担任と男子
私のクラスは女子もうるさかったけれど、担任は熱血だったし、男子もうるさかったのである。
C組の男子
私が中学生活3年間を共に過ごした男子たちは本当に威勢が良く、これをきっと「動物園状態」って言うんだろうな、と。
女子のことを言えないほど他のどのクラスよりもうるさいし、落ち着きもなかった。
男子は休み時間や授業中にふざけることも多く、結果各教科の先生たちからもよく怒られたクラスだったと思う。
何をそんなに騒ぐことがあったんだ?
と思うかもしれないが、まだ純粋に自分を生きることができていた私たちにとっては、すべての出来事が新鮮で刺激を受けていた。
教師の癖や口癖であったり、ちょっとした下ネタにも過敏に反応する時期だった。
そして、その刺激の代表が「テレビ」だった。
毎日各局で面白いバラエティ番組が流れ、流行りの音楽が流れる。
テレビで流行っている芸人さんのネタはすぐにクラスで男子が物真似をし、楽しそうに騒いでいた。
私たちもそれを面白がり、楽しんでいた。
しかし、それが楽しい範囲を超え、だんだん「大人」に迷惑をかけていくから厄介だった。
例えば、今は無き「イロモネア」というお笑い番組。
イロモネア
芸人さんが、サイレント、一発ギャグ、モノボケ、ショートコントという4つのチャレンジを順番に行い、制限時間内にランダムで選ばれた客を笑わせられたら賞金100万円というもの。
これが男子の中で大流行。
昼休みなど少し時間が長い休みには、男子全員が壁際に並び、その前にネタをやる一人が立ってみんなを笑わせていく。
イロモネアの完全再現、面白いじゃん?
そして芸に秀でて、誰よりもみんなを笑わせていた男子が一人いた。
その子は、当時ブレイクしていたお笑いコンビザブングルの加藤さんがやっていた「悔しいです」の芸を一発ギャグでやり大ウケ。
他の男子も彼の「悔しいです」を気に入っていた。
やがてクラスの男子たちは、クラス内だけでなくそのネタを教師に見せに行くようになっていった。
実際ネタをやる男子は嫌々付き合っているようにも思えたが。
私たちの教室の向かい側には理科準備室があり、男子たちは授業の合間合間に理科の先生に「悔しいです」を披露しに行った。
初めは先生も「はいはい」という対応だったが、さすがに頻度も多くなりしつこいと叱責するように。
授業がなくても先生たちが忙しいのは大人になった今ならよくわかる。
男子たちは怒られてもこりずに「悔しいです」を続け、ついには先生が怒るのも面白がるようになった。
先生も自分一人では収拾がつかないと担任に報告し、学級問題のようになった。
担任からの注意がありしばらくは落ち着いたが、結局卒業まで細々ではあるが何度もその先生をからかいに行っていたらしく、私たちの卒業と同時にその理科の先生も学校を辞めてしまった。
掃除の時間は X JAPAN
また、男子の奇行はそれだけでなく、放課後の掃除の時間はほぼ毎回XJAPANのライブが開催されていた。
帚をマイクに、掃除用具入れ(ちょうど良い金属の箱)をドラムに。
それがまたうるさいけど面白かったんだわ。
しかし掃除用具入れはバンバン叩かれ、だんだん凹んでいく。
そして先生が怒る。
男子の発想は面白いけどいつも度が過ぎて多方面に迷惑をかけていた。
それ以外にも美術室にある顔型の石像の額部分に「ワトソン」と落書きをしてしらばっくれていたり。
もちろんこんな下らないことで授業を妨害したり、仕事中の先生の邪魔をしたり、勝手に学校の美術品に落書きをしてはいけない。
大人が怒り叱るのも当たり前。
ただ、その叱り方は正しかったのだろうかと大人になってからふと考えることもたまにある。
エンターテイナー
ただ物真似をするだけでなく自分たちでアレンジを加えてみんなを笑わせられるのは立派なエンターテイナーではないか。
迷惑なことと面白いことはきっと紙一重だけど、そのこと自体もダメなことと一括りにしてしまうことで彼らの潜在能力を潰してしまってはいないか心配になる。
彼らは今、サラリーマン、教師、大工などそれぞれの職についているが、彼らの面白い部分を伸ばせていたらもっとbigになってたりしたかな、と今のバラエティなどを見てて思うことが時々ある。
だってまだ短い私の人生でも、毎日あれだけ泣くように笑って過ごしたのは唯一中学校にいたあの3年間だけなのだから。
ちなみに私が1番印象に残っているのは、特待生として入学していた男子が授業中に居眠りをしていて、寝過ぎてそのまま床に転がってしまったこと。
そんなことある?笑
って当時は永遠に笑っていた。
一日のほとんどを一人で過ごす今の私にはあれだけ笑えた日々が恋しくて仕方ない。
土方
担任は三年間変わらず、一人の男性教諭にお世話になった。
その先生は新撰組が好きで、朝のHRの時間や、担当教科の授業時間でたびたび過去にNHKで放送されていた「新撰組」を流しては試聴の時間を設けていた。
(ちなみに理科の先生は授業の1時間ほどをプロジェクトXを流して済ましていた。)
卒業時にはクラス全員を新撰組のメンバーや家族などに当てはめるなどしていた。
自分は土方歳三なのだと言っていたが、どうなのだろうか。笑
熱血、とは言い過ぎかもしれないが、「全力」な先生ではあった。
生徒を下の名前で呼ぶタイプの先生で、各行事にも生徒より燃えているような印象で、手抜きを許さないというかそんな感じだった。
だから音楽祭も練習量は他のクラスより多かったと思うし、授業も白熱していた。
上で男子が授業中もうるさいなどと書いたが、そのせいでクラス全体がお説教に遭うことが多々あったが、その際に先生のズボンのチャックが開いていてお説教後に笑い話になったこともあった。
ちなみにこのお説教は教員の中でも迫力がある方だったので「恐怖政治」と呼ばれていた。
私は卒業後も毎年年賀状を書いていたけれど、成人式の日の同窓会で「未だに年賀状をくれるのはあいしだけだよー」と言われたことで、もらう側は嬉しいだろうがなんとなく恥ずかしくなりその年以降年賀状を送るのをやめた。
大学時代に何回か先生を訪ねみんなで学校に遊びに行ったこともあるが、社会人になってからは一度も行っていない。
風の噂ではだいぶ偉いポジションに出世しているとか。
でも先生は担任を持つことの方が好きなのかなって思ってたからどうなんだろう。
先生の日々が充実していればいいな。
そして私ももう少し元気になりみんなとまた集まれる機会があれば母校、行きたいなあ。
先生が働いているうちに...