学外のこと
テニスのそれから
以前小学生編でテニスを習い始めたと書いた。
中学生に上がってからも、部活をしながらテニスは続けていた。
二年生の終わりだったか三年生になった時だったかは忘れたが、スクールに新たな同級生(男女の双子)が入ってきて、私は両方の子と仲良くなった。
二人は同じ市に住んでいるようだったけど、わざわざ車で30分ほどかけこのスクールに通っていた。
誰かの紹介だか、日曜日に入れるクラスのスクールを探していたのかは分からないが、本当に田舎のこじんまりしたスクールにわざわざ遠くから通う理由は聞けずに今に至る。
女の子の方とは、同い年だったこともありすぐに仲良くなり、メアドを交換した。
次第に男の子の方とも仲良くなり、この子ともメアドを交換した。
私は多分メッセージでノリを良くできるタイプで、男の子の方は私とのメッセージを楽しいと言ってくれた。
学校が違うのもあったし、なかなか遊ぼうとはならなかったのだけど、私が冗談で言った「来週の土日は文化祭だからスクールお休みするーよかったら文化祭おいでー」というメッセージに、本当に文化祭に来てくれた時はびっくりしてしまった。
駅からも遠い場所でアクセスも悪いのに、よく来てくれたなあと感心していたが、なかなか私が自由になれず校内を一緒に見て周ることはできなかった。
その年の暮れ、年越しの話題で盛り上がってたメッセージで恋愛の話になり、私はまだYへの気持ちに整理ができていなかったこともあり、その心境をそのまま綴っていたけれど、私がすっぱりYからこの子へ好きという気持ちを移ろげていたら付き合うという未来もあったのかもしれない。
それから徐々にメールの頻度も減り、しばらくしてからわざわざ「同じ中学だった一つ上の先輩と付き合うことにしたー」という報告を受けた。
私とのルートはもうないですよと言われてるようだった。
それから中学を卒業する時にその双子はスクールを辞め、再び私は一人になった。
高校生になってまた違うスクール生が来た話はまたそのうち。
ちなみに双子の女の子の方は、私の小学校の時の同級生と同じ高校で同じテニス部になったようで、SNS上で3人で絡んだりもした。
未だにFacebookとLINEは繋がっている。
男の子の方はアドレスも変わり、ラインも登録していないため何の繋がりもない。
後腐れもなくてとてもいい関係だなって思ってる。
ちなみに、メールをしている時私は下の名前を呼び捨てされていたけれど、その名で私を呼び捨てで呼ぶ男の人は彼が最初で今のところまだ彼以外に誰もいない。
友達、恋人、恋人だった人、家族、誰も私を呼び捨てでは呼んでいなかった。
たった一年ほどの関わりで(今のところ)唯一のポジションにいるの、すごいと思う。
二人とも幸せであってほしいな。
バイオリン
中一の時の話は殆どが部活で終わってしまったが、実は入学してしばらくして私はバイオリンを習い始めている。
ピアノにフルート、懲りずにまた楽器を始めたのは親も呆れていたかもしれない。
それでもやりたいことはやった方がいい的な方針のお陰で、再び楽器を習うことを許可された。
私がバイオリンを習いたかったのは、のだめカンタービレの漫画(親が買い揃えた)を読んだのと、過去に放送されていたドラマを見て「バイオリン弾けたらいいなあ」と思ったからという単純な理由と、主要教科に対してあまりにも音楽の才能がないことを憂い(音痴すぎる)、音を学びたいと思ったから。
ピアノもフルートも家に元からあったものだったが、バイオリンは新調する必要があった。
レッスン用の1番安いもので、10万するかしないかのものを買ってもらったが、今もそれを使っているので元は十分取っていると思う(大人になり稼ぐようになったら良いやつ買おうと思っていたも就職に失敗し稼ぐに至らなかっただけ)。
私は大人の趣味的なクラスの個人レッスンで、大学生を終えたばかりらしき若い女の先生に教えてもらっていた。
今思うと弓の持ち方からもっとしっかり基礎を叩き込んでほしいと思うが、週に一回30分のレッスンだとこのレベルが限度だったのかもしれない。
バイオリンの才能もあるとは言い難いものだったが、意外にも長く続き、途中受験などで休学?していた期間も含め結局大学を卒業するまで続いていたので、習い事の中では1番続いたものだった。
今も、時間を作ってまたレッスンに通いたいなと思い空いた時間に練習をしているくらいにはバイオリンを気に入っている。
本当に、上手ではないのだけど、私はバイオリンがとても好き。
演奏家の音を聞くのも、自分で弾くのも。
バイオリンについてはまた大学生編あたりで先生とのお別れ話でも書こうと思う。
最後
また、中学生の間に変わったことはもう二つほど。
一つは家族旅行が無くなったこと、もう一つは毎週行っていたスーパー銭湯が閉業したこと。
小学生の頃から毎年静岡の伊豆半島に旅行に行っていたのだけど、私が部活に入りなかなか時間が合わなくなったことと、両親間の仲が冷戦になり始めたことで、家族旅行はなくなった。
最後に行ったのは伊豆ではなく千葉県の房総半島だったけれど。
毎年静岡では「伊豆・三津シーパラダイス」という水族館に行っていたのだけど、房総半島に行った時は「鴨川シーワールド」に行った。
当時は三津にもラッコやシャチがいて、毎年会っていたのであまり希少だとは思わなかったのだけど、今思うととても貴重な時間だったなと思う。
鴨シーも、今では日本で三カ所しか見れないシャチの飼育施設となり大変貴重。
さらに今では自分の体の問題もあり、なかなか遠くに行けないので、小さい頃から毎年水族館に通わせてもらえていたのはありがたいことだなあって。
またどちらも行きたいなあ。当時はイルカに夢中だったのでアザラシがおざなりさんだったのでアザラシをじっくり見に行きたい...
また、毎週通っていたスーパー銭湯も閉業してしまい、みんなで温浴施設に行くことも無くなった。
広い休憩所や温水プールがあったため、長期休みの日には友達家族と一緒に行ったり、祖母と行ったりしたし、スタッフさんにも顔を覚えられていた思い出深い場所だった故とても寂しい気持ちになった。
美容院が苦手だったため、小さい頃は母親に髪を切ってもらっていたが、この銭湯についていたヘアカットサービスで初めて親以外の人に髪を切ってもらえるようになった。
ちなみに私にはここでの初めてがもう一つ。
この大浴場でスキップをしてそのままひっくり返り、数秒白眼を向いて気を失っていたため救急車を呼ばれ運ばれてしまった。
病院について色々確認されてが、真っ直ぐも歩けていますし特に異常ないでしょうと言われそのまま返された。
ちゃんとMRIとか撮っておいてほしい。
10年以上経った後に急に脳血管が破裂する可能性もあるので。
とりあえずひっくり返って15年以上はたってるけど今のところ大丈夫そう。え?