挫折と向き合い続けること
勝てなかったコンテスト
11年前。当時15歳の僕は、サイパンで生活をしていた。ひょんなことから、東京で開催されるウクレレの全国大会を見つけた。
「ジ・ウクレレコンテスト」という大会だった。
当時自分はサイパンに住んでいたので、応募対象者からは外れていた。そこで、「海外からも参加させてくれ」と運営陣に直々に問い合わせた。
熱意が通じたのか、応募の許可がおりた。厳しい音源審査の足切りも通過し無事に本戦出場権も獲得。初めて1人で飛行機に乗って、日本へ向かった。
当時の自分は、表情には出さなかったものの、闘争心に満ち溢れていた。絶対名乗りをあげる。憧れのプレーヤーに近づいてやる。自分もミュージシャンとしてこれから大きなステージにたってやる。
当然、たくさん(というか死ぬほど)練習した。夏休みも全て返上した。友達と遊ぶ時間も全て失くし、睡眠と食事以外の時間は全てウクレレに捧げた。学校の授業も抜け出して、ウクレレを練習した。朝5時に起きて弾き始める毎日。夜も0時を超えるまで引き続ける。これだけ努力したら報われるだろう。大丈夫。そう信じてやまなかった。
でも、僕は勝てなかった。親に高い旅費を出してもらって行ったのに、結局何の賞ももらえなかった。年齢無差別の大会とはいえ、賞にカスリもしなかった。
音楽は勝ち負けでは無い。わかってる。それなのに、今まで全く考えてこなかった言葉が頭をよぎり始めた。
「自分には才能がないかもしれない。」
「もう、ウクレレを辞めよう」
大会に負けてから、自分の中の歯車が少しずつおかしくなり始めた。
努力をしても無駄なのでは?と疑念を抱くようになり、ステージが怖くなった。当然、ライブもうまくいかなくなった。楽しかった練習も苦痛になってきた。問題なく弾けてた曲も、どこか気持ちが悪い。どんな音楽を弾いていけばいいのか、全くわからなくなった。
スランプ状態の僕にトドメを刺したのは、ある地元のバーでの出来事。ハッピーアワーの時間帯に、仕事としてウクレレを弾いていたとき、お客さんに怒鳴られ、演奏を突然とめられた。
今でもよく覚えてる。彼は少し、酒臭かった。そして、ジュークボックス(お金を払えば好きなCDをかけられる機械)で別の音楽をかけられてしまった。
ライブというよりはBGMとしての演奏だったので、彼の好みに合わなかったことは仕方ないことなのだが、自分の実力不足と、アーティストとしてやっていく難易度の高さに打ちのめされた。
「「自分には才能が無い」」
次第にそう確信するようになった。言い訳ではなく、自分のレベル感や能力は自分が一番わかる。努力すればある程度までは伸びるんだろうけど、伸び代の上限が見えてしまっていた。辛かったし、しんどかった。
「こんなに辛いなら、もう、ウクレレを辞めよう。」そこまで考えた。でも、流石に勿体ない気もしたので、一度距離を置いて、違う世界を見ることにした。自分の中の選択肢を増やそうと決意したのだ。高校時代ろくにしてこなかった勉強を必至こいてやって、アメリカのセンター試験やTOEFL、帰国生受験対策、一般受験対策もした。
そこから、第一志望の早稲田大学に合格した。
8年間の遠回り
大学に入ってからは、いろんな世界を見た。今までウクレレが最優先の生活をしていたので、とにかくウクレレ以外のことをたくさん経験するようにした。むしろ、ウクレレ業界や他のプレーヤーとは意図的に距離をおいた。
興味が湧いたものはとりあえず片っ端から実験的にやってみた。ビジネスコンテストへの出場、学生団体、ITベンチャーでのインターン、ファッションショーの運営、外資証券会社でのインターン、被災地支援のボランティア、フリーの英語講師として稼いでみることなど。ここには書ききれないぐらい、いろんなことに手を出した。
それでも、ウクレレは細々と弾き続けていた。大学で音楽をやるつもりはそこまでなかったのに、やっぱり好きだった。軽音サークルに入って、楽しくやれたらいいなと思う程度だったけど。
大学3年の秋に就活を終えた後、残りの学生生活をどう過ごそうか考えた。そこで、自分の中に残っている異物=「挫折体験」と初めて真剣に向き合った。そして、あの言葉が蘇る。
「「自分には才能が無い」」
才能が無いから、自分がやりたかったことを諦めるのか。才能がないから、なりたかったものになれないのか。果たして本当にそうなのだろうか。やり方はまだまだあるはずだ。たくさん色んな世界を見てきた。活かせることはあるのではないか。才能が無いならないなりに、戦える方法を見つければいいのではないか。
そう考えて、自分に変化を起こしたくて、ウクレレとビートボックスとDJ要素を掛け合わせたユニット"ninja beats"を結成した。残りの学生時代の時間は全部ninja beatsに突っ込むと決め、遠回りして得たあらゆる知見を全て注ぎ込んだ。
細かいことはここでは省くが、異業界の知見を活かした結果として、今までのウクレレシーンでは考えられなかったジャンルを切り開くことができた。遠回りしたことで、柔軟な発想を持つことができた。バンドの世界大会でも優勝して、大きいフェスにも出られて、自分がなりたかった姿に少しだけ近づけた。
10年近い遠回りはしたけど、挫折から逃げずに向き合うことで、はじめて理想に近づいた気がした。
挫折と向き合うということ
そして、去年。The Ukulele Contest ~4ALL~が開催された。ハワイ州政府観光局、音楽系出版社、業界内の有名イベントなどが協賛/協力をしてくれているオンライン上のウクレレ動画&フォトコンテストだ。
元々この大会は、僕が中学生の時に敗退した大会の「ジ・ウクレレコンテスト」がベースとなっている。
そして、今、僕は実行委員として、このコンテストのリニューアルを担当している。中学生の自分に挫折を生むキッカケとなった大会を、不思議なことに今度は僕が作っているのだ。
11年前の挫折がなければ今は無い。もし、なにかの間違いで当時のコンテストで勝っていたら、きっと僕はいまの活動を一つもしていないと思う。世界大会を優勝したninja beatsを結成していなかったかもしれない。他業界はおろか、起業にも興味を持たなかったかもしれない。
もちろん、中学生の時に思い描いていた理想図とは違う。世界をまたにかけて飛び回っているミュージシャンにはなっていない。ウクレレ1本で何百、何千、何万人を虜にしているわけでもない。
それでも凡才の僕は、凡才でも出来る形で、過去の挫折と向き合い続けている。いまだに背伸びしすぎて、上手くいかないこともある。不得意なことも多く、自分に情けなさを感じたり周りに迷惑をかけることもたくさんある。
11年前と同じように、これからもたくさん挫折するはずだ。歯車が狂うこともある。悔しい思いもきっとする。遠回りもする。
僕には、特別な才能がある訳では無いから。けれど、やめなければ、いつか思わぬ形で理想に少し近づくこともある。
だから、僕は挫折と向き合い続ける。
▼サポートしてもらった翌日に起こること ①朝ごはんのおかずが1品増える ②カルピスをいつもより濃いめ目に作れる ③銭湯でサウナと岩盤浴にも入れる