運転免許とった時の話
大学時代、僕の家はとにかくビンボーだった。詳しくはここで書くことでもないので割愛するが、学費を滞納して除籍されそうになったこともあるぐらいである。長野という地方都市の大学だったが運転免許を取る金もなく、車好き無免キッズのまま大学を卒業しこれまた地方都市の岐阜県で働くことになった。家から職場まではバスを乗り継いで行きは1時間、帰りはタイミングが悪いと1時間半になった。また家は市の中心地から離れた山にあったためスーパーに行くのも一苦労だった。
入社から半年もたつと経済的に安定してきていて、「そろそろ免許が欲しい」と思うようになった。普通に車好きだったし。そういったわけで地元で一番大きな自動車学校に「土日と仕事帰りだけで免許行けます?w」と問い合わせてみたわけだが、「無理ですね」と答えが返ってきた。そんな…。
どうしたものか、とさらに調べてみるとなんかいかにも小さい企業が自分たちで作りました!という感じの怪しげな自動車学校のWebサイトにたどり着いた。Webサイトには「短期間で取れます!」「安く取れます!」「時間自由です!」「生活と教習を両立しよう!」といろいろ怪しいことが書かれていたものの、他に選択肢がなかった僕は同じように問い合わせをした。回答は「忙しい人でも大丈夫。とりあえず迎えを送るから来てみてほしい」ということだった。
教習所は山奥にあった。予想以上に小さくてボロい建物に入っていくと眼鏡をかけた30代ぐらいの職員がいて、なんかいろいろ説明してくれた。あまり深く考えないタイプなので二つ返事で入校を決意した。確か入校料は22万円ぐらいだったような気がする。
ちなみに先に説明しておくと、僕が行ったところは「非公認教習所」と呼ばれるところである。自分のところで技能試験ができず免許センター任せになってしまうが、カリキュラムなどは公認教習所に比べて自由が利く、という感じである。世の中のほとんどの人は公認を出ているはずである。
その日から座学が始まることになった。座学までの間教習所内がどんな感じなのか見て回ったが…とにかくボロいというのと、「社長の貼り紙」がすごく目立った。「お前は教習しに来たんだろ。勉強しろ。」という内容のものや「親から習うな。基本が崩れる。」という内容のもの、「受かるやつはこういう努力をしている。受からん奴はこういうやつだ。」という内容のもの、「うちは甘やかさんぞ。ダメと思ったところはズバッと指摘する。それが生徒のためだ」という内容のものなどがあった気がする。ちなみに「周りの教習所の学科の合格率は50パーセントを切っている。うちは90パーセント超えてるけどな。」という内容のものもあった。これらの貼り紙を見たとき「ヤバいところに来ちゃったかな」と思ったものの、まあ入校してしまった以上仕方ない。
座学が始まった…といっても先生が前に立って授業をするという事はなく、ただ過去問が配られて「やってみろ」というだけである。出来上がったら前に座っている指導員に採点してもらい、その後正解と解説を書いた紙を貰って理解を深め、さらにわからないことがあれば質問するという感じであった。結論から言うとこの学習方法、めちゃくちゃに効率的で大変役に立った。上で「学科合格率9割越え」と書いてあったといったけどあながちそれも嘘ではないらしく、結局僕が在籍中に学科で落ちたのは座学にほぼ一切出席してなかった一人だけであった。
ちなみに小さい教習所だったので同時期に教習を受けていた人は全員顔見知りになっちゃうぐらいしか生徒がいなかった。20人くらいだったか…これくらい少ないと誰が受かったか、だれが落ちたか、フツーにわかってしまうのである。生徒の半分以上が新たに免許を取る高校生で(その高校もある特定の近所の高校から来てる子が多かった)、あとは免許失効した人が何人かいた。社会人で新たに免許を取ろうという人間は僕一人だったが、まあ岐阜県という場所柄当然と言えば当然かもしれない。AT免許狙いが圧倒的に多く、MT免許狙いは僕を含めても3~4人ぐらいだったように思う。僕は精神的に幼い人間なので高校生の子と仲良くなってしまった。就職相談をされて「1年って55週間近くあるんだよ。土日休みならそれだけで年間休日110くらい行くよね?つまりそれ以下の職業は…」という話をした覚えがある。なんつーいらんこと教えてるんだ俺。
上で書いたように小さな教習所なうえにMT狙いがあまりいないので用意されていたMTの教習車もかなり少なかった。確か所内外両用あわせて3~4台しかなかった気がする。全部ガソリンのトヨタコンフォートなんだけど僕が一番よく乗ってたのは手回し式ウインドウ・フェンダーミラーのやつだった。所内用に電動ウインドウ・ドアミラーの車もあったけど教習が冬だったこともあってかとにかくエンジンのかかりが悪かった。生徒に「アクセルあおりながらかけてみて」とかいう教習所、なかなかないと思うぞ。
教習所には3人の教官がいた。一人は初日に出てきた眼鏡の男性である。あんた教官だったのかよ。この眼鏡教官はあんまり特筆することないかな…全然不満もなかったけど。ちょっと失敗したときの言い方がきつかったが、まあそんなもんだろうという気がする。もう一人はいかにもベテランという感じのおじいちゃんだった。物静かに、しかしはっきりと教えてくれるタイプでいかにもベテランという感じだったが、一回孫から電話がかかってきて自分のことを「じいじ」と称しているのはなかなかに良かった。これ白ハゲ漫画にすればバズるかな?もう一人は刑事ドラマに出てきそうなぶっきらぼうな先輩タイプのおっちゃんだった。見た目にたがわず割とぶっきらぼうなところがあったが気楽で走りやすかったのは事実である。ちなみに路上教習の時急に「サイド使わない坂道発進、できるようになっといたほうがいいよね」と言われてコース中の坂がきついところに連れてこられて何回も練習したことがある。MT車(しかもサイドブレーキがへなちょこ)に乗ってる今、割と役に立ってるなという気はする。そして4人目というか、教官が「もっとしっかり教える必要があるな」と認めたときにだけ社長が出てくる。そう、あの貼り紙の作成者の社長である。いったいどんなやばい社長なんだと思うが実際教習しているところを見るとわかりやすいし丁寧だし話は面白いしで結構すごかった。まあ僕はそんなに出来が悪くないと判断されたのか、直接教えてもらったことは無いのだが。
教官3人に加えて生徒の送り迎えと座学を担当するおっちゃんが二人いた。座学の空き時間や行き帰りなど、いろんな雑談をしたように思う。最終便で帰るときに乗っているのが僕一人だった時など、「近所にスーパーなかったよね?寄ってくか!」と何回かスーパーに寄ってもらったりもした。受付の姉ちゃんがいたけど普通に他の人も受付をやってたのでまあ…という感じである。割と美人だった気もする。あと教習の終盤ぐらいに一人若い背の高い兄ちゃんが多分姉ちゃんと同じ立ち位置で新しく入ってきてた。まじめで「この教習所のいいところや不満点をぜひ教えてほしい!」と聞かれたこともあった。それはいいのだが「〇〇くんがやる気が出ないみたいなんだ。どういう風に接してあげるといいんだろう?」という相談を生徒にするのはええんかいな(ちょうど免許失効組の人たちがみんな卒業して、大人の生徒が免取のやべー奴と僕しかいなかったというのはあるかも。一応僕は「すごくまじめな生徒」で通ってたし)。まあ僕もおせっかい焼きなので普通に自分の考えを伝えたが…。それだけ「アットホーム」な教習所だったという見方もあるかもしれない。
この教習所にはユニークな点?として「同乗教習」というのがあった。これは他人が教習を受ける際、自分も後部座席に乗って一緒に話を聞いたりイメージトレーニングをしたりできるというものである(たまに教官から運転士が答えられなかった質問が飛んでくることもあった)。ついでに言うと無料だったので僕は暇な時間に割と何回も乗らせてもらったし、乗られることも何回かあった。これはかなり効果的だったと思う。僕が実際に指導されたわけでもないのに社長の教習がどんなもんか知っているのはこれのおかげでもあったりする。あと敷地内には廃車になったMT車がタイヤを浮かすような形で配置してあった。「ハンドル練習車」という名前だったがほかにもいろいろなイメージトレーニングに利用させてもらった。今更ながらずいぶんイメージトレーニングを大事にしてた教習所だなと思う。
あと所内限定だがカリキュラムの中に教官を横に乗せずひとりで自由に練習できる時間が何時間か用意されていた。ずいぶん思い切ったことするなあとは思ったが苦手な所を反復練習できるし、意外と教官がいなくても運転できることがわかったりしてこれもなかなか良かった。
非公認教習所の場合、仮免試験の練習コースと本番のコースは別の場所でなければいけない決まりがあるらしいのだが、この教習所では免許センターのコースをそっくりそのまま再現するという大胆なことをやっていた。傾斜まで再現しているというのだからびっくりである。基本的なことを教えてもらった後は本番と同じ道順(4種類ぐらいだった気がする)でひたすら練習を繰り返し本番に臨むという感じである。
そうこうしてるうちに仮免試験の日がやってきた。最寄りの免許センターは火曜日にしか試験をやってくれないので、必然的にみんな火曜日に集合することになる。朝8時ちょいぐらいに教習所に集合し、少し練習してからマイクロバスに乗って免許センターに向かう(徒歩でも行ける距離だったけど)。必要な手続きや支払いを済ませ、まずは学科の試験を受ける。この学科の試験を合格できないと技能試験に進めないわけだが僕が行ったときは全員が合格した。あとはみんなで試験コースに出て順番に試験を受ける。試験で使用したのは普段使っているのと同じトヨタ・コンフォートだったのだが…少し乗っただけで「全然違う」とすぐにわかってしまった。多分年式が新しいのだと思うがパワステがよく効いていてハンドルが死ぬほど軽いし、アクセルはさらに信じられないほど軽い。普段教習で使っている車はアクセルが重くいつも1000~1500回転で調整して発進させていたわけだが、そういう細かい調整が全くできない。少し油断すると一瞬で5000回転を超えてしまうレベルで実際2回ほど減点された。試験コースは試験中も他の教習所の練習コースとして利用されていて、僕が試験を受けていた時も他の自動車やトラックが普通に走っていた。なんだかんだで仮免は一発で合格し、晴れて路上教習に出られることになった。
路上教習に出るようになって分かったが、僕の住んでいた町というのは予想外に山奥だったようである。仮免と同様本番と同じコース(これは5種類くらいだった気がする)を通るわけだが、一つを除いて基本的に市街地をまったく通らない。山の間に作られた見通しの悪いアップダウンとカーブだらけの峠道がほとんどのコースである。しかも各コースに必ず一つ難関となる「嫌らしい交差点」が用意されており(偶然な気もしないではない)、今にして思うと割と難易度の高いコースだったなと思う。ただ関東平野に住んでいる今から思うと、すごく楽しいコースだったなとも思う。連続ヘアピンカーブを30キロで通過しようとしたら教官に「ここは37,8くらいで行ける!」と言われたり上り坂でいつもの感覚で4速に上げようとしたら「3速で60まで加速しろ!その後は4速でベタ踏み!」と言われたり、エンジンブレーキをかけないとすぐオーバースピードになったり、まあとにかくアトラクションみたいな道がたくさんあった。あの道を今乗ってる車で走れたらなあ…と正直思う。僕がコンフォートに対してほんのりと抱いている「楽しい車だった」という感覚はこのコースのせいもあるのかもしれない。
そうこうしてるうちに本免試験の日がやってきた。仮免と同様朝に集合し縦列やら方向転換の練習を行った後みんなで免許センターに行く。学科の試験をパスしたのち発着場に向かって試験を開始する(後で聞いた話だが、免取のやべーやつだけは仮免の学科を落としたらしい。てっきりその場では全員が受かったもんだと思ってた)。結論から言うと一回目の技能試験、普通に落ちてしまった。主原因は「君、左右確認するとき顔は派手に動いてるけど目が動いてないね?」らしい。これでかなり減点を食らっていた。僕としてはそんなつもりはなかったし指摘されたこともなかったのでえらくびっくりしてしまった。
僕の記憶が正しければその日は12月25日だったはずである。たしか次に試験を受けられるのは正月も明けた1月9日とかだった気がする。そんなに間が空くとさらに結果が悪くなるかも…ということで別の免許センターで試験を受けることにした。教習所側が用意したビデオを見てコースを覚え、補習を2コマ分受けて家に帰った。
12月28日、確かその年の最後の平日だったはずである。朝5時ぐらいに家を出てバスの始発を待ち(最寄りのバス停では間に合わないのでバスの車庫まで歩いて行った…)、電車を乗り継いで免許センターに向かった。学科はないので朝一で試験を受けることになった。用意されてた車はコンフォートだったがやっぱりアクセルとハンドルは軽かった。コース自体は初めての運転だったが地元のコースと違って市街地の平坦な道を走るだけであっさりと合格してしまった。ちなみに減点は教習所からメインロードに出るときの坂で5000回転を超えてしまったのと、側道から2車線の道路に出たときにそのまま直進したら「実は今の右ウインカーがいるんだよね…」とつぶやかれた分だった。検定員には「あなたはクラッチが4段階ぐらいしかないのでもっと増やしてください」「ポンピングブレーキは優しくで大丈夫です。親の仇みたいにブレーキペダルを蹴る必要はありません。」と言われた。免許の発行を待っていると1回目に僕のことを落とした試験官に出会ってしまった。なんで地元の免許センターは火曜日しか試験をやってないのか不思議だったが、ここから派遣されてたのか…と気づいてしまった。
まあそんなわけで僕は運転免許を入手したのである。その場で家族に報告し(そもそも自動車学校に行ってること自体言ってなかった)帰りはちょっといい飯を食べて教習所に行った。受付には例の眼鏡教官がいて最後の手続きを行った。なんか初心者マークくれた。
結局免許取得にかかった日数は36日だった。費用は入学費、夜間教習差額、ハイシーズン教習差額、補習2コマで27万円ぐらいだった気がする。僕は仕事の関係上ほとんどの教習を夜間に行ったので夜間教習差額(1コマ500円)が結構かかった。
ちなみに教習の間カーセンサーとかでどの車を買うか物色してモチベーションにしていた。120系マークXが欲しくて狙っていた個体がいくつかあったのだがなんか教習を受けている間に全部売れてしまい、最終的にC34型のステージアに乗ることになった。