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しなやかに、「やさしさ」を紡いでいく決意。

1ヶ月書くチャレンジ
「誰かに言われた大切な言葉」

いしかわゆきさん『書く習慣』より

ありがたいことに、私は「書く文章がやさしい」と言っていただけることがよくあります。

でもそれは、言葉によって誰かを傷つけるのが怖いからです。

言葉の扱いに慎重なのも、言葉の扱いに人一倍臆病だからです。

それが、読み手の方の目には「丁寧な言葉選び」と「やさしい文章」に映っているのだろうと思います。

私の臆病さに、「やさしさ」という素敵な肩書きを塗り重ねてくださっていることが、とても有り難くて、そして嬉しいです。

なぜなら私は、「やさしい書き手」でありたいと思っているから。

でも、同時に「やさしい書き手」はきっと「やさしい文章を書く書き手」とイコールではないとも思います。

鋭い言葉で、現実の残酷さや虚しさに果敢に切り込んでいく文章だって、読み手の方の心を救うために書かれたものなら、きっと「やさしい」。

最後の一行が演出する読後感だけで、「やさしい書き手さんだな」と思う作家さんも、中にはいらっしゃいます。

「やさしい」というのは、ただ柔らかく在るだけではなれません。その難しさに真正面から向き合う誠実さが、「やさしい」の根源なのかもしれません。

強くなんかなくていいから
優しくなりたくて生きてく

これは、こはならむさんの「Attitude」という曲の一節。

私は、「やさしさ」に迷うといつもこの曲を聴きます。

そして、そのたびに思います。

私が書くべきなのは、何か大きなものと闘って誰かを守る武器のような文章ではないのだ、と。

高い壁に囲まれた世界で、完璧に美しく存在する、整えられた箱庭のような文章でもないのだ、と。

日常と地続きの場所にある小路の先の、小さな庵のような文章が、私の目指すべきものなのだ、と。

武器には、誰かを守ろうという強い「やさしさ」があります。

箱庭には、現実を忘れさせて夢を見せようという美しい「やさしさ」があります。

そのどちらの「やさしさ」にも、私は時折、憧れてしまうけれど。

そして、書く作品によっては、「武器」のやさしさや「箱庭」のやさしさを模索することもあるけれど。

私の「Attitude(=姿勢)」は、言葉が人を傷つけるものになってしまうかもしれないという怖さや、臆病さから始まっています。

ならば私は、臆病者なりの「やさしさ」を追求していきたいです。

たとえ私にそんな意図はなかったとしても「もしかしたら誰かを傷つけているのかもしれない」という気持ちを、常に心の端っこに引っかけながら。

言葉の鋭利な切っ先を見つめながら、いつかの瘡蓋の生々しさを思い出しながら。

臆病なりに、でも、臆病さなんて感じさせないくらい澄ました表情で。

読み手さんに支えてもらって培った自信を、引っ張り出して。

「桜小路いをり」の名前に恥じない言葉を、私なりの「やさしさ」を、これからも紡いでいきます。

今回お借りした見出し画像は、かすみ草の写真です。花言葉は、「幸福」や「感謝」など。27日目のこのお題をうっかり飛ばしてしまっていたことに気づいたのが、なんと29日目のお題を投稿した昨日でした。でも、結果的に、いつも読んでくださる方に向けた感謝と決意表明を、明日の「まとめ」の直前に書けたので、嬉しい巡り合わせでした。
「1ヶ月書くチャレンジ」は、明日でラストになります。毎日お付き合いいただき、とても励みになりました。ありがとうございます……! 明日の記事も、どうかお楽しみに。


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桜小路いをり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。