ビリケン


身体測定

バドミントンのセンスがあったというだけでなく、もう一つ私に運動の自信をくれた出来事があった。
それは体育の時間に行った身体測定。

学年の人数が少ないため、体育は3クラス合同で行われた。
私のクラスにはいなかったのだけど、他のクラスには女子ソフトボール部の子たちが多くいて、運動神経のいい子=ソフト部(全国大会常連)という認識が皆の中ではあった。

それと、私たちのクラスは成績が良いという理由からか、ソフト部の女子からはあのクラスの女子は全員嫌味な奴だと思われ嫌われていた。
それもあからさまに。

廊下ですれ違っても睨まれたり小言を言われたりとあったが、それが堂々としたものだったので逆に私たちも堂々と「なに?」という態度で喧嘩をできた。
毎度顔を合わすたび歪みあっていた私たちだったけれど、身体測定の一つシャトルランでは50を超えて残っている人はほとんどいなかった。

私が仲良くなったバレーボール部の子(テニスやってた子)と、私、ソフト部の女子が数名いた気がする。
私は絶対負けたくないという意地で限界はきていたもののなんとか走っていた。
そして気づいたら最後の二人となり、ソフト部の子と一騎討ちになっていた。
60を超えていたことは覚えているが、どこで自分が離脱したのかは覚えていない。
あと彼女に勝利を譲った気もする。

もういいやと。ここまで残ったし負けてもいい早く休みたいと。そんな感じだった気がする。そしてソフト部の子と対等に勝負できるレベルの身体能力があったのかと自信を持った。

夏合宿

大体の部活の三年生は夏の大会で引退をし二年生に部を任せる形式になっていた。

三年生とは半年もないほどの付き合いだったのであまり仲良くはなれなかったが、部員全員で学校周辺のゴミ拾いをするなど思い出は少しだけある。
そのゴミ拾いで避妊具を拾った先輩が「これ何か知ってる?」と問うてきた。
今更ながら周辺に商業施設は何もなく駅までの間には野道山道崖道しかないこの場所でなぜそれが落ちていたのかはあまり考えたくない。

私はまだそれが何かを知らなかったので、はて、という感じだったが、先輩がこれが避妊具だよーと面白がっていたことを覚えているし、そこで初めてそれを認識したことも覚えている。

小学校でも保健として男女の身体については学んだはずだが、いまいちよく理解できていなかった私は、この時はまだどうやったら男女の体が合体するのかを理解できていなかった。
それを教えてくれたのもこの三年生の先輩であった。

それから三年生が引退して、二年生の中から新たな部長が誕生し、一二年生だけの部活動が始まった。
女子部の顧問の先生は全くの素人で、本当に顧問というだけだったのに対し、男子部の顧問はバドミントン経験者(現役)のほぼコーチ的な存在だった。

普段は男女別に練習をしているが、夏休みは合同合宿を行い女子部もその先生の指導を受けることになった。
その練習は本当にきつく、体力のあった方の私でもヒィヒィ言っていたので、私よりしんどいと思っている子は多かったと思う。
何度もタンクにポカリを作り直したことを覚えている。

合宿での部屋割りは、女子は一年生と二年生が半々になるよう二部屋用意され、私は部長と副部長ではない先輩たちと同じ部屋になった。
私と私のペアの子は、ここで同じ部屋になったM先輩と後にとても親しい関係となり、私も本当の姉のように慕うなどしていた。

合宿は、みんな真面目に頑張ってはいたのだけど、コーチ顧問から見たら全然なっていないと言われ、本気で練習する姿勢が見られないので来年度以降は合宿禁止などという話になった。
なのでこれが私の中学生時代の最初で最後の合宿となった。


自分が指導する立場を経験して今改めて思うと、コーチが求めるものと我々の実力や体力に差があり、ついていけない私たちだけでなくその差を埋めようとしない指導者にも問題はあるなということ。
私は後の二年時に多数決で部長に任命されたが、このコーチ同様自分と同じ練習量をこなせばみんなをもっと上に持ち上げられるなどの思い違いをし恥ずかしくなったことがある。

当時は自分たちがダメすぎたとショックで気付けなかったが、今ならコーチも完全な人ではなかったのだなと少し気を晴らせる。


結局そのコーチは三年生の卒業と同時に高等部へ行ってしまい、合宿も何も男子部にも指導者がいなくなった。
男子の部長をしていた三年生を可愛がっていたので、高等部でもその子を指導するため移動させてもらったという噂だが。


クラスの男子との溝

ところでクラスの中での私はどうだったか。
夏もすぎだいぶクラスに馴染んだ私は、毎日女子とのみ会話をしていた。

私のクラスは夏前にはすでに男女に大きな壁ができ、気軽に話ができる雰囲気ではなかった。
というのも、私たち女子はいつもうるさかった。(男子もうるさかったけど)

声自体も大きいし、笑い声も下品で大きな声だった。
授業中は静かだったよ。
それが顕著なのが給食の時間で、食堂に行くまでの間の廊下や、食事中など、箸が転がるだけで笑えたくらいみんなツボが浅かった。

そんな女子を男子は不愉快に思っていたし、女子のくだらないことで盛り上がり騒ぐ様子もまた男子のご機嫌を斜めにしていた。

昼食時にうるさいのは担任にも、他の先生にも怒られ、生活指導室に何度か指導を受けに行ったこともある。
そのためだいぶマシにはなっていたが、お話が楽しいのは卒業まで変わらなかった。

男女の溝自体はあまり埋まらなかったが、ほとんどクラス替えのない三年間だったので、次第にそれなりには仲良くなっていったがその話もまたそのうち。





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