バリアフリーという失敗
「私の失敗」は建築家自身が自分たちの失敗を赤裸々に語るコラムです。建築家たちはさまざまな失敗を重ね、そこから学び、常に自分たちを研鑽しています。そんな建築家たちの試行をご覧ください!
建築家の失敗は、あまり表沙汰にならないことが多い。
私が坂倉準三建築研究所にいた時代、建設会社の優秀な技術者が、怪しいディテールを施工図段階で修正してくれたり、失敗もカバーしてくれるケースも多かった。最近は、施工図を他の設計事務所に外注したり、技術的なチェックがなされず施工されたりして、「困るなぁ、これは! 設計図通りできてしまっているじゃないか!」などという、笑えない笑い話が現実味を帯びてくる時代である。
坂倉準三先生の思い出
建築雑誌の誌面を賑わせた建築家の名作が、20年も経たないうちに壊されたり、見る影もないような建物になってしまった話もよく耳にする。しかし、そのような話はあまり報じられず、デザイン優先で無理をした怪しげなディテールも、検証されずそのまま雑誌などに掲載され、若い建築家はそれを真似して失敗を繰り返すこともある。
坂倉準三先生は、私の在籍していた時代、スケッチや図面は自ら描かず、所員が設計した図面を先生がチェックするという方式であった。先生のチェックは、住まう人、使う人の視点から厳しく行われた。
私たちが外国の建築雑誌などから仕入れた、うけ狙いの奇抜なデザインをすると、
「こんな大きなガラス面、誰が磨くんですか!」
とか、
「こんな無駄なところ、誰も使いませんよ! ネズミの屍骸が溜るのが関の山ですよ!」
とか、
「こんなこと、どこかでやっていますか? そうでしょ、できないから誰もやってないんですよ!」
などと徹底的に指弾された。
1950年代、坂倉準三特集のインタビュー記事の中でも、メディアに対し、「雑誌が斬新なデザインの建築を載せるので、若い建築家が雑誌に発表するための建築を設計してしまう」と苦言を呈している。
かといって、坂倉先生は新しいことはやっていないかというとそうでもなく、「神奈川県新庁舎」(『新建築』6608)のサスペンドグラス、ハニカムコアのアルミ自然発色酸化皮膜パネル、「神奈川県立近代美術館」(同5201)のコールテン鋼(紫色の錆で安定する予定が、空気環境のせいか錆の進行が止まらなかった)や、岡本剛の構造設計によるマッシュルームやHPシェルなど、構造的にかなり冒険をした一連の「出光興産給油所」など、最先端の技術に挑戦している。
数々の失敗
建築家の失敗は、建築家が自身の作品をつくるために無理をした結果生じるものも多々ありそうである。坂倉先生の薫陶を得た者としては、そのたぐいの失敗は比較的少ない方だと思われるが、それでも数々の失敗を経験している。
1988年の『新建築住宅特集』の、設計技術講座という連載があり、その中で「私の失敗」について6回にわたり書いた。
4月号で私の家の結露、漏水、床下換気、
5月号で防湿フィルムなど、水蒸気は通すが水分は通さないという性質から壁内に結露水が残留することによる木材の劣化。
6月号で庇、霧除け、水切がないことによる壁面の劣化、コンパネ合板のタンニンが太陽光で糖化することによるコンクリート硬化不良。
7月号でタイ国に学校を25校つくった時の大きな失敗を回避した話。
8月号で同じくタイのプロジェクトの、世界銀行の検査官に瑕疵に関する建築家の責任を厳しく追及された話。
9月号でホスピタル病など、顕在化しにくい、建築の人の脳や心に与える影響に関する失敗(中でもこれは是非読んでもらいたい自信作?)。
あまり名誉な話ではないが、評判がよく、その後も失敗について書いてくれという話がきたりした。
ある点から見ると正しい解であるが、他の観点からは失敗になってしまうこと
今回は、1996年に竣工した、「岡山県営中庄団地第2期工事」(同9607)についての失敗を書く。
このプロジェクトは、「クリエイティブタウン岡山(CTO)」のひとつの4期にわたる団地再生事業である。
コミッショナーの岡田新一が、1期を丹田悦夫、2期を阿部勤、3期を遠藤剛と設計者を選択し、コミッショナーの提示するキーセンテンスをもとに3人の建築家が話し合い、コンクリート打放しやケンパスの素材、駐車場の緑化、生活のはみ出す3階のペデストリアンデッキの連なりなど全体を通しての決め事をし、各期の建築家が連歌のようにつくり継いでいくというかたちで進んだ。各期の個性を出しつつ統一感のある環境をつくり出す方式は、画期的なプロジェクトとして成功している。
私の担当した2期は、高齢者を対象としたシルバーハウジングとし、県から与えられたバリアフリーが条件であった。
パブリックな空間として、1期のポイント棟の点在するグリッド状の路地空間を、絞り込んだ流れと山側からの流れをひとつとし、緩く湾曲する緑豊かな遊歩道をつくっている。
この遊歩道を挟むかたちの分棟化された棟の1階と、3階の空中路地を挟むかたちで展開する住戸は、高齢者対応のバリアフリーとし、住戸は段差なしのケンパスのプライベートデッキを介し、セミパブリックの遊歩道や空中路地に開かれている。
その間には、ベンチ、プラントボックス、1階では、見え隠れの場をつくるために短冊形の壁や築山、植え込みを配している。
生活はそれらの空間にはみ出し、生活感溢れる場ができることを意図した。
私たちも場所づくりに思いを入れ、竣工間際にはいつもポケットを草花の種でいっぱいにし、現場をチェックしながら要所要所に蒔いたりもした。意図した空間もつくることができ、『新建築』にも掲載されそれなりの評価も得た。
住人も引っ越してきて、内心、住人の評価を期待しアンケート調査をと県の担当に相談に行くと、「アンケートを取っても……」と何となく否定的な反応であったので、アルテック独自の調査をすることとした。
調査結果は予想に反したものであった。
期待した回答はほとんどなく、大別してふたつの回答であった。ひとつは「こんな素晴らしいところに住まわせていただいてありがたいことです。」と、ただただ無条件で感謝している人と、頭からお役所のやることに対する反感をもっている人である。
クレームで多かったのはカビであった。特に1階に多く見られたが、断熱材は標準通り施工されており、同じような条件の場所でも発生してないところもあり、原因が特定できない。いずれにしても湿度の高さが原因と思われる。
いろいろ考察した結果、原因はバリアフリーということとなった。
緑豊かな遊歩道は、土の部分も多くその地表の湿度は当然高い。段差なしにということで、地表面と床レベルとの差は僅かであるため、その湿度が掃き出しの開口からバリアフリーで室内に入ってくる。特に雨上がりの晴れ間は気持ちがよいので外の空気を取り入れようと窓を開ける。日射しを受け、土から水分は蒸発し、地表の湿度は100%に近い。その湿った空気がバリアフリーで部屋に流れ込むのだ。室内の湿度が上がったところで窓を閉め密閉する。外気が乾燥している時に窓を開け風を通せばよいのだが、エアコンで気温を下げるので、湿度の高い空気は温度差で壁に結露しカビが生える。
バリアフリーは人にとってだけでなく湿気、土、埃、虫など負の自然に対してもバリアフリーとなる。
段差のない外と中の関係は、カビの問題以外にも不評であった。昔は縁側があり、外から腰掛けるだけの段差があった。そこは、お茶をのみ談笑する近所付き合いの場であった。段差がないと床に座ったり立ったり、大変苦労するか、そこに椅子やテーブルを持って来なければならない。
地盤面と床の段差をなくすことは、歩行や車椅子のための障害をなくすという点から見ると正しい解であるが、他の観点からは失敗であったわけだ。
いろいろな観点から検討し、答えを出さなければならない。建築設計の難しさを痛感させられる失敗であった。
執筆者
あべ・つとむ
1936年東京都生まれ/1960年早稲田大学理工学部建築学科卒業/1960〜71年坂倉準三建築研究所/1971年戸尾任宏・室伏次郎と共に建築研究所アーキビジョンを設立/1975年室伏次郎と共にアルテック建築研究所を設立/1981〜84年早稲田大学理工学部非常勤講師/1984年アルテック設立/1987〜2012年日本大学芸術学部非常勤講師/1985年「蓼科荘レーネサイドスタンレー」にて第4回日本建築家協会新人賞/「私の家」(本誌9307、0907、0908)、「五本木ハウス」(『新建築』7708、本誌8712)、「美しが丘の家」、「賀川豊彦記念松澤資料館」(『新建築』8303)、「スタンレー電気技術研究所」(同8602)、「桜台の家」(本誌8705)にて日本建築家協会25年賞受賞
アルテック
掲載しているのは
『新建築』2018年4月号では,「神奈川県庁新庁舎免震改修+増築 神奈川県庁本庁舎・第二分庁舎改修」の掲載に合わせて,当時坂倉建築研究所のスタッフであった阿部勤さんにお話を伺っています.こちらも是非!
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