
「私たちは世界を変えられるか?」
・ご挨拶
2022年5/31をもちまして2年間の任期を満了し、日本ラグビーフットボール選手会の会長を退任いたしました。

在任中は多くの方々にご支援、ご協力賜りまして誠にありがとうございました。一代目会長の廣瀬さん、二代目会長の畠山さん、二人からのバトンは正直あまりにも重かったので会長を打診されたときはとても悩みました。当時日本代表経験者やそれに類するような有名選手が会長になっていただいた方が社会的にも業界的にもインパクトのある出来事だと考えていたので初めはお断りしていました。
しかし「トップリーグからリーグワンに変わるこのラグビー界の過渡期に会長の仕事ができるのは今までの経緯とこれからのビジョンを自分の言葉で関係各所の方々に語れて交渉できる人じゃないといけないし、それができるのは慎だけだ」という前会長畠山さんからの過分な評価をいただき、推薦と理事会での選出を経て僕のような無名の会長が誕生しました。何かを成し遂げたかと言われればそうではないかもしれませんが会長も副会長も関係なく僕という人間でしかできないことをやる。これが僕が選ばれた理由であり、やるべきことだと認識してここまで取り組んできました。
副会長や各チームの理事をはじめ、事務局、関係各所の皆様に支えられ、ご協力を頂きながらではありましたが会長の責務をなんとか全うできたのではないかと今は思っております。今一度関わっていただいた全ての方々に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
また4代目会長は静岡ブルーレヴズ所属の日野剛志くんが引き受けてくれました。代表での活躍はもちろんですがフランスリーグでのプレー経験や今まで副会長として多くの選手会活動に尽力してくれていた人であり、名実ともに僕が思い描いていた会長像に一番近い人です。引き受けてくれて本当にありがとう。無理のない範囲で日野ちゃんらしく取り組んでいってくれたら思います。僕も選手の一人としてサポートしていくので引き続きよろしくお願いいたします。
・日本ラグビーフットボール選手会の歴史
立ち上げ前からの準備を考えれば、6年以上にわたって携わってきた選手会ですがその設立経緯はそんなに知られていません。一般の方はそこまで知る必要がないかもしれませんが、ラグビー界にいらっしゃる方や僕と同じ選手の皆さんはこの歴史や成り立ちを知ることで今自分たちが立っている場所が先人たちの努力によって築かれているということを再認識することができるかもしれませんので会長退任というこのタイミングで改めてお伝えしておきたいと思います。(選手の皆さんにはご説明させていただいたことがありますがいつ読み返していただいてもいいように置いておきます)(また、ここでは関係した個人名を極力出さないように説明しております)
・設立の流れ

設立の流れを説明するためには2015年のワールドカップ時まで遡る必要があります。
当時の日本代表は世界のトップレベルと比較して明らかにプレイヤーウェルフェアの部分で改革が必要であり、(現在もまだ不十分ですが)それらの不足を「代表になることへの名誉」や「選手が所属する企業が補う」、または「選手が受け入れる」といった形でなんとか保っていた状態でした。
ラグビーのパフォーマンスが世界のトップレベルに肉薄すればするほどこうした環境面での違いが選手たちの能力発揮に影響を与えていることは明白です。しかしそうした問題は当事者たちが声を上げない限りなかなか拾い上げられないのが常です。よってこうした状況に危機感を覚えた一部の代表選手たちが「代表評議会」とのちに言われる会議を設定するよう動き始めます。この会は、前述したような状態では今後日本ラグビー界に新しい才能や素晴らしい選手たちが生まれにくのではないかということから「選手の意見や要望を直接協会に対して伝えていくべき」という課題意識の中で出来上がります。
結論から言うとこの会はきっかけを作ってくれるわけですが、実際の効果としてはインパクトがあったもののハレーションも多い結果となります。というのも、この「代表評議会」は法人ではなく一部の代表選手の集まりであり、意見を通す相手も協会側の一部の責任者たちのみであったため、お互いに所属する組織の総意として認識しづらい関係性にあったからです。なので正当な意見や克服すべき課題に関して話し合えていたとしてもその解決方法を実現するためのプロセスにおいて各組織の中でうまく話を通すことが難しい側面がありました。
ただ、そうした問題点が浮上してきたことで代表選手だけでなく全ラグビー選手の声をラグビー界の意思決定プロセスに透明性を持って関与させなければいけないという新たな課題意識が生じてきます。そしてこれが実質的に選手会を設立するきっかけとなり、2016年の5月に選手会が設立されます。法人化された選手会という組織ができることで協会側、リーグ側、チーム側の窓口も再設定され、現在は双方組織として向き合えるように少しずつなってきています。多くの企業やチームが参画するラグビー界においてこうした構造は必須であり、業界の意思決定プロセスの中に選手の意見を盛り込んでいくための取り組みとして効果を発揮しつつあると6年間携わってきた中で僕は感じています。
・共通の想い

前述の設立経緯で一番重要な点は選手たちの意見や要求は自分達の権利や実利に端を発しているわけではないという点です。
日本ラグビーフットボール選手会設立の礎となった「代表評議会」はそもそも選手の権利を主張して実利を獲得するために行われていたわけではなく、現在のラグビー選手達がプレーする環境を良くしていくことで未来の選手達により良いパフォーマンスを出してほしいという願いからでした。
そのためにはリーグやチーム、企業それぞれがラグビー界のために奮起しているように、我々選手たちも日本ラグビー界が目指していくべきビジョンや達成すべき目標を発信、共有し、一丸となって尽力する必要があります。日本ラグビーフットボール選手会はそうしたラグビー界の今と未来のために全選手の想いをまとめて伝えていくことでそれを実現し、選手自らがラグビー界の一部となって主体的に動いていくための組織なのです。これは法人化する際に労働組合ではなく一般社団法人として立ち上げている点からもお分かりいただけるかと思います。
・リーダー会議(旧キャプテン会議)

一方でリーダー会議(旧キャプテン会議)という選手組織もありました。
こちらは2009年頃からトップリーグ最終年度まで活動していましたが、組織構造上トップリーグに属していたため新リーグへの移行と共になくなっています。一部の選手と当時の協会役員の方が協力して作られたものですが、協会内部の委員会という位置付けで選手たちが活動できる場所を作った経緯があります。
この組織は社会貢献活動やチャリティーマッチなどチームの垣根を超えた選手発案の活動に多大な貢献をしていました。しかし活動を支える事務局の不在や予算の管理、スポンサー面での折り合いなど協会内部組織であるが故の課題も多く、活動の限界を感じる面もしばしば見られました。(僕はこの組織に選手会立ち上げ前に属しており幹事長も含めて4年間ほど活動していました)
こうした「リーダー会議」の課題意識と前述した「代表評議会」の課題意識がタイミング的に合致したこともあり選手会は立ち上がりますが関係各所の理解を深めるために丁寧な対応が求められたため並立期間を通して2つの選手組織の機能をゆっくりと統合していくように運営されました。並立期間中は選手組織がなぜ二つあるのかという質問を何度もされましたがお互いの良さを生かしつつ時間をかけて良い方向へ向かっていく過程であったということがわかっていただけると思います。
・活動実績
ここまで「代表評議会」、「リーダー会議」、「選手会」という選手組織の歴史を説明してきました。この三つの組織はその歴史において、それぞれの立場から、その活動を通して、選手が今当たり前に享受しているラグビー選手としての環境を築き上げてきています。
もちろん僕らだけで作り上げられるものではありませんが、こうした環境や立場は誰かに与えられるものでもありません。選手たち自らが考え行動することでより良いものを後世に残す必要があります。
リリースレター廃止など以下に代表的なものを挙げていますがこうしたルールや制度を話し合う場にまず選手目線の声を取り入れていかなければ一向に改善はされません。SNSやメディアのインタビューでただ意見を述べていても世界は変えられないんです。どのように世界が動いていて、どうすればそこに関与できるのか真剣に考えて行動することで一見コントロールできない事柄もコントロールできる可能性を高めることができるのだと思います。

またプレー環境面だけでなく以下にあるような様々なサポート活動や社会貢献活動、教育育成にも取り組んできました。多くの賛助会員、スポンサー、協賛者の皆様のご協力により実現できたことですし、まだまだ不足していることは理解していますが社会におけるスポーツの価値を見出していくことは回り回って選手たちの価値を高めることにもつながるので引き続き選手会では取り組んでいってくれるはずです。


ザッと実績を列挙しましたが、選手会という組織はまだ目に見えていないリスクに対して準備しておくということがメインになる組織です。よって活動自体が理解されにくい側面もありますが困った時に頼った経験のある選手は心の中で「あってよかった」と思っているはずです。またそういう組織は何より組織として維持されていることが一番重要になってきます。なのでこれからも末長くこの選手会が選手たちと未来のラグビー界のために維持され発展することを心から願っています。
・当事者としての選手たち
ここまで書いてきて一番伝えたいことは「選手こそプレーだけでなく当事者意識を持って業界に対して積極的に動いていくべき」ということです。選手自身がラグビーのため、社会のためにできることはたくさんあります。選手のみならずラグビーに関わった全ての人の人生が豊かになり、ラグビーに関わってよかったと思える人が多くなるようなラグビー界にするために、共に考え、話し合い、行動していくこと。これが選手そのものを助けることに必ず繋がります。なので利他主義というよりも合理的利己主義で全く構わないと思います。そうした動きはすべてが実になるわけでは当然ありません。でも行動を起こすこと自体に意味があります。未来の子どもたちに胸を張ってバトンを渡すために、理想の環境を考え、多くの人との共感を創り出しながら、より豊かな、かけがえのないラグビー人生にしていく。そのために選手会を活用していけるといいかもしれませんね。
新リーグが掲げる「世界最高峰のリーグ」を目指すという理念は僕たち選手も共感を覚えるものだと思います。ただ、それを目指すということは同時にワールドクラスのスタンダードを選手も運営も求められるということです。そのためにはリーグやチームが「持続可能(正当に稼げる+つぶれない)」で透明性のある運営がなされるようにしていく必要があります。また「オープンな対話」で物事が決められるリーグでなければファンや社会に応援されるものではなくなってしまいます。さらに重要な点は選手の人生も「持続可能」つまり、引退後も豊かになっていくようにデザインしなければいけないということです。現役中だけでなく引退後のウェルフェアに資するような施策を用意することでリーグ及び選手、そしてラグビーという競技そのものの価値を高めていかなければスポーツの存在意義自体が忘れ去られてしまうからです。
そしてここが最重要ポイントですが、こうした取り組みを間違いなく責任を持って行える最初の当事者は選手自身ということです。「自分のオールを他人に任せること」ほど恐ろしいことはありません。僕たち選手が実現したいものを実現するためには選手自らが活動しなければならないのです。リーグや企業、チームに、前述したような環境の準備を丸投げするのではなく選手たちもこれを実現するために貢献しなければならないということです。リーグやチーム、企業それぞれが努力し奮起してくれているように僕たち選手も日本のラグビーが目指していくべきビジョンを発信、共有してラグビー界が一つになれるよう尽力していきたい。ラグビー選手が子どもたちの目指す魅力ある職業となり、ラグビーに携わった全ての人の人生が豊かになる、そんな好循環を作っていくために選手たちも取り組んでいきたいですね。
・自分にとっての選手会

ここからは少し個人的なお話になります。ここまで歴史を辿ると紆余曲折の極みを経てようやく設立できたことを昨日のことのように思い出します。関係各所へのご挨拶、ご説明、打ち合わせを何度も行い、進んでは戻り、仲間を増やし、丁寧に進めていった経験は自分の中でも大切なものとして残っています。また、共に動いてくれた人たちの顔や名前を忘れることはないと思います。さらに言えば社会における産みの苦しみを味わえたこの貴重な経験をさせていただけて本当にありがたかったと感じています。
設立メンバー→副会長→会長と肩書きが変わってきましたがなぜここまでやってくることができたのか。それは当初から変わらない以下の二つの想いがあったからだと思います。
「過去、現在、未来における全てのラグビー選手が幸せになれるように」
「ラグビー選手になって本当に良かったと心の底から感じられるように」
この想いは決して綺麗事を並べているわけではなく、この願いの達成が僕自身の幸せとラグビー界の発展に直接繋がっているので感覚として持つことができたんだと思います。
僕は大学卒業後広告代理店に就職し、会社員として働いていた期間があります。(とても短い期間なのでお恥ずかしいのですが)つまり一旦就職してから再度ラグビーの道に戻るために転職を選択した身です。そんな自分だからこそラグビー界に対してできることがあるのではないかと感じていました。ラグビーじゃない道があった中でラグビーに戻ってきたからにはその環境をラグビーじゃない道と同じか、もしくはより魅力的な世界にしたいという気持ちがあったんだと思います。
ただ、結局それができるのは選手自らの行動でしかありません。自分の人生をより良くするのは結局自分自身の行動だからです。そしてその積み重ねの結果がラグビー選手たちの豊かさに繋がり、ラグビーをするとこんなに素敵な人生を送れるんだというメッセージになります。これが脈々と受け継がれることでラグビーの価値、ひいてはスポーツの価値がかけがえのないものになっていくのだと僕は考えてます。
スポーツをしたことがある人はわかりやすいかもしれませんが、競技人生のうちに本当の意味で報われる、自分が全てに納得して終われる選手はほんの一握りです。もしかしたら一人もいないかもしれません。もちろん代表に選ばれることで報われることもあるかもしれないですし、自分自身の目標設定に対して報われる選手もいるかもしれません。でも「あの頃夢見た自分のゴール」に到達できる選手の方が圧倒的に少ない印象があります。ただ、どんな社会でもそうですが現実はコントロールできない要素の方が圧倒的に多く、運が左右するところが多分にあるからこれは仕方のないことです。
大事なことは、そういった厳しい世界の中に身を置いても自分は幸せだったと、ここで得たものが自分の人生の糧になったと全てのレベル、カテゴリーの選手が本気で思えるように選手の心も、環境も、整えていくことが絶対に必要ですし、それこそがスポーツの本質だと僕は感じています。
なのでそういった活動が実現できる組織として、僕は選手会に大いなる可能性を感じていたんだと思います。一人のなんてことない選手である僕でも多くの選手たちの理解や協力を得ることで微力ながらもラグビー界に貢献できるのではないか。そんな風に考えながら、多くの方にご迷惑をかけながらではありますが少しずつ活動してこれたのかなと改めて思いました。
・橋を架ける者
最後に米国の女性詩人ウィル・アレン・ドロムグールの「橋を架ける者」という詩を紹介して終わりたいと思います。『知識創造企業』および『ワイズカンパニー』という野中 郁次郎、竹内 弘高著の本を読んだことがある方はご存知かもしれませんがバーモント州とニューハンプシャー州の州境を流れるコネティカット川に架けられたチャールズ・ N・ビラス橋の飾り板に刻まれている詩です。
人跡まれな道を歩んできた老人が
寒くて薄暗い夕暮れどきにたどり着いたのは
向こう側が霞んで見えるほど広く険しい谷だった。
そこには深くて冷たい川が流れていた。
老人は薄闇の中その谷を渡った。
黒々とした水の流れにもひるみはしなかった。
しかし渡り切ったとき老人は振り返って川に橋を架けた。
「ご老人よ」と同行の旅人が言った。
「ここに橋を架けるなんて無駄な骨折りではないですか。あなたの旅は今宵で終わりなのに。あなたはもうここを通らないでしょう。これだけ深くて広い谷を渡り切ってからどうして一日の終わりにここに橋を架けたのですか」
「良き友よ、私が歩んできた道にはあとからやってくる若者がいる。その若者もこの道を通らなくてはならない。私はこの谷を無事に渡れた。しかし大切な若者を危険な目に遭わせるわけにはいかない。若者も薄暗がりの中でここを渡らなくてはならないから。私は若者のためにこの橋を架けたのだよ」
『知識創造企業(新装版)』野中 郁次郎, 竹内 弘高著
通ってきた道に橋を架けられるのはそこを通ってきた者だけです。僕たち選手は往々にして自分達が、先人たちが架けてきた橋を使ってここまで進んできていることを忘れてしまうか、そもそも意識できません。もちろんもっと良い橋があったかもしれないし、橋を架けてくれていないこともしばしばあったかもしれません。でもどの時代にも必ず道を切り拓き、橋を架けてくれた人たちは居たと、この歳になって振り返ると感じることがあります。
いろんな橋の架け方があると思います。類まれなパフォーマンスで今まで考えられなかった境地をスタンダードにする、現役最高齢を更新する、選手たちで未来に誇れる環境を残していく、などなど。どれも自分のためでもあり、後身のためでもある活躍です。どれが正しいとか、どれが一番望ましいとかはないと思います。大切なことは僕らは橋を架けることで次世代にバトンを渡すことができるし、素晴らしい世界を作っていけるという事実です。そしてそういう力を選手一人一人が秘めているということです。選手自身が橋を架けることを意識して過ごすだけで業界は、世界は劇的に良くなると僕は信じています。一人で架ける必要は全くないですし、多くの共感者と一緒にやればそれはきっと人生の財産になると思います。なので僕はどんな形であれ、橋を架ける者であり続けられるように頑張りたい。そう思いながら残された現役生活とその後の人生を送っていきたいと思います。
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