「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」
性悪説に立っているので、何も成し遂げられない自分はご飯を食べて排泄するだけの醜い生き物だと思っているし、だからこそ勉強して主席を目指したり、時給が高いコンサルのインターンとかをしてるんだけど、たぶん自分が間違ってるのは分かってる。
とりあえず全員東大を受けるような進学校に受かって家族からも将来を期待されながらも中退して、ニートを2年していたことがあるので、たぶんその経験が自分に対する「価値を出せないと意味がない」という成果主義的な歪み方につながっているのだろう。
人は10代の終わりまでに抱えた歪みと共存しながら、残りの人生を生きていかざるを得ない。家族との関係とか、学歴コンプレックスとか、モテなかったとか。歪み方は人それぞれだけれど、歪んでいない人はいないという一点において僕たちは皆、似通ってている。
そんな時、『アンナカレーニナ』の冒頭の「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」というセリフを思い出す。
ところで、このセリフは「家庭」を人生や、恋愛などに置き換えても当てはまる気がします。
あまりにも演繹生が高いので、アンナカレーニナの法則というあだ名がつけられているそうです。