『劇場版ウマ娘 新時代の扉』の感想 ※しっかり史実含めたネタバレあり
はじめに
史実ではちょうど馬齢表記が変更される頃の物語でしたが、分かりやすくする為にすべて現在の馬齢表記にしてあります。
(以前は数え年、現在は満年齢。以前の3歳馬は現在は2歳馬…など)
加えてレース名も当時の表記だったり現在の表記だったりしますので、その旨を都度記載します。
感想を書くにあたって、まずこの辺りを説明がないと説得力が出ないって事で。
映画自体の感想
めちゃくちゃ良かったです。
ジャングルポケットを中心に、2000年~2001年の競馬を非常にうまく描けていると思いました。
特にストーリーに関しては、『幻の三冠馬』と呼ばれたフジキセキとアグネスタキオンをうまく重ね合わせてジャングルポケットを迷わせ導く…というのを知らなくても楽しめる内容でしたし、知っているとより楽しめるなと。
(特に合宿時の夏祭りでの会話とか)
レースはどれも迫力があって見ごたえありました。フジキセキの弥生賞から始まり最後のジャパンカップまでどれも演出が際立ち楽しめました。
個人的には2000年有馬記念のテイエムオペラオー包囲網、に参加しなかったキングヘイローの描き方など忠実に感じましたね。
主軸とは関係ないウマ娘たちも多数登場し、何度も見たくなる施策もありましたね。
『アニメウマ娘はダービーを勝った後キャラが変化する』という可能性も見えてきました。
1期のスぺ・2期のテイオーもそうだったように、RTTTでダービーを勝ったアドマイヤベガがあんなにふわふわに取り込まれるとは…。
一番心配なのは3期でダービーを勝ったドゥラメンテなんですけど、4期で「ドゥ~ラララ!最強だメンテ~!」
ってなったりしませんかね…?
時間や展開的な部分で仕方がないとはいえ描写不足、「もっとエピソードを盛れたのでは?」と感じる部分もありましたが、それでも十分満足いく内容でした。
「もっとエピソードを盛れたのでは?」という部分に関してこの後しっかり後述していきますので、それを踏まえて解像度を高めた後もう一度見に行ってみるのも良いと思います。
自分もまた見に行きますので!(まだ特典付きムビチケ分が残っている)
『新時代の扉』の意味
さて、サブタイトルにある『新時代の扉』ですが元ネタはジャングルポケットが勝った日本ダービーの実況です。
アニメ内でも忠実に再現していましたね。
2001年は新しい世紀の始まり…という意味ももちろんありますが、新時代の本当の意味は2001年から外国産馬の日本ダービー出走が可能になった事を指しています。
動画タイトルにも書かれている通り、この年は『内国産馬 vs 外国産馬』という構図でした。
(内国産馬…日本国内で生まれた競争馬で今現在では殆ど使われない死語。昔は内国産馬限定レースとかありました)
この年クロフネという有力な外国産馬が現れました。名前の由来も『江戸幕府へ開国を迫るアメリカ艦隊の通称・黒船』だったりします。
(ちなみに母父の名前がクラシックゴーゴーって辺りもクラシック路線に乗り込む意気込みを感じられて個人的に好きです)
しかしこの作品においてはクロフネは『ペリースチーム』という名のモブウマ娘扱い。アニメ内では日本ダービーなどいくつか多少見せ場はありましたが、個人的にはその程度で良かったと思っています。理由は後述。
またアニメ内では絶対的強者・世紀末覇王とも呼ばれているテイエムオペラオーにジャパンカップで勝つという意味でも使用しています。
実際古馬最強のテイエムオペラオーを3歳馬であるジャングルポケットが勝ち新時代の扉を開くというニュアンスで作品も締めくくられています。
ジャパンカップは海外から招待馬が来るレースではありますが、クラシックを走ってきた3歳馬と4歳以上の古馬との戦いでのレースでもあります。
この結果を基に「今年のクラシック世代は強い(または弱い)」と判断される指標にもなります。
2000年のジャパンカップでは、テイエムオペラオー達によりそれが顕著な結果として晒されてしまいました。
アグネスフライト 2000年日本ダービー優勝馬
エアシャカール 2000年皐月賞・菊花賞二冠馬
イーグルカフェ 2000年NHCマイルカップ優勝馬
シルクプリマドンナ 2000年オークス優勝馬
と、2000年のクラシック馬下位の順位を埋め尽くすという結果に一部の競馬ファンからは『最弱世代』と揶揄される程になってしまいました…。
アニメ内ではこの辺りの描写はありませんでしたが、前年このような事があったジャパンカップというレースにジャングルポケットは挑む訳です。
しかも出走した3歳馬はジャングルポケットのみです(外国招待馬で1頭3歳馬はいましたが)
ところで、2000年のテイエムオペラオーは強かったけどジャングルポケットと戦った2001年でも強かったのか?という辺りは後述。
『新時代の扉』というフレーズにはそんな上記の2つ
・外国産馬の出走が可能になったG1レースで勝った馬
・テイエムオペラオーに勝った馬
という意味が込められていると思います。
そして両方に該当している馬が史実に存在しています。
その名はアグネスデジタル。
そう、本当の意味で新時代の扉を明けたのはアグネスデジタルなのです!
一応厳密には天皇賞秋は1972年以降外国産馬の出走が不可能になり2000年に再び出走が可能…という流れなんですけどね。ちなみに当時は2頭だけという出走可能頭数制限があり(後でテストに出ます)で、2000年天秋に出走した外国産馬はメイショウドトウとイーグルカフェの2頭です。
アニメ内では観覧エリアから悦楽の表情で見守っていましたが…まあ話の本筋が濁るのでデジたんはああいう立ち回りで良かったと思います。この辺りもオペラオーの話と併せてまた後述。
新時代の扉というサブタイトル、個人的には結構気に入っています。
そもそも、その言葉を引き出した三宅アナウンサーの名実況のおかげとも言えますが。
当時は前述の通り内国産馬vs外国産馬の構図かつクロフネに引っ張られて開国・日本の意地など書かれる事も結構ありましたし…。
という事ここからは名馬の肖像にも『扉を叩く者』と紹介されていたクロフネ(リンク先のPDFをご覧ください)にまつわる話を…。
新時代の扉を開けるはずだったクロフネ
さて、にわかな人ほど引退前のダート2走だけしか語らない事でも有名なクロフネですが、デビューしてから割と順風満帆とはいかなかったのです。
デビュー戦では2着(ちなみに1着は中距離重賞の常連だったエイシンスペンサー、3着は重賞馬を次々産み出したエリモピクシーと相手も悪かった)。
その後出世レースであるエリカ賞を勝ち、ラジオたんぱ杯3歳ステークスでは圧倒的1番人気だったものの3着に敗れます。
翌年は共同通信杯でジャングルポケットと再戦…だったのですが色々ありまして毎日杯から始動、さらにNHKマイルCと連勝をします。
アニメ内でペリースチームにNHKマイルC優勝馬と言わなかったのはさすがに端折り過ぎかなとはちょっと思いました。NHKってのが引っ掛かっていた可能性はもちろんありそうだけど。
そしてその名に刻まれた本来の意味を示す最大の目標・日本ダービーでは馬場・距離適性の問題もあり5着と敗れてしまいました。
なお今現在でも外国産馬による日本ダービー制覇はありません。今年のダービーでは藤田晋さん所有のシンエンペラーが出走しましたが、3着でした(馬券は的中)。
ダービーと共に外国産馬に解放された菊花賞でしたが、クロフネは距離的に厳しいという事で目標を天秋に。こちらも前述通り前年から外国産馬に再解放されたばかりのG1レースです。
当時の出走可能外国産馬は2頭だけ(テストに出ました)。賞金実績ともにメイショウドトウは確定として、2番目にクロフネが入る…はずが地方ダート路線で着実に賞金を稼いでいたアグネスデジタルが急遽天秋に出走する事となり、クロフネは出走できなくなってしまいました。
この件で当時の競馬ファンさらには関係者も含め相当荒れました。
しかし結果としてアグネスデジタルは天秋を勝ち、クロフネはダート路線で記憶・記録に残る活躍をしWIN-WINの関係に。
自分は1994年から競馬を見続けていますが、この件は本当に競馬ファンの掌返しが多かったのを覚えています。
他では
ダイタクヤマトのスワンS
ロードカナロアの安田記念
ジェンティルドンナの有馬記念
岩田康誠のデシエルト(若葉S)&ビーアストニッシド(スプリングS)
辺りが該当しますね。
最後のは2年前の事なので覚えている人も多いかもしれません。
デシエルトで若葉Sを勝利後、インタビュアーの『権利を取りました』発言から「権利じゃないんです。勝つために来てるんで」とイラつく岩田康
↓
それを見た競馬ファンから賛否
↓
翌日もビーアストニッシドで逃げ切り勝利、インタビューで昨日の件をいじる
「昨日と一緒ですね」
「全国の皆さん、炎上の岩田です」
閑話休題。
クロフネもきちんとした形でアグネスタキオンやジャングルポケットのライバルとして描ける存在ではあるのですが、残念ながらクロフネ以上にジャングルポケットのライバルとして描ける馬がいたのです。
モブ馬としても登場しなかった、当時を知る競馬ファンの記憶に確実に残っているタガノテイオーという馬です。
ホープフルステークスでの描写に、隠し味
※この章にて記載の各種『3歳』と書かれているレースは現在でいう2歳のレースとなります。
タガノテイオーはジャングルポケットが勝った新馬戦、そして札幌3歳ステークスで2着になった馬です。
その後は東京スポーツ杯3歳Sを勝った事で、「やはりこの馬は強いし、この馬に勝ったジャングルポケットはもっと強い」と双方の評価を上げ、中山で行われるG1・朝日杯3歳S(現在は阪神で行われるG1・朝日杯FS)に進みます。
タガノテイオーは1番人気、2番人気はクロフネに勝ったエイシンスペンサーです。
タガノテイオーは直線伸びるものの2着。勝ったのはメジロブライトの弟メジロベイリー(この馬もジャングルポケットが勝った新馬戦で5着だったりする)でした。
しかしレース直後に藤田騎手は下馬、実は最後の直線の坂で骨折しておりそのまま予後不良となってしまいました。
(藤田は骨折に気付いていたが、最後の直線の追い比べで急に止めて他馬を巻き込む大事故を引き起こさなかったので正しい判断をしています)
それから2週間後に行われたのがジャングルポケット・アグネスタキオン・クロフネが出走したラジオたんぱ賞3歳ステークス…アニメではホープフルステークスという流れとなっています。
アニメでも描かれていた通りアグネスタキオンの快勝、2着はジャングルポケットでした。
シンプルにアグネスタキオンが強かったというのはあるのですが、もしタガノテイオーがアニメ内で描かれていたのであればジャングルポケットの心情に何らか影響を与えていたのではないか?また後々のアグネスタキオンの伏線にもつながる大きな伏線にもなっていたのかな?とも思ってみていました。
またアニメ内では皐月賞後アグネスタキオンに「勝ち逃げなんて!」と詰め寄るジャングルポケットの描写がありました。
もしタガノテイオーがアニメ内で描かれていたのであれば、ジャングルポケットはタガノテイオーに勝ち逃げしている事を問われてどう反応していたのか?…などなど想像すると、タガノテイオーを加える事で後半ジャングルポケットがメンタルをやられる描写がさらに深み・重みが増すのではないでしょうか。
まあ実際タガノテイオーの事まで描いたら描いたで時間がないし、話も重すぎると判断されてしまいそうだとも思いましたけどね。隠し味としては濃過ぎる要素とも言えます。
(多分そういうのもあって、その場面ではジャンポケが妖怪みたいな凄い作画でまくし立てて笑いに変えていたという辺りも含めて)
皐月賞での描写に、隠し味
2001年の牡馬クラシック、自分は予めアグネスタキオンを応援する事に決めていました。
(当時の)ラジオたんぱ杯3歳ステークス&弥生賞での勝ちっぷりを見て、少なくとも皐月賞での勝利は確信したのです。
しかしアニメで描かれている通り、アグネスタキオンは皐月賞後に故障発生し引退を発表しました。
(アニメでは直後に怪我即引退でしたが、史実では少し後に怪我が判明し放牧で様子を見た結果8月に引退)
アグネスタキオンにはアグネスゴールドという有力な同僚馬がいました。タキオンと同じ馬主・厩舎です。皐月賞トライアルであるスプリングステークスを勝った事でアグネスタキオンと戦績まで同じになりました(4戦4勝)。
しかしアグネスゴールドはスプリングSを勝った翌日故障が判明し、皐月賞を断念する事になってしまいました。
アグネスタキオンはアグネスゴールドという同僚の怪我という無念を胸に皐月賞を走り抜け、レース後に同僚と同じく怪我をしてしまったのです。
タガノテイオー同様にこの辺りの描写は隠し味として加えても良かったかもしれない…とは思いつつやっぱり濃過ぎるなと。
アニメでジャングルポケットが妖怪みたいな感じでアグネスタキオンをまくし立てていてちょっと笑ってしまいましたが、タガノテイオー・アグネスゴールドの史実を加えると双方共にとんでもなく辛い心境になってしまいますので、ああいう笑える描写にしているのかなぁとも少し思いました。
なおアグネスゴールドは同年秋に復帰し、菊花賞ではマンハッタンカフェ・ジャングルポケットなどと一緒に走りましたが以前の強さは戻らず(8着)引退、種牡馬となります。
日本では頭数はあまり集まらず、産駒成績はイマイチ…という事で海外へ輸出され後南米で種牡馬生活をし大成功を収めています。
一方でアグネスタキオンの方は御存知の方も多いと思いますがダイワスカーレットなど名馬を生み出し日本で種牡馬として成功しています。地球規模で考えれば真逆の位置にいる2頭が、各々当地で種牡馬として活躍しその血を国内外に広めたと言うのは本当にすごいなと思います。
ちなみにウマ娘アプリ内で見られるアグネスタキオンのウワサ『海外から頻繁に小包が届く』というのはアグネスゴールドの事を示唆しているとかどうとか。
自分は弥生賞・皐月賞と連勝したアグネスタキオンを見て「これは三冠もありえるのではないか?」と思うようになりました。
しかし怪我により日本ダービー回避を発表、自分以外の競馬ファンも『幻の三冠馬』という言葉を口にするようになります。
自分の競馬歴でいえば1995年、フジキセキが弥生賞を勝った時以来でした。
幻の三冠馬と呼ばれる条件
フジキセキは4戦4勝、弥生賞を最後に引退しました。たった4戦ですが、とてつもなく濃い。
有名なエピソードとして「4戦ともレース中で鞭を使っていない」というものもあります。それぐらいフジキセキは操縦性がよく賢い=どう走ればいいのか馬が知っているという事ですね。
そんな有力馬が皐月賞前に突然戦線から離脱してしまうとどうなるか?めちゃくちゃ競馬へのモチベーションが下がります。
アニメ内でも描かれていましたが、馬自身はさておき競馬ファンはほぼ確実に「あの馬がいたら」という幻に囚われるようになってしまいます。
1995年のダービー馬タヤスツヨシはフジキセキの2戦目もみじステークスで対戦がありました(2着)。
「タヤスツヨシ、ダービー勝ったけど先にはフジキセキがいたんだろうな」
と、アニメでジャングルポケットが囚われた幻と同じように言われていました。
ダービー以後は勝てなくなってしまい、しかも当時放送していたアニメになぞられて、負けたら「ツヨシしっかりしなさい」と言われる可哀そうな晩年を迎えて引退しました。
この辺り、ジャングルポケットと同じ馬主であったフジキセキが、引退直後に他の馬に幻を与える側だったというのが史実出来すぎだろと思ってしまった訳です。
アグネスタキオンとフジキセキ、どちらも幻の三冠馬と呼ばれていますが現実的に適性を図ると「どちらも三冠馬は厳しいのかな?」と個人的には思います。
アグネスタキオンは府中適性が高いジャンポケに負けそう、でも二冠は達成しそう。
フジキセキは産駒成績を見る限りダービーはギリいけそう、でも菊花賞はマヤノトップガンもいるし厳しそう(この時はまだNHKマイルカップはありません)
…という感じでしょうか。
それでも永遠にこの2頭は『幻の三冠馬』と呼ばれ続けるのだろうなと。
『幻の三冠馬』という称号は、皐月賞までにそれだけ夢のある走りを競馬ファンに見せつけられた馬に与えられる名誉だといえます。
(この辺り、アニメ内でアグネスタキオンが非常にうまく描いていて感心しました)
ジャングルポケットの代名詞が生まれた日本ダービー
アグネスタキオンの幻を追い、ジャングルポケットは日本ダービーを勝利します。
アニメでの描写、特にダンツフレームとの直線での競り合いはなかなか見応えがありました。実際は猛追してきたダンツフレームにジャングルポケットを振り切るようなレース展開でしたけどね。
ジャングルポケットは日本ダービーを勝った後のウイニングランで、首を高く上げ吠える仕草を繰り返しました。
テレビ中継や競馬関係雑誌など競馬ファンに強烈なインパクトを与え「ジャングルポケットといえば勝利の雄叫び」と印象付ける事になりました。
アニメで見た雄叫びは意外と淡泊だな?という印象でした。その辺りはきちんと『まだアグネスタキオンの幻に囚われているまま』という理由付けがされていたので納得性はありました。
史実の、あくまでも世間一般的な見解としては、この時のジャングルポケットの勝利でアグネスタキオン&フジキセキの幻から解放されたと表現されています。
フジキセキと同馬主・調教師・騎手で挑み勝ち切った日本ダービー、新時代の扉を開けたのは外国産馬ではなく内国産馬のジャングルポケットだった。
これだけで物語の締めくくりとできそうですが、ジャングルポケットの話はさらに先へ進みます。
マンハッタンカフェの必要性?
アニメウマ娘では定番?の夏合宿のシーン。
様々なウマ娘が登場する辺りファン向けとも言えますが、夏祭りでジャングルポケットとフジキセキが会話するシーンがこのアニメ内で一番印象に残りました。
ジャングルポケットを気遣うフジキセキの言い回しが、アグネスタキオンが語っているかのようにも感じられて、さらに自分は前述のタガノテイオーやアグネスゴールドの事なども思い浮かべながら、二人が会話している間ずっと考えに耽っていました(その結果がこのnote)。
と夏合宿ではそんなこんなありまして、ジャングルポケットが出走した札幌記念、菊花賞はサクサクっと終わります。
札幌記念には自分にとって最愛の馬スティンガーが出走していたので、ワンチャンモブでも…と思っていたのですが残念。
ちなみにアニメウマ娘1期では2レース映っています(99年天秋・ジャパンカップ)。
それはさておき、マンハッタンカフェが最も輝く菊花賞が少しだけだったのは以外でした。
序盤から所々出演するシーンはあれど、真剣に走り切るシーンがかなり少なかったかのように思い、ファンからすればちょっと不満が残る内容だったかもしれません。
ただあくまで今回の主役はジャングルポケット。この時の菊花賞でもジャングルポケット・ダンツフレーム、さらに札幌記念でジャングルポケットに勝っている夏の上がり馬エアエミネムなどに人気を押され、マンハッタンカフェは6番人気での勝利でした。
次の有馬記念は3番人気で連勝し、翌年の日経賞でようやく圧倒的1番人気…という時は惨敗と、なかなか掴み所が難しく見せ場の作り方も難しい馬だと思います。実際に全盛期も非常に短かったですし。
個人的には、意外と弥生賞でマンハッタンカフェの見せ場が多かったようにも思いました。菊花賞の分をそちらに分配したのかなぁと。
また何らかの見せ方で注目を浴びる機会に期待しましょう。
ピークを過ぎたテイエムオペラオーの戦い
ところでウマ娘3期の頃ピークアウトについて色々言っていた人達は、今回の映画に登場しているオペラオーを見てどう思いましたか?
映画を見る前からこの件は非常に強く気にしていたので、ここの描き方次第で自分にとっての映画の評価もだいぶ変わるだろうなと思っていました。
結果としては、まあ無難な描き方をして良かったなと。
自分はクラシックの頃からテイエムオペラオーを応援し続けていましたが、緩やかではあるものの強かった時代・弱かった時代が確実にあった馬だと思っています。それこそウマ娘3期で描かれていたキタサンブラックと同じような曲線を描いていると(キタサンはオペよりやや晩成型でしたが)。
クラシック時代はウマ娘 プリティーダービー ROAD TO THE TOPでも描かれていた通り、接戦で競り負けてしまう弱さがありました。
何度も書きますけど、1999年有馬記念はスペシャルウィークとグラスワンダーとテイエムオペラオーの3頭による接戦です。
後々わかるのですが、この時の敗戦はオペラオー晩年の負けパターンと似ています。見比べて見ると面白いかと。
年が明けて2000年の世紀末、テイエムオペラオーは8戦8勝と無敗、しかもG1・5勝と文句なしの成績を残しました。
入場特典の『また星は巡る』では有馬記念で負けたグラスワンダーにリベンジを果たした2000年の宝塚記念でのテイエムオペラオー勝利について記載もありましたね。
グラスワンダーは2000年に入り急激にピークアウトした事は隠しつつ…(なおこのレースをもって引退しました)
ちなみに秋古馬三冠・グランドスラム・世紀末覇王という言葉すべてこのタイミングではなく後々生み出されたフレーズです。
この頃は特にネット上での競馬ファンから「同じ相手にしか勝っていない」という理由からラキ珍(ラッキー珍馬の略)と呼ばれていました。
まあそう呼んでるヤツラ、ラッキーでも何でもいいから8連続で馬券当ててから言えよ?って感じですけれども…。
2000年有馬記念の通称『社台包囲網』に関しては、2013年のJRAのCMで
『勝ち続けると全ての馬が敵になる』
と取り上げるまで、割とタブー視されていた事でした。
(オペラオーは後々社台で種牡馬入りするので社台包囲網も何もと個人的には思うんですけどね…)
全ての馬だけでなく、ファンからもあまり好かれなかったことから上記のような蔑称が生まれてしまった訳で。
アニメウマ娘3期でも忠実に描かれていましたが(強調)のキタサンブラックは馬主&騎手もあって世間一般と競馬ファンで人気の格差が大きい馬でしたが、テイエムオペラオーは世間一般からは知名度もなかった上に競馬ファンの一部からはかなり嫌われているという馬でした。
それもあって日本人が好きな判官贔屓もあり、健気に頑張るナリタトップロードやステイゴールドに人気が分散していきます。
とにかくこの頃のテイエムオペラオーは史上最強馬と言っても過言でない強さを誇っていました。『ハナ差圧勝』とも呼ばれ、接戦に弱かった以前と比べとにかく接戦に強くなりました。
ただそれが人気にならない理由でもあったり…競馬ファンそして世間一般敵にも圧倒的な差をつけたり極端な逃げ・追込で勝つレースが人気になりますので、地道な先行・差しから僅差での勝利を続けるオペラオーは人気が出ません。「接戦で勝てたのはラッキーだろう」という見方をするヤツも出てくる訳です。
実際馬&騎手自身の人気は無くても馬券は買ってるなんて普通ですからね。それはそれ、これはこれ。
しかし5歳からテイエムオペラオーは確実にパフォーマンスが下がっています。
大阪杯は調整不足かつ久々というのもあり4着となり連勝ストップ。
天春は順当に勝ったものの、宝塚記念ではメイショウドトウに敗れ2着。
京都大賞典はラッキーで勝ち(これはオペ好きでも認めざるを得ないしアニメ内でも「結果的に勝った」と言われてて思わす笑った)、
天秋では前述の通りアグネスデジタルに負けて2着。
とまあ『負けてなお強し』と言える成績ではありますが、どうしても前年と比較すると見劣りしてしまいます。
特に負け方に関して、クラシック時と同じように接戦で競り負ける事が増えてきました。
特に天秋での敗戦はジャパンカップでの敗戦と非常に似ており「とうとう弱点が見つかってしまった」と一部で話題となります。
他馬と長く追い比べすると最後にかならず抜け出されてしまう、ならば追い比べする時間を減らせばテイエムオペラオーに勝てるのではないか?と他馬陣営は試行錯誤していきます。
宝塚記念では元々差し馬だったメイショウドトウが勝ったが先行早目抜け出しに変える事でオペラオーと競り合わないようにしました。
アグネスデジタルが勝った天秋では動画の通り、早めに抜け出したテイエムオペラオーと並ばない位置取りで最後差し切りました。
(ちなみにこのレースではメイショウドトウ逃げてます。なんでやねん)
そしてアニメ内でクライマックスといえる描写をされていたジャパンカップでも、早めに抜け出したテイエムオペラオーを最後に差し切りでジャングルポケットが優勝しました。
前述の通り、ジャパンカップはその世代の強さを図るレースです。もし仮にジャングルポケットが負けていたならば、2001年クラシック世代の評価も大きく下がっていた事でしょう。
その重圧を1頭、ジャングルポケットのみが背負いテイエムオペラオーに勝ったお陰で今でも「2001年世代は強い」と競馬ファンからは認識されています。でなければ、アグネスタキオンが未だに幻の三冠馬と呼ばれる存在にはなってなかったでしょう。
ジャングルポケットがオペラオーに勝てたのは、同世代の期待・後押し、そしてテイエムオペラオーの弱点を突いた事もあるのですが
・斤量(ジャンポケは55kg・オペは57kg)
・血統(左回りが得意なトニービン産駒)
・騎手(まだまだ若かった和田、当時から上手いオリビエペリエ)
というのもありました。実際普通に予想するに辺りめちゃくちゃ多いな要素です。
この辺りもオペラオーのピークアウトと同様に隠してた方が物語が面白くなるとは思います。逆にジャングルポケットに対して圧倒的な不利を作る為にアグネスタキオンの幻をここまで引っ張っていたというのも理解しています。
ただ個人的にはさすがに幻を引っ張り過ぎかな~とは感じました。
ジャングルポケット1人でテイエムオペラオー達に挑む、というアニメ1期の『日本総大将』みたいなノリも少し欲しかったかなとは思いました。実際そうだったからね。
個人的にもう一つ、アニメ内でずっと左回りの練習ばかりしてたのは気になりましたね…左回りが得意なジャンポケはさておき、他の馬もそうだったしトレセン学園で走っているシーンや川沿いでフジキセキと併走する時も左回りでした。
RTTTでは様々なトレーニングを行っていたので、その辺りもちょっと足らない部分ではありましたね。
もちろんトレーナー毎に方針はあるんでしょうけど「徹底的に左回りを磨け!」みたいな展開もあったら日本ダービー・ジャパンカップを勝った理由付けにさらに説得力が生まれたかなぁと。
アニメ内では2000年有馬記念からオペラオーに関する描写をバッサリカットして2001年のジャパンカップを描いています。史実を知らない人からすれば、その間の事を知らずにテイエムオペラオーはずっと強いままだと思っていた事でしょう。
アニメウマ娘3期と同様に「ピークを過ぎた相手に勝った」というのを見せてしまうと冷める人もいますからね。知らぬが仏とも言う。
個人的にはこの辺りは隠す必要はあったのかな?とは思いました。RTTTでは虚勢を張っていた描写もチラホラと見えていましたし、新時代の扉ではピークを過ぎた自覚をもって虚勢を張るオペラオーを見たかったなと思う部分もありました。
ただそう感じられる描写がまったくなかったかというと、ジャパンカップのレースシーンで直線早めに抜け出したオペラオーがみんなを鼓舞する言葉に自分はその片鱗を見ました。まあそれがあったので良かったとします。
覇王が力を失いつつも最後まで自分らしく振舞おうと影で努力をするスピンオフ作品作りませんか…。
ともあれジャングルポケットは最強古馬であるテイエムオペラオーを勝ち、新時代の扉を開けたのでした。めでたしめでたし。
二度目の雄叫びも…うーんやっぱりちょっと淡泊?ちなみにリアルでは帰ってきた後もずっと口を開け首を上げたままで検量室では騎手を振り落としそうになるぐらい止まりませんでした。
とまあ最後のレースだけ少々思う所がありましたが、まあその辺りは記載の通り脳内補完を自分自身でやればいいだけなので…次に映画を見る時はそういう『思想』を強めにしてみる事にします。
新時代の扉の先に
その後テイエムオペラオーは有馬記念ではマンハッタンカフェに負けて5着となり、引退します。メイショウドトウと共に引退式も行いました。
あまり言われていないのですが、テイエムオペラオーは26戦して全て掲示板に載っています。無敗の馬・全連対の馬はたくさんいますが、これだけのレース数・年数を走って最後まで大崩れしない自分を貫き通しました。
ジャングルポケットもラストランの2002年の有馬記念だけは外してますからね(7着)。
こうしてアグネスタキオンをきっかけにジャングルポケットやマンハッタンカフェが新時代の扉を開けたかと思いきや、翌年は旧時代から強力なウマ娘が復活?します。
ナリタトップロードです。
年明けからG2を連勝、阪神大賞典ではジャングルポケットにも勝っています。
まあ、本番の天春ではマンハッタンカフェに負けるんですけどね。
しかしナリタトップロードは秋初戦の京都大賞典では急成長してきたツルマルボーイやタップダンスシチーなどにも圧勝。
天秋では同年の宝塚記念を勝ったダンツフレームをも上回り2着となります(1着は3歳馬のシンボリクリスエス)。
重賞では勝っても相変わらずG1では勝てない…そんな走りがさらに人気を呼び、ナリタトップロードはこの年有馬記念でファン投票1位になりました。
ラストランとなった有馬記念での結果は4着でしたが、2000年テイエムオペラオーが勝った際は9着・2001年マンハッタンカフェが勝った際は10着だった事を考えるとナリタトップロードの全盛期はこの頃なのでは?と未だに思う事はあります。
有馬記念ファン投票で1位になったのは元々ナリタトップロード自体人気が高かったからというのもあるのですが、ジャンポケ・マンカフェさらに下の世代がなかなかうまくファンから人気を獲得できなかったというのもあります。
これはその後数年間『英雄』が現れるまで続いていきます。
(この辺りはウマ娘アプリ・ネオユニヴァースの育成シナリオにて非常にうまく描いているので、是非入手してお読みください)
とまあ『新時代の扉』と銘打ったアニメ内でどこまでを描くか?を考えると本来新時代の扉の意味を示していた日本ダービーを勝つまでより、古馬最強のテイエムオペラオーに勝つジャパンカップまでが一番順当だっただろうなとは思います。
前述の通り、
『テイエムオペラオーは既にピークアウトしている』
『この後ナリタトップロードがライバルとなる』
という辺りはカットした上でね。ジャンポケより先にメイショウドトウやアグネスデジタルが勝ったG1シーンもカットした上でね。
そもそもジャングルポケット自体、2001年のジャパンカップが最後の勝利でしたし…。
最後に
劇場版ウマ娘 新時代の扉と同じでやり方で、今後も1頭の馬(ウマ娘)に焦点を当てた映画が続いてくれると個人的には嬉しいです。
ライバル関係が幅広く、強かった時期がそこまで長くない人気馬(それこそジャングルポケットもそう)はこういった形で取り上げるのに最適だと思いました。
。
以前行われた舞台など、様々な表現でウマ娘そして馬事文化への興味関心を持ってくれる方がひとりでも増えてくれると競馬ファンとしてとても嬉しいです。