring」でした。今回のスペシャルゲストのSHILHOUETTE FROM THE SKYLITのボーカル・SeshiroXです。よろしくお願いします。
SeshiroX:よろしくお願いします。
WELCOMEMAN:ご無沙汰してます。このタイミングでゲストで来ていただいてありがとうございます。
SeshiroX:いやとんでもない。
WELCOMEMAN:なんか感慨深くて僕が。
SeshiroX:いや久々に連絡あったんで何かなとびっくりしました。ちょっと何か変な連絡やったらどうしようんすけど、嬉しいお誘いありがとうございます。
WELCOMEMAN:ポッドキャストを聞いていただいてる方は初めましての方も多いと思うんですが、僕自体がですね、A&Rでレーベルの中に入ってサポートをさせてもらってて、SHILHOUETTE FROM THE SKYLITの。
なので酸いも甘いも一緒に僕は後ろからちょっと追っかけさせてもらったということもあって、ちょうど3月がSpotifyポッドキャストのシーズン1がちょうど1年になってくる機会もあったので、このタイミングでこのスタジオ収録でいろいろ話したいな思い出話みたいなことと、今どういうふうにやってるとかとSHILHOUETTE FROM THE SKYLITのリーダーやと思うし、SeshiroXくんの今までずっと続けてきてたこのマインドの部分だったり、バンドのいろんな苦労を乗り越えてどういうふうに感じてきたかみたいなことを前半と後半2回に分けていろいろ聞いていきたいと思います。改めてよろしくお願いします。結構最初から聞くんですよ。
SeshiroX:もうバンバン?
WELCOMEMAN:はい。もう生まれたときぐらいから行くんです。
SeshiroX:いいです。もちろん。
WELCOMEMAN:まずSeshiroXくんが一番最初に音楽が好きになったきっかけとか音楽をやり始めようと思ったきっかけを教えてもらっていいですか?
SeshiroX:多分一般的な感覚の話で言うと高校生ぐらいのときに友達がコピーバンドやっていて、ギターとか弾き始めるじゃないですか。
WELCOMEMAN:みんなそうですね。
SeshiroX:それにまんまと影響されたみたいなところがスタートですね。その頃にだから俺もちょっとギターやってみようとか、弾き語りできるようになりたいなとかその辺からちょっとずつ楽器とか、作曲とか自然と入っていったみたいな。
WELCOMEMAN:なるほど。バンド自体が福岡出身で東京で活動しているっていうストーリーだと思うんですが、地元は福岡ですか?
SeshiroX:そうですね。生まれは関西なんですけど、9歳ぐらいから福岡だったんでほとんど青春は福岡で過ごしたっていう感じですね。大学まで。
WELCOMEMAN:その中でバンドをしながらいろんな人といわゆるあの人とやったりとか、コピーバンドしたオリジナル作ったりっていう経験をしながらそのSHILHOUETTE FROM THE SKYLITのホームページのバイオグラフィー引用しつつなんですが、 2007年にSeshiroXが2年間のアメリカ留学から帰国して、様々なバンドのプレイヤーをサポートに迎える形で前身となるプロジェクトバンドを立ち上げる。いわゆるその経緯を経て、ここに行き着いたということですね。
SeshiroX:そうですね。10何年前ぐらいに書いたバイオグラフィーの文章なのでだいぶこそばゆいですけど、いまさら。
WELCOMEMAN:でも留学してたんだよね。
SeshiroX:留学してました。
WELCOMEMAN:それは語学留学みたいな?
SeshiroX:語学留学ですね。
WELCOMEMAN:そのときは向こうでバンドしたりとかしてなかったんですか?
SeshiroX:バンドはしてないですけど、期間も足かけ2年っていうので、ちょこちょこ帰ってきたりみたいなところもあったんで何て言うんですかね、ソロプロジェクトっぽいことをやりながらの留学って感じだったんで向こうでも曲を作ったりとか、それこそチャンスやと思ってボイトレ受けたりとか、向こうでもいろいろ刺激をもらいながらで当時でもまだインターネットも弱かったですけど、使えたので結局、そこで曲のやり取りを福岡にいるそのときはメンバーじゃなかったかもしれないけど、友達だったりとかとデータのやり取りとかをして曲を作ったりとかそういうことをやってましたね。
WELCOMEMAN:だから僕らが認識してるバンドの形態ってやっぱりスタジオに入ってライブしてスタジオの中で曲ができていくみたいなことが一つのルールというか、そんな流れがあった中、結構、その当時の話とか聞いてたら割とテクノロジーとかデジタルの使いこなし方がすごい上手だけど、バンドの熱量も持ち合わせてるすごいハイブリッドな人やなって印象が僕はあるんです。
だからこのときぐらいから結構、ネットを触ったり、それこそまだスマホもないし、そんなそういうデジタルな動きっていうのは何気にやってたんですか?
SeshiroX:だから改めて言われると確かに回り中では少ないタイプっていうかだったかもしれないですけど、でもいましたけどね。
WELCOMEMAN:そうですか。
SeshiroX:僕らの世代で僕らがやってたジャンルが結局ちょっとハードでラウドあったりしたと思うんすけど、ああいう世代って結構メタルバンドとかに影響されてるんすけど、そういうバンドもデジタルでガンガンやってたような時代だったんでDTMとかっていうのはもうバリバリそういうシーンでバンドマンもちゃんとそれもやるみたいな、なんかそんな感覚ではあったんですけどね。
WELCOMEMAN:でも多分その当時でいうと留学していたから割とすっと入ってた可能性はあると思うんですが、当時のシーンやったら、バンドでDTMとかがナチュラルであるっていうのは割と珍しくて、先端やったと思うんやけどね。
DTMする人はロックのヘビーな方には行かないしみたいなことがまだ分離してて、その辺もすごい個人的には僕もテクノロジーが大好きだったんでSeshiroXくんの話を聞いて何かロジカルでもあるけど、熱量もあるからすごいそういうところが次のバンドの一手を担うなっていう印象があります。
そこから2008年に今のSHILHOUETTE FROM THE SKYLITに改名し、2010年にプロジェクトとして今のメンバーが正式加入して活動を本格化させる。この当時ですね。初めてお会いしたっていうか。
SeshiroX:そうですね。そのメンバーで開始してでも1年くらい経ったんじゃないかな。だから2011年ぐらいやったんじゃないかなと思います。
WELCOMEMAN:このタイミングであれですよね僕とSeshiroXくんが直接会うというよりかはプロデューサーの方がいて、僕は一緒にバンドやってた先輩なんですが、すごい熱量で僕は稲田大輔っていうんですけど、バンドやってたんですけど、すげえかっこいいバンドいるぞと会ったことないけど、こいつは絶対行くから何とかならへんかっていう話を第一声に聞いて、僕はそこから会うことになるんですが。
SeshiroX:はい。そうなんです。なので何百回も聞いた話でもう懐かしくも何ともないんすけどね。
WELCOMEMAN:打ち上げでもこの話からまず始めて歴史の話なんですけどね。でも公にねこうやってポッドキャストでできるタイミングがあるってなんか嬉しいなと思いますが。
2011年の6月にメンバー全員で、はい拠点を福岡から東京に移し、そして12月にファーストEP「The Great and Desperate」の全国リリース。
SeshiroX:はい。お世話になりました。
WELCOMEMAN:この曲もそうですね。このときに出してたいわゆるSNSに出してた曲とかもそうですけど、やっぱりすげえ楽曲センスが光るなっていうのが、もう本当にその一言なんですが。
SeshiroX:ありがたいです。
WELCOMEMAN:忙しかったですよね。
SeshiroX:忙しかったと思います。
WELCOMEMAN:振り返れば、記憶に残ってることがありますか?福岡から東京にメンバーで移住にするってなかなかないと思うんですよ。
SeshiroX:だからやっぱりスケジュールがとにかく今と比べてもっていうとこありますけど、ライブの本数も多かったですし、自分たちでイベントをやったり、いわゆるビラを配るとか、広報活動もやったり、SNSもやらなきゃねとか僕ら当時、真面目にコツコツと、当時とか今もやってるんすけど、メルマガとかやってたんですよ。
WELCOMEMAN:やってたね確かに。
SeshiroX:毎週書いてたんです。
WELCOMEMAN:確かにやってた。
SeshiroX:なんかもうできることは全部やろうみたいな感じだったんで。忙しかったなとは思いますね。
WELCOMEMAN:確かにそうですね。それこそ当時を振り返ると、ブログやるっていうのはロックバンドからするとストレスのかかる作業だったはずだけど、そこもやっぱりハイブリッドしてちゃんとね、やってた印象ありますね。メルマガもやってましたね。
SeshiroX:一生懸命やってましたね。
WELCOMEMAN:その中から東京に移住して本格的にバンドとしての活動をやっていくみんなそれぞれ福岡で仕事してましたよね。
SeshiroX:してましたね。
WELCOMEMAN:そのメンバーがよし東京行くぞって、全員で行くぞっていうときに例えば、いや俺は行かないとか行くならこうだとかみんなそれぞれ想いとか条件とかも違うと思うんですけど、それはバンドの中でうまく消化できたんですか?
SeshiroX:でもそのときはみんな何でしょうね、自然と行くってことに関しては迷いがあんまなかったっすね。みんななんでかわかんないです。
メンバーに聞いてみないとわからないですけど、正直もう先々は東京でやろうよって言うのが最初からある程度あったんでだから、自然とみんなそういう感じだったのかなと思います。
WELCOMEMAN:SeshiroXくんの方でプロジェクトはバンド組むぞというよりまずソロプロジェクトの形がどんどんバンドになっていったみたいな流れだと思うんですけど、そういうふうになったときにマインド的にメンバーがそれにくっついていってくれたみたい印象なんですか?
それかもうやっぱりバンドとしてのタイミングではもうソロプロジェクトじゃなくて、バンドとして成立してて、もう一旗揚げるぞみたいなテンションで行ったみたいなことなんですか?
SeshiroX:なんか多分各々あったとは思うんすけど、でも僕がそのメンバーのことを勘違いしてなければ、おそらくメンバーはやっぱりそのシルエットっていう船に乗ってこの船でなにかを取るんだみたいなそういう決意感っていうのはあったとは思うんです。
ただもっと長い目線で見たらRockwellなんかは今、アレンジャーで活躍してますけど、多分、当時からその先も見て、しれっと船で行けるとこまで行きたいなっていう感じで乗ったと思うんですよね。
ある程度そこはもうメンバー自体コミットしてたんじゃないかなって。
WELCOMEMAN:出航するぞ。錨を上げるぞっていうよりかはもうその段階で船は出てて、海の中にいてるから、だからここから出ないという判断はなかったんだと思います。
でもバンドとしてはそれぐらい船出をしている状態があって東京に行くということでそこからライブの本数ももちろん増えるだろうし、どんどん出てくると思うんですが、2012年の10月にファーストアルバム「Arche」をリリース。2013年4月clubasiaにてリリースツアーファイナルで8月にはなんとSummer Sonic2013も出演。続く11月はRed Bull Live On The Road 2013で優勝。
SeshiroX:はい。
WELCOMEMAN:めまぐるしくメディアもそうですし、ライブもするし音源も作るっていうね。
SeshiroX:確かにすごい1年ですね。おかしかったみたいですね。
WELCOMEMAN:覚えてないんですか?
SeshiroX:考えられないですね。今思うと。
WELCOMEMAN:むちゃくちゃ忙しかったはずですよ。
SeshiroX:スピード感がありますね。
WELCOMEMAN:それもメジャーデビューとかじゃなくて、インディーズで本当に右も左もわからないチームで1個ずつ手にしていっているそんな時代やったと思うので、Summer Sonic2013の出演とか、Red Bull Live On The Road 2013の優勝とかってすごい快挙だったような気はしてるんですね。
SeshiroX:自分でもわかんないっすね。だからなんでうまくいったのか一生懸命やってただけですけど。
WELCOMEMAN:でも船に乗ってきたんでしょうね。いっぱいいろんな人がその影響を受けてね。何か当時そのSummer Sonic2013のステージの印象とか覚えてるんですか。景色とか。
SeshiroX:要するにその年の優勝の手前ですよね。だからコンテストの一環でステージに出たんですよ。
だから野外でそんな大きなステージってわけでもなく、なんだったらなんかね、マリンスタジアムの何か見えるちょっと離れたところだったんですよ。
だからマリンスタジアムのメインステージの音とかも聞こえてきながらやるみたいなめちゃくちゃ暑かったのを覚えてます。もうまともなライブできてないと思います。
暑すぎて。演奏もそんなんできるんかこれってあれ多分普通に熱中症になりますね。
人によってはというか全員死にかけましたけどライブ終わったら、いや、すごかったっすよ。考えられない。
WELCOMEMAN:やっぱりSummer Sonicに出演するっていうこの名前だけ見るとすごいブランディングだし、すごい名誉なことだけど、実際はもっと大きいステージに出たいなとか、やっぱりまだまだ自分はもっと上に上がらなあかんなみたいな感覚があったり。
SeshiroX:それはありますね。もちろんもう最高のコンテストの一環でもあるんでもう必死でしかなかったですけどね。
WELCOMEMAN:その延長線上でRed Bull Live On The Road 2013優勝。これは投票があったり、本当に今は割とオーディションの形で投票スタイルだったり、オーディエンスが選ぶっていう賞レースが多かったと思うんですけど、まだこの2013の時代ってやっぱり事務所側とか、レコード会社が決めるオーディションが多かったんだけど、オーディエンスと一緒に成長していって優勝を勝ち取るみたいな画期的な時代だったと思うんですよ。
SeshiroX:確かに言われてみると。
WELCOMEMAN:そうだからそのときに青春ロックがやってたライブももちろんするんだけど、オーディションで勝っていくためのHow toみたいなことも結構、戦略的にやれたんちゃうかなと思っています。
SeshiroX:考えましたけどね。ただ、どうやったんかな?オーディエンスの投票は確かにありましたからね。
でもそれはもうただそれだけでもないじゃないですか。もちろんあるんすけど、結局、審査員の方もいらっしゃるので結局、そこは考えてもしゃあないなみたいな。
変な話今だから言うことで言えば、なんか組織的にね、友達を100人連れてきてポーンと入れたらええんちゃうみたいなことがあるわけです。
実際やらなかったですけど、そういうことをこっちもちょっとよぎるし、相手もよく考えてるかもしれないとか、そういうのがいろいろあったんですけど、でもそれってかっこいいんかみたいなので、最終はそれはやらんでええやろと。
だからもう真正面から当たって砕けろじゃないですけどそれでええんちゃうっていう感じでしたね。
WELCOMEMAN:そのときはそうですね。なんかライブの当日ももちろんわくわくドキドキとそのままそれまでのみんなで勝ち取りに行こうという雰囲気があった期間、あのときにいけんちゃうかっていう雰囲気が出てたような気がしていてて、それと熱量ももちろん大事だし、戦略も大事なんだけど、いい意味で歯車があったような気はしてますけどね。
SeshiroX:だと思いますね。
WELCOMEMAN:僕はそのときはステージの後ろの方で見ててめちゃくちゃ感動した記憶が鮮明に残ってますね。
そして2014年なので今でいうとちょうど10年ぐらい前の話ですね。EP「THE WORLD WILL NEVER SAVE YOU」ですね。これはインディーズオリコンウィークリーチャートに入って初登場16位の快挙を成し遂げます。
ツアーも10ヶ所回り、3月14日にはSHIBUYA CYCLONEにてツアーファイナル、これはソールドアウトとなりましたと。
その2013年のいわゆる足跡というか、一つの結果をもとに、2014年はまた忙しい1年ですが覚えてます?
SeshiroX:ライブしすぎててもうどれがどれかは...
WELCOMEMAN:わかんないですよね。
SeshiroX:でも14年ですよね。14年はだから「The Reflections」を作ってたんじゃないのかな。
「The Reflections」出したのが夏だったと思うんでね。もうそのあれよあれよで、KNOTFESTに出演して、もう一瞬で終わったって感じですよね。
WELCOMEMAN:ものすごく一瞬だったんでそれがEPが出るタイミングの前にさっき言ってたようにアルバムを作ってたし、ツアーのスケジュールも決まってたし、2014年の6月にはRed Bull Live On The Road 2013の優勝のプライズであるレッドブルのニューヨークのスタジオでレコーディングを行うと。
これの製作から進めるスケジュールだったりとかも全部やってましたもんね。
SeshiroX:多分そのとき一番しんどかったんじゃないかなと思います。
WELCOMEMAN:いや大変だと思います。
SeshiroX:ピークに近かったと思います。
WELCOMEMAN:それをWebメディアとかドキュメンタリー映像とかでのやり取りがあったりとか、いろんなことがあって、なんとその勢いのままさっきSeshiroXが言っていたを「The Reflections」リリースし、初登場18位そして全国22ヶ所の公演そして9月にはclubasiaでツアーファイナル。すごいですね。
2014年の8月もSummer Sonic 2014に出演されてます。だからアルバムが出て、サマソニもまた出て、10月はMotoGP日本グランプリの元ステージで開催された MOTO GP日本グランプリのMOTO STAGEにて開催されたRed Bull Live On The Road at MOTO GPの出演し、さらにKNOTFEST JAPAN 2014にも出演。忙しかったですか?
SeshiroX:忙しいですね。
WELCOMEMAN:でもステージが上がっていってる印象はありましたか?
SeshiroX:そうですね。でもまだそのときのそのときのってか、もうチャンスをいろいろいただいてるなって思いながらだったんでもう1本、1本いいライブをして次に繋げる、結果を出すじゃないですけど、必死やったっていうしかないっすね。
WELCOMEMAN:なるほど。KNOTFEST JAPAN 2014に関しては幕張メッセでオーディエンスの方って、その当時は本当に2万人、3万人ぐらいの人だったんじゃないですか?すごい人がいるステージはどうでしたか?
SeshiroX:やっぱりそこはもう強烈にそれぐらいの規模でやらしてもらったことがそれ以降もないので、強烈に印象に残ってますね。
WELCOMEMAN:そうですね。いわゆる2011年に東京に来てから3年間で幕張メッセまで行ったっていう。
SeshiroX:言い方ですけどね笑
WELCOMEMAN:言い方ですね。これね。すごい奇跡のバンドです。
SeshiroX:確かに。
WELCOMEMAN:その間にもサマソニも2回出てますからね。
SeshiroX:はい。
WELCOMEMAN:2015年に忙しい状況の中またSHIBUYA CYCLONEにてワンマンライブを行い、2016年サードアルバム「Heracles」をリリース。
バンドとしてはここからいろんなイベントに出ながら、2016年の8月にはギターのRockwellくんが脱退ということでこの2年間はどうですか?
2014年のこの忙しいっていうタイミングの後のこの2年間はどんな記憶がありますかね?
SeshiroX:なのでまた16年に出すアルバムを作りながら、でもなんか、その前にシングル「Blue Echo / Closer」を出してますよね。
それを出してのツアーをやったりとか相変わらずライブをたくさんやりながらだったなという感じで14年ほどではないにせよ同じような感覚で必死こいてたっていうイメージはありますね。
WELCOMEMAN:そうですね。ちょうどこの2014年のタイミングでやっぱりメディアにもすごくいろいろ引っ張りだこだったし、あとはその2015年、16年にかけておそらく事務所とのやり取りが出てきたりとか、今まで関わってこなかったチームメンバーがどんどん増えていって、いろんな人との絡み方が増えていったタイミングですよね。
そこから忙しいスケジュールをこなしていきながら、2017年18年19年と活動を続けていくことになってきてますと。
ちょっと前半かなりいろいろ喋ってもらったんですが、ちょっと後半もこの2019年までのお話もそうですがコロナ禍はどういうふうな生活してたのとか、あとはその後半にいろんなバンドで東京に出てきていろいろあってKNOTFEST JAPAN 2014で幕張メッセに出て、そしてコロナ迎えて今に至っているSeshiroXくんの音楽的マインドとかライフワークだったりとか、ちょっとそういった角度の違うところでまた話を伺いたいなと思っています。
皆さんぜひ後半チェックしていただきつつ、今日のお話もそうですが、ホームページの方にライブスケジュールとかまたそのプロフィール引用させてもらってる部分もありますんで彼らの足跡をチェックしていただいて、音源もチェックしてください。
ということで前半の2曲目なんですけど、SeshiroXくんの方から楽曲紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?
ぜひ我々の「Heracles」っていうアルバムに入ってますこの曲を聞いてください。SHILHOUETTE FROM THE SKYLITで「Blue Echo」
さあ、お送りしたのはSHILHOUETTE FROM THE SKYLITで「Blue Echo」でした。
本当に彼自身は割と全体のところに身を委ねながら、上手に出るとこと引くとバランスよく判断していくボーカルでリーダーとしても素晴らしい才能も持ちつつなんですが実は結構人の懐にも入っていくのも上手だったりするので、すごく柔軟性のある人だなと思ってたんですよ。
とはいえ音楽家としてこうあるべきだとか、こうありたいみたいなことと、これからどういうふうに世の中が変わっていくとか、デジタル的な部分の話もありましたけど、そういうところに非常に敏感かつ、いい意味で全体像を見ながらある程度の流れに中に入っていくっていうことが重要だって捉えてるんですよ。
だからちょっと日本人マインドからかけ離れてるところがあるなと思ってて留学してたときにいろいろインプットしたこともそうだし、バンドの中で良いことも悪いこともありながらそういった人間形成していったのもあると思うんですけど、そういうところでは愛されキャラだけど、リーダー的存在みたいな彼のこの人格は本当に素晴らしいなと思いました。
後半もいろんな話をしてますのでぜひチェックしていただければと思います。さあそれでは最後にお知らせさせてください。
私、WELCOMEMANは、音楽プロデューサーとして様々なプロジェクトに関わっております。
将来の夢はグラミー賞主要4部門のトロフィーをゲットすることです。
そしてこの番組タイトルでもあります。SHINKUKANとは日本の音楽コンテンツを世界へをモットーに掲げたサブスク型の音楽ストリーミングプラットフォームであり、ライブアーカイブやオリジナルコンテンツも見放題放題でございます。
またSpotifyを含めた全世界の音楽配信登録、ライブストリーミング配信、チケット券売まで、アーティストやクリエイター向けの様々なサポートも用意しており、おります。ぜひ概要欄よりオフィシャルサイトをチェックしてください。
この続きはSHINKUKAN PODCAST#142に続きます。
後半もお楽しみに!
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