中学校生活のはじまり
そんなこんなで(過去記事参照)私は第一志望ではない中学校に入学した。
入学式は両親と行き、癖毛が爆発しないよう初めて髪の毛にスタイリング剤をつけたのだが、量が分からずベタベタになってしまったことは覚えている。
大学まで受験をせず行けるかという基準でしか選んでいなかったので、入学してもなおこの学校については知らないことが多かった。
というより第一志望に行けると謎な自信があったためそれ以外の学校について知ろうともしていなかった。
なので各学年にどれだけの生徒がいるのか、クラス分けがどうなっているのかを知らずに始業式の日を迎えた訳である。
もうどうやって自分のクラスを知ったのかすら覚えていない。
入学前にお知らせが来ていたのか、始業式の日に昇降口付近にクラス分けが張り出されていたのか。
なので私の記憶は既に自分のクラスの自分の席に座っているところから。
クラスの人数は少なかった。
学年全体では3クラスほどあり、成績順でクラスが分けられていて、自分のクラスが1番成績の良いクラスだということを後に知った。
始業式の日、名前順で決まっていた席で私の左隣には坊主頭の男子が座っていて、その日配られた紙か何かで工作をしていた。
そして私に「これ何かわかる?」と聞いてきた。
初対面ではあったけど、私は小学生の時と同じノリで「知ってるよー!メビウスの輪でしょー?」と答えた。
その年、男子とまともに会話をしたのはこれが最後だった。その話はまた後で。
未知の場所で中学校生活が始まり、早々に気付いたことがあった。
「私はこの学校に歓迎されていないのかもしれない」と。
受験では、筆記試験と同時に面接の試験も受けた。
先生側も「この子はうちを第一志望にはしていない」というのは分かっていたのだと思う。
ただ点数が合格ラインを超えていたから合格にしただけで、本当に入学されるとは思わなかったのかもしれない。
クラスの女子の輪にも馴染めるようになり、休み時間も頻繁にクラスに居座っていた担任とも仲良くなり始めた。
そこで私以外の女子、そして多くの男子はみんなこの学校と馴染みあって来ているんだと気づいた。
女子はほぼ全員が既に担任と面識があり、姉や兄といった兄姉がこの学校の出身(または在学中)で、「〇〇の妹」として入学前から知れていたそう。
男子の半分くらいも兄弟入学や、「〇〇先生の息子」という形で入学前から知れていた。
それ以外にも、部活(各部活が強豪だったのでクラブチームからの勧誘などもあったらしい)目的で入った子もいた。
みんな、何かしらこの学校と関係があり入学していた。
私のように、完全に部外者として入っていたのは同じクラスでも私以外に5人もいたかなくらいであった。
そのため強い疎外感を覚えた。
みんなで初めまして、じゃないんだと。
また、学内のことではないが、電車の通勤通学は大変なんだなということも知った。
始業式から数日後、登校中に初めて「人身事故」による列車の遅延に遭遇した。
朝のラッシュの時間帯で、私が乗り換えに使っていた駅は何本もの路線がある大きな駅だったので、一本の列車遅延によりホームに溢れる人が大変なことになっていた。
それを目にして怖いなと思った気がする。
それから何回も遅延には遭遇したが、徐々に人混みがなくなるまでカフェで待つことや、遅延証明書を出して怪しまれないギリギリまで学校に行く時間を遅らせるという技を覚えた。
さて、
始業式からすぐに部活の体験入部期間が始まった。
帰宅部は許されず、全生徒が何かしらの部活に入らなければいけなかった。
ちなみに帰宅部に1番近い部活もあったので、何をもしたくない人はみなその部活に入っていた、名前だけね。
私はというと、元よりテニスを習っていたこともありテニス部に入る気満々でいたのだが、結果入部したのはバドミントン部であった。
というのも、部活紹介があった日の放課後、勧誘をしないと部員が集まらない弱小運動部が各クラスにクラブ勧誘をしていた。
例えば野球やサッカー、テニスといったところは勧誘の必要なく部員が集まっていた。
それ以外の、バドミントンやバレーボールなど大会記録のない部活は先輩たちが一年生を取り合うという図になっていた。
私はクラスの女子数名と、その勧誘に来た先輩に捕まり、とりあえずバドミントン部を体験することになった。
かなり強引だなと思っていたが、体験後に先輩から「本当はどこ入りたいの?」と聞かれ、「本当はテニスをやりたかったんですけど、女子のテニス部はないと言われたので迷ってます」と返した。
この時話を聞いてくれていた先輩は、威圧感なく本当に親身になり私の入部先を決めるのを手伝ってくれた。
女子のテニス部はないけれど、私がテニス部に入れないかテニス部の顧問や部長に話をしてくれたのだけど、全国大会常連のため、練習メニューは男子と同じハードなものになるし、女子部員は今のところ誰もいない、それでもよければと言われた。
入学したての私は、部活とは「みなで同じユニフォームを着て、学校の名前が刺繍された部活バッグを背負いキラキラした青春の時間」というものだと思っていたので、テニス部に入るのは諦めることにした。
テニス自体はスクールに通い続けていたので、辞めてはいない。
その話はまた後ほど。
そして私は色々優しくしてくれた先輩がいたというのと、テニスに似たラケット競技で、似たようなバッグやユニフォームを着れるということでバドミントン部へ入部した。
続