昔、留学でドイツに行ってまして……
私が大学生だった頃、ドイツのキールという街の大学で心理学を
勉強するために留学していたのですけど、そこでハンガリー人のお友達が出来まして、一緒にオランダ旅行へ行ったのですが、日本人とハンガリー人がオランダでドイツ語で会話している、という情景が妙に面白かったという思い出があります。
交換留学でも良かったのですが、日本人が少ない街の大学に行きたい!という単純な理由で私はキールを選び、その選択は正しかったのですけれども、予想以上に日本人が少なくて、私一人だけだったのです……そのせいで日本人と日本語が恋しくなってしまい、のこのこと1年で日本に返って来てしまいました
キールはドイツの中でもかなり北のほうにある港街なので、冬は長いのですが、夏は極端に短く日光が凄く貴重なので、砂浜はヌーディストビーチになってしまっているのです。
友達たちと遊びに行ったのですが全く経験値のない私は目のやり場に困ってしまい、着衣のままでビーチバレーをしてました(苦笑)
キールは第二次世界大戦の時、潜水艦、Uボートの発信基地でしたので連合国から何度も爆撃をされ、再建し、また爆撃されるということを繰り返された結果、都市の破壊率が120%にもなったという歴史のある街でして、その結果、古い建物は教会と修道院、市役所しか残っていないという近代的な街でしたね。
ドイツでは、マリファナ、ハッシシなどのナチュラルドラッグに関しては所持、摂取、売買の一切が違法ではなかったので、外国人であっても簡単に手に入れることができました。そこで住んでいた寮の地下で頻繁にドラッグパーティーが開催されていて、各々が持ってきた戦利品をシェアしたものでした(苦笑)
キールという街はハンブルクの約100km北にあるシュレスビッヒ=ホルシュタイン州の州都なのですが、造船業が盛んというだけの、ある意味、田舎の都会でして、夜にちょっと郊外へお散歩していますと、自分の手先が見えないくらい真っ暗な状態を経験できるんですよ。
あれは本当に怖かったですね!
東京でも同じだったのですが、キールに降り立った時には友達はおろか、知り合いすら一人もいない状態で、その上、ドイツ語も片言しか話せなかったので、最初は凄く不安だったのですが、暫く寮で生活し、学校へ行ってますと、人間って意外と生きていけるもんなんだなって思えるようになってきましたね。
ドイツと言えば、サッカーだと言っても過言ではないくらいなのですけど、当時、キールにはサッカーチームがなかったのです。その代わりと言ってはなんなのですけど、ハンドボールの凄く強い #THWキール というチームがあるのですけど、日本ではマイナーなスポーツですので知りませんよね(苦笑)
キールってドイツの中でも相当北にある街ですので、冬は3時にはもう暗いのですけど、夏は真夜中でも明るいのです。
ですから夏にお酒を飲もうと思ったらどうしても、明るい元で飲まなければならないんですよね。その背徳感と言いますか、罪悪感みたいなものは、日本人からすれば、もう快感なのです!
キールって単純に緯度だけでしたら、北海道よりずっと北に(カムチャッカ半島の根元くらい)ありますので、冬は寒いのです。当たり前のように氷点下まで温度が下がるのですが、私がいた年は何故か雪ではなく雨の日が多かったんですよ。地上が氷点下なのに、ちょっと不思議だった私なのです。
私の時は、ドイツの大学に入るには、大学に手紙を送り仮の入学許可証を送ってもらい、それをドイツ大使館か領事館に持っていき、就学ビザを発行してもらえばそれだけで一年間は滞在できました。
後はかなり初歩的なドイツ語の試験に通りさえすれば、学費無料で授業を受けることができたのですよ。
私は香港大学やモントリオールにあるMcGill Universityにも留学していたのですが、ドイツの大学は学費が無料のせいだとは思うのですが、圧倒的に発展途上国から来た留学生が多かったように感じました。
それまでは接する機会のない国から来た人達でしたので、色々な話を聞けて凄く楽しかったのです。
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