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長い時間を見据えたぶれない判断

「私の失敗」は建築家自身が自分たちの失敗を赤裸々に語るコラムです。建築家たちはさまざまな失敗を重ね、そこから学び、常に自分たちを研鑽しています。
そんな建築家たちの試行をご覧ください!


執筆者:千葉学(建築家)
1960年東京都生まれ/1985年東京大学工学部建築学科卒業/1987年同大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了/同年、日本設計入社/1993〜2001年ファクターエヌアソシエイツ共同主宰、1993〜96年東京大学工学部建築学科キャンパス計画室助手/1998年~2001年東京大学工学部建築学科安藤研究室助手/2001年千葉学建築計画事務所設立/2001~13年東京大学工学系研究科建築学専攻准教授/2009〜10年スイス連邦工科大学客員教授/現在、東京大学工学系研究科建築学専攻教授
※上記は雑誌掲載時のものとなります


目次
●技術的な課題とその克服
●技術的な問題の先に


技術的な課題とその克服

僕がこれまで設計してきた建築における失敗は、数えきれないくらいある。思い出すだけでも大変なほどである。

トップライトのディテールが甘くて雨が漏ったことはもちろんあるし、ガルバリウムという素材の扱いを充分に知らぬままに使用して、やはり漏水してしまったこともある。

スレートという素材の特性を理解せぬままに使用して、剥がれてしまったこともあるし、フローリングの伸縮に対する読みが甘くて床が孕んでしまったこともある。

木材の経年変化や劣化のリスクを充分に予測せぬまま施工して、わずか数年で建築が薄汚れてしまったこともある。あるいは空気環境に対する無知のせいで充分な断熱を行わず、不快な環境をつくってしまったこともある。

施工監理が不十分で、予想もしなかったところから水が侵入してきたことだってあるし、特殊な金物を製作しながらも、その強度不足から見苦しい部位をつくってしまったこともある。

いずれの場合も、経験不足に加え、充分な検討や配慮が足りなかったために起きたことだ。もちろん施主にとっては切実な問題だし、僕たちにとっても決して愉快な事態ではないから、その後のメンテナンスを通じて毎回必死で改善策を提示し、修復して、なんとか乗り越えてきているというのが実情だ。

もちろんこうした失敗は二度と起こすまいと毎回心に誓うし、次のプロジェクトに生かして事務所のスキルアップを図ろうという想いも強い。
だから失敗は、本来ならば年を経るごとに少なくなるはずなのだが、現実はそう生易しくはない。新しいスタッフが入ればまたゼロから教えないといけないし、スタッフが辞めてしまうと過去の失敗や経験がうまく継承されない。


そこで僕たちの事務所では、こうした問題に対処しようと、いくつかの試みをしてきた。

ひとつは、事務所の標準詳細図の作成である。
事務所でよく使うディテールを網羅的にまとめ、失敗したものには改善を加えながら更新し、データ化した上で、事務所のスタッフの誰もがいつでも参照できるようにしたのである。

もうひとつの試みは、研究会と称して、スタッフ間で抱えているさまざまな問題の共有化を行うものである。
例えば現場で直面している問題の共有から始まり、現場で何をチェックしなくてはならないかなど、毎回具体的なテーマを決めて、各担当者がそれぞれ発表を行うというものである。

こうした試みはそれなりの成果をあげて、新人スタッフにゼロから教えるなどということはずいぶん減ったのだが、ではその問題は激減したかというと、実際にはそううまくはいっていない。
結局仕事は、自分自身が担当者になるという責任ある立場に置かれない限り本腰を入れて覚えないから、詳細図などは、その背景や理屈も理解せぬままに「コピペ」となってしまう。
おまけに自分自身で苦しんで描いた図面でないから、現場に行っても見るべき勘所が分からないのだ。
さらに悪いことに、僕自身も毎回同じ仕様を繰り返したいとは思っていないから、つい新しいディテールや素材に取り組んでしまう。結局過去の蓄積は、最低減のリスクヘッジにはなるが、それ以上のものを生み出す原動力には繋がらないのである。

研究会は、それなりによい効果もたくさんもたらした。
スタッフ間でお互いの仕事を知るいい機会になったし、何に課題を見ているのか、そんなやり取りを通じて建築に対する興味を掘り下げることができたという面もある。しかしこの研究会も、よほど積極的な当事者意識がない限り、失敗談が単なる美談か話しのネタになる以上の展開を見せないのである。

だからいまだに最善策を見つけるための試行錯誤は続いている。


技術的な問題の先に

しかし、このような技術的な問題を超えて、建物に致命的なダメージを与えることになってしまった大失敗がある。
鎌倉に「weekend house alley」(『新建築』2008年5月号掲載)という商業施設と集合住宅のコンプレックスを設計した時だ。

「weekend house alley」北側の高台から七里ヶ浜方向を見る。
撮影:新建築社写真部

もともとこの仕事は、僕が学生時代から世話になっていたサーフィン界の大御所や、海を通じて知り合った友人たちとともに、海辺での新たな生活を提案しようと始まった計画である。だから実現に向けての議論は楽しいものだった。

太平洋側から見る。
撮影:新建築社写真部

敷地は僕が学生時代からよく遊びに行っていた海岸の目の前で、年間を通じての敷地環境のこともよく知っていたから、設計できることに心が躍った。

基本的な考え方は、建物のどこに居てもこの抜群の環境が体感できるよう、いくつもの切り通し状の外部空間をつくるものだった。

夕景。店舗側から住戸エリアを見る。
撮影:新建築社写真部

ただ、潮風にも砂嵐にも紫外線にも日々曝されるという過酷な条件下での設計だったために、余計なディテールはつくらずにスケルトンだけで魅力的な空間にすることは、必然的なことだった。

だから建築をかたちづくる要素は少ない。コンクリート壁に階段、それにサッシである。
サッシはスケルトンに合わせた大きさに作る必要があったためアルミサッシでは製作できず、スチールの溶融亜鉛メッキで設計を終えていた。しかし現場に入ってからのさまざまな変更のためにコストが厳しくなり、サッシの仕様を塗装に変更できないかという話しが現場から出てきたのである。
これだけ海に近いと、アルミサッシでさえ錆びてしまう。そんな環境下で果たして塗装などという仕様が許されるのか。

散々悩んだが、事業主からは「メンテナンスをきちっとやるという前提で、イニシャルコストを抑える方向でいきましょう」と提案される。それならばある程度の仕様ダウンは許容できるのではないかと、多少の不安を抱えながらも塗装という決断を下してしまったのである。

結果的にその建物は、竣工直後に諸般の事情で転売されることが決まった。
設計段階から議論を交わしていたメンバーが離れてしまう状況でメンテナンスの方針が十分に継承されるはずもない。
結局放置に近い状態で建物はどんどん傷み、竣工して5年と経たないうちに、錆だらけの汚らしい建物になってしまったのだ。建物の前を通るたびに悲しい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになり、遣る瀬ない日々が続いた。

しかしながら、最近になって事態は急展開した。
再びその建物が転売されるという噂が耳に入ったのである。これを機になんとか修復の方策を探れないかと、図々しくも先方に連絡をとってみた。これまでの経緯も含めて情報交換するなかで、今度の買い手はかなり前向きにこの建物を維持していこうとしていることはすぐにわかった。
聞くところによると、社長はもともと海で遊ぶのが好きな人だったらしい。建物を修復して、ここでのコミュニティを育んでいきたいと、すでに具体的な計画も持っていた。涙が出るほどに嬉しい話しであった。
その後の段取りは極めて迅速に行われ、今現在は現場の修復作業も終盤を迎えている。

今日では、建築が投機対象として転売されていくことは、日常のこととなってしまった。

こうした社会情勢の善悪の判断はさておくとしても、建築はでき上がってしまえば、まるでひとつの人格を持つように僕たちの手を離れていくものであることは忘れてはならない。

どのように使われようが、どのように維持されようが、こうした状況に耐え得るよう、設計者は建築を世に送り出す義務がある。
鎌倉の計画は、たままた友人関係から始まったことに僕自身も少々甘えていたのかもしれない。現場での困難な状況に追われ、判断が揺らいでしまった側面もある。建築が極めて社会的かつ公共的な産物であることを改めて自覚しつつ、今後もぶれない判断を重ねなければと、今回の経験を通じて肝に銘じている。


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