めたもるセブン,懐かしい未来,太陽の塔,文化,─『新建築』2018年4月号月評
「月評」は『新建築』の掲載プロジェクト・論文(時には編集のあり方)をさまざまな評者がさまざまな視点から批評する名物企画です.「月評出張版」では,本誌記事をnoteをご覧の皆様にお届けします!
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評者:中山英之(建築家)
目次
●いわく言い難い感情の芯─けもの「めたもるセブン」
●始まりの季節から─リノベーション特集
●「懐かしさ」とは未来に開かれた感情である
●「懐かしい未来」へ
●どうして私は素直に美しいと言えないのか?─太陽の塔について
いわく言い難い感情の芯─けもの「めたもるセブン」
私ごとですが,2017年にいちばん多く聴いたのは「けもの」というバンドの『めたもるシティ』というアルバムでした.お時間があって音楽好きな方は,ぜひこのアルバムに収録されている「めたもるセブン」という曲のプロモーション・ビデオを観てほしいな,と思います.
撮影地に選ばれたのが,国立競技場の工事が進む千駄ヶ谷周辺や,巨大再開発が進行中の渋谷駅前だからです.「めたもる」とはもちろんメタモルフォーゼのこと.変態(変身)を意味するドイツ語です.歌詞の中では,変態の予感へのざわめきのようなものが,人称を特定しないまま歌われています.
エレベーターで50秒 開く扉 光の海
東京タワー 心配ごとも 想像より小さい
聴いていると(これまた私ごとですが,暮らしている街が千駄ヶ谷なこともあり),この時代の東京を代表する工事現場に目をやる度に去来する,いわく言い難い感情の芯に触れるような気がして,何度もリピートボタンを押してしまうのでした.
始まりの季節から─リノベーション特集
さて,60年の時を経て「小さく」なった東京タワーを折り返し地点に(東京タワー平成の大改修),粒ぞろいのリノベーション・プロジェクトが並ぶ4月号.始まりの季節にこの特集をあてたことに大意はないのかもしれませんが,「いい選択だなあ」と感じたこちら側の頭の中には,無意識のうちに件のPVが再生されていたのだと思います.
現在の私たちが,焼けたリベットを放り投げる様子を捉えた東京タワー建設当時のモノクロ映像を眺めるように,いつか現在の東京を映し出す映像もいろいろな感覚を伴って眺められることになるのでしょう.それらもまた「小さく」なっていくのか,あるいはどのように感じられることになるのか.今が過去となる未来を考えた時には,新築とリノベーションに大きな違いはない.そういう意味で4月号は,実は未来を含む時間の中で建築を見つめる特集と言えるのではないかと思います.
「懐かしさ」とは未来に開かれた感情である
巻頭の対談でも建築史家の加藤耕一さんが,堀部安嗣さんの言葉を受けてやはり,「懐かしさ」とは未来に開かれた感情である,といった話をされています.加藤さんの著書『時がつくる建築──リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会,2017年,サントリー学芸賞受賞)をお読みになった読者も多いかと思います.
建築行為を,何らかの理想化された概念の実体的体現であるかのように語る建築家像というのは,比較的新しい存在である.歴史を遡ってみると,むしろほとんどの建築行為は連綿と連なる “線の建築史”とでも言うべき状態の時どきの局面として存在してきたではないか.
そんな視点からの建築史の読み直しが,本の中ではたとえば,有名なエティエンヌ=ルイ・ブレによる王立図書館計画と,アンリ・ラブルーストによるこれまた有名な鉄の閲覧室が,どちらもまったく同じ場所におけるリノベーション・プロジェクトであったことなどを事例に展開されていきます.
ラブルーストの仕事を,それがリノベーションであることを念頭に注視してみると,スレンダーな鉄の柱を有する彼の手による空間が,わずかな隙間を介して既存躯体と縁切りされていることなど,これまであまり顧みられることのなかった判断の痕跡が見えてきます.よく言われる「鉄による空間の新しい到達点」といった“点の建築史”とはまた異なる建築の見方,捉え方への複眼的な視座.
それは今月号に並ぶ現代の仕事にもそっくりあてはまるものです.もしかしたら1年のうち半分くらいがリノベーション特集であることが自然なことに思われるような日も,そう遠くないかもしれません.
「懐かしい未来」へ
軽やかなヴォールトと既存躯体と縁を切るように並置されたスレンダーな鉄骨柱,そして書架.ラブルーストの影を感じずにはいられない北菓楼札幌本店は,ファサードやエントランスを残して内部を総入れ替えする,リノベーションの中でも特にコストのかかる選択が採られたプロジェクトです.
交差点からの外観や壮麗な玄関ホールの写真を見るだけで,その決心に拍手を送りたい気持ちになります.と同時に,外壁補強のために付加された水平リブを照明基地とし,そこからの光線をフロアに拡散させるための形態的機能性を帯びたヴォールトをオリジナルの窓枠が切り取る,そのパーフェクトな選択と効果の連環にめまいを覚えます.
民間企業と建築家によるプロポーザルによって「懐かしい未来」が切り拓かれることとなった,そこに至る背景をもっと詳しく知りたいと思わせますが,同じ意味で港区立郷土歴史館等複合施設(ゆかしの杜)でも,耐震化をはじめとした現行諸規定への適合化という,手続きとそのコストを想像しただけでもクラクラしてしまうような決心が,区立のプロジェクトとしていったいどのように発足したのか,その物語がもっと綴られてほしかったなと思います.
どうして私は素直に美しいと言えないのか?─太陽の塔について
なぜプロジェクトの出自を巡る言葉を求めてしまうのか.それは今月号にひとつ,どうしても理解できないことがあるからです.太陽の塔内部再生プロジェクトがいったい何の「再生」なのか,よく分からないのです.完璧にレストアされた懐かしい名車にうっとりするような感情なら,東京タワーがきっとそうなのだと思います.
細部に至るまで特別あつらえの,現在では再現困難な生産や労働の仕組みに思いを馳せるのなら,近三ビルヂング(旧 森五商店東京支店)は素晴らしい「再生」であると思います.
太陽の塔はどうか.大阪万博(1970年)という時代や,その時代を生きた芸術家にまつわる,あるいはその時代を熱く生きた人びとの温度を今の時代に感じ取り,その熱を未来に伝える火をくべる,その何たるかがなぜ,ひと言も語られることがないのでしょうか.そうした言葉がないままにレポートされる,文字通りでしかない「再生」を伝える誌面から,僕は懐かしさも未来も,読み取ることができませんでした.
塔の内部を写した,バーナー・パントン風の艶やかなグラビアを,あなたはどうして素直に美しいと言えないの? きっとそう思う方も多いかもしれません.けれどもし少しでも「分かるかもしれない」と思ってくださる方がいたなら,どうか千鳥文化に添えられたドット・アーキテクツのテキストを読んでほしいです.
かつての文化住宅から「住宅」を抜き取る.そのことで何が死に,その代わりに何が生まれるのか.控えめな彼らは,プロジェクトの呼称として静かに暗示するのみです.
「文化」なんて言葉,恥ずかしくてなかなか大きな声では言えないけれど,リノベーションは,そして建築は時どき,そのことをまっすぐに語らなければならない瞬間がある.冒頭のビデオの背景に映るものたちよ,今こそがその時なのですと,未来から歌が告げているように聴こえてなりません.
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