MILGRAM 第一審/フータ「事変上等」考察
こんにちは。桜小路いをりです。
今回は、「MILGRAM」のフータの第一審MV「事変上等」の考察をしていきたいと思います。
こちらがフータの第一審MVです。
全体的に、ゲームの世界観をそのまま投影したようなMVとなっています。現実とゲームの境目が徐々に曖昧になっていく感じが、鮮やかに表現されている印象です。
フータについて
まずは、フータこと梶山風汰の人となりについて。
フータは、直情的で気性が荒い青年。感情の起伏が激しく乱暴な言葉遣いをしますが、小心者の善人です。
また、上記の台詞からも分かる通り、正義感が強い青年でもあります。
私は、小心者だからこそ、虚勢を張って自分を大きく強く見せようとしているような印象も受けました。
フータの誕生日は4月19日、誕生花はアザミで、花言葉には「報復」や「厳格」、「触れないで」などがあります。
ちなみに、フータが着けているマスクですが、日常的にマスクを着けている人に多い傾向は(感染症などのイレギュラーな理由がない場合)、「人と関わりたくない」「自分に自信がない」などの気持ちではないでしょうか。
歌詞について
歌詞の全体を通して、潔癖すぎるとも言えるフータの「正義感」が見え隠れしています。
また、歌が後半に進んでいくにつれて、徐々に歯止めが効かなくなっている印象です。
例えば、前半では自分のことを「ヒーロー(=英雄)」と言っていたのに対して、後半では「アンデッドヒーロー(=不死身の英雄)」と言っているところ。
これは、だんだん自分を過大評価するようになった、ということなのかもしれません。
また、始めは「悪いことしたらごめんなさい 言葉より先に習うよな?」など、その矛先は明らかに悪役に向けられていました。
しかし、後半では「途中下車は裏切りとしていこう」などと、暴君のようになっています。
当初は悪いことをした人に向けられていた「嘘憑き狩り」。
それが、やがて、かつてはフータの味方だった人にも向けられていったのではないでしょうか。
「嘘憑き」という表現にも、どこか怪物めいた印象を受けます。悪いことをした人を、あえて人ならざる何かのように表すことで、的確に仲間を扇動しているようにも思いました。
この歌詞の中に多く出てくる「正義はこの指とまれ」というフレーズですが、この言葉からも分かる通り、フータには仲間がいたのではないでしょうか。「正義」を掲げ、悪いことをした人を粛清していく、その集団の先頭に立っていたのが、フータだったのだと思います。(詳しくはMVのほうで触れます。)
最後の「この指とまれやこの指とまれ」というフレーズは、離れていってしまった仲間への言葉だと推測しています。
彼らは、フータの暴君ぶりに辟易したのか、それとも全ての責任をフータに押し付けて去っていったのか、はたまた「自分には関係ない」と途端に手のひらを反して去っていったのか。
MVについて
このMVでは、ゲームと現実を行ったり来たりしながら、フータが悪いことをした人間(=敵)を倒していく、という展開になっています。
MVが進むにつれて、仲間が増え、レベルアップしていくフータ。
ゲームの世界は、恐らく、フータの頭の中のものなのだと思います。
繰り返しMVを見ていて思ったのですが、フータは、実際に人を殺めたわけではないのではないでしょうか。
どちらかというと、フータは、「社会的に」人を殺した罪を背負っているのだと思います。
これは、MVの最後、ゲームの世界の中で、帰り血に唖然とする場面の後に、毛布を被ってスマホを見つめるフータの姿から推測しました。
フータは、「こいつは悪いことをしている」と気づいた人の罪をネット上で拡散するなどし、そんな人たちを「社会的に」殺していた。
そして、フータたちの「被害者」の中の誰かが、ネット上に曝された情報、もしくはその余波(炎上など)が原因で、絶望の末に自ら命を絶ってしまったのではないでしょうか。
MVでは、ネット上、すなわちデジタルの中での出来事をゲームに喩えているのかもしれません。
フータは、色々な人の悪事を曝すことでデジタル空間の中では英雄となり、大きな存在になりました。
もちろん、現実世界のフータが強い存在になったわけではありません。でも、その快感は、フータを狂わせてしまったのではないでしょうか。
フータが大きな存在になればなるほど、影響力が増せば増すほど「こんなことをしていて大丈夫なのか」と思う人も多くなるはずです。
しかし、フータのやることは、どんどん過激になっていったのだと思います。敵への攻撃を表す数値が、MVの前半と後半で明らかに桁数を大きくしていることが証拠です。
ラストシーンで、呆然とした、絶望したような表情でスマホを見つめる彼は、その時になって初めて、自分がやったことがどれほど重大で取り返しのつかないことか、気づいたのかもしれません。
フータの歌声をじっくり聴いてみると、なんだか、最後のほうでは少し泣きそうな声にも思えます。
中盤では暴君のように、自分勝手に感情をぶつけて、がなるような感じが印象的でした。
しかし、ラスサビなどでは、(もちろん自分本意だと言われればそうかもしれませんが)「誰か話を聴いてくれ!」というような悲壮感が垣間見える気がします。
影響力を持って、好き勝手に振る舞って、称賛されて英雄にまで上り詰めたのも、所詮はデジタルの世界でだけ。
安い関係だけで繋がった仲間たちがログアウトしてしまえば、自分は独りぼっち。
現実に取り残されたのは、虚勢を張り弱い自分を隠そうとするフータだけだったのではないでしょうか。
まとめ
先日のユノの考察で気づいたことなのですが、「MILGRAM」では、囚人自身の「都合」に合わせて、MVから受ける印象が変わっているように思います。
例えば、「赦されたい」と思っている囚人は、あえて同情されやすい部分だけを切り取ってMVにしている。
逆に、「赦されたくない」と思っている囚人のMVは、同情されづらい部分だけを切り取っているのではないでしょうか。
私は、フータは後者であると感じています。
フータが「赦されたくない」のならば、ジャッジは、「赦す」という意味で「赦さない」か、「赦さない」という意味で「赦す」か。
そんな捉え方もできるのではないでしょうか。
5番目の囚人であるシドウも「赦さないでほしい」と言っていますが、こういう囚人がいちばん判断に迷うな……と思っています。
正直、私は初めてフータのMVを見たとき「絶対赦せない」と考えていました。いちばん最初の印象は、「ゲームの世界と現実世界を混同した結果、人を殺めてしまった」というものだったからです。
しかし、しっかり聴き込めば聴き込むほど、考察をすればするほど、その印象が揺らいでいきました。
第一印象で人を判断しちゃいけないですね……ちゃんと知ろうとする姿勢が大切だなと思います。(いや、考察なので、きちんと前のめりの姿勢でいなきゃならんのですが)
「MILGRAM」の考察では重ための話題が多いので、まとめの後半では少し緩めに、記事をシメたいなと思っています。