MILGRAM 第二審/ハルカ 考察
こんにちは。桜小路いをりです。
今回は、MILGRAM第二審、一人目の囚人のハルカについて考察していきます。
第一審のハルカの考察記事はこちらから。
なお、以前の考察では主にMVを中心にしていきましたが、今回はボイスドラマなどなど含め総合的に考察していきます。
今回も、あくまで私個人の意見として、捉えていただければと思います。
(今はまだ審判の途中なので、第二審の考察よりも慎重にいこうと考えています……。)
センシティブな話題にも触れることになりますので、予めご注意ください。(読み進めるのが辛くなる一歩手前で、ブラウザバックいただければと思います。)
MVはこちら。踏み込みすぎると心が痛くなるのでご注意ください。
第一審の答え合わせ
考えうる限り最も後味の悪い考察が、当たってしまったように思います。
ハルカはボイスドラマで、被害者のことを「あの子」と言い、「自分より弱い」と言っています。この「弱い」は体格差や力だけでなく、社会的に弱い、という意味でも捉えられる気がします。すなわち、自分と同じハンデ(ここでは、精神障害という表現を使わせてください)を抱えた子だったのではないでしょうか。
また、第一審のボイスドラマを聴き返してみると、アマネのことを(正しくはアマネくらいの年頃の子のことを)「嫌なことを思い出すから」苦手だと言っています。
その「嫌なこと」が自分の犯行だとしたら、納得がいきます。
また、私の第一審の考察では、こんな感じのことを書いています。
第二審MVには、動物(ペットなど)を手にかけたことも示唆する場面があります。
思ったより重たいぞ……という私の慄きは一度横に置いておいて。
次は、第二審に入ってからのハルカの変化について考察していきます。
第一審による変化、第二審の印象
まず、MILGRAMによって「赦す」という審判を下されたことによって、ハルカは「思想を肯定されて」います。
明らかに人を殺したのに「赦された」。つまり、自分は間違っていなかった、ということになり、ハルカは一気に自分に自信が出てきたように思います。
しかも、かなり極端に。
まず、ムウとの距離が一気に縮まり、彼女に「母性」を見出しています。ムウにとっては多分「母性」ですらなく、単なる暇つぶし的な感情のようにも思えるので、ハルカが一方的に依存しているような感じでしょうか。
また、第二審のボイスドラマを聴くと、ハルカは、どもりや自虐的な発言が全くなくなっています。
第二審の楽曲は「全知全能」という名前ですが、自分の思想を肯定された今、ハルカにとってハルカ自身は「なんでもできる存在(=全知全能)」なのかもしれません。
また、エスに対して怒鳴る場面もあり、感情的、衝動的な一面が見られるようになったようにも感じました。感情を露わにすればするほど、ハルカ自身の精神的な未熟さも表に出てくる様子が、非常にリアルです。
第二審MV、楽曲について
第一審と同じく、今回の歌詞も漢字が極端に少ない表記になっています。
私が特に気になったのは、このふたつの部分。
後者の「遥かな夢」というフレーズですが、「ハルカ」という名前が入っているのがポイントだと思います。
例えば、「ハルカ」という名前を付けたのは母親で、その名前に込めた願いが、「大きく羽ばたく遥かな夢を叶えてほしい」だったとしたら。
自分自身の「夢」を叶えることこそが、ハルカの母親の願い。
しかしハルカの夢(目標)は、「母親に自分のことを見てほしい」というもの。
しかし、ハルカを愛せない母親に、それはできない。
そんな悪循環に陥っていたのではないかと思いました。
ハルカの歌い方も、より感情的に、もっと言えば狂気的になっているように感じます。
そして、ハルカの感情が溢れれば溢れるほど、その精神的な未熟さが表に出てくるような印象も受けました。
MVのサムネイルにもなっている「爪を噛む仕草」ですが、非常に色んな意味があります。
ストレスが溜まっている。
ストレスの発散の仕方が分からない。
ネガティブな傾向がある。
子供の頃から両親の愛情が不足している。
苛立っている。
精神的に未熟。
どれもハルカに当てはまりそうです。
そういえば、MVには母親のネックレスを盗むシーンもありました。
ハルカはネックレスを着けていますから、もしかしたらそれは母親のものなのかもしれません。
そして、触れなければならないのが歌詞の英訳。
YouTubeの英語字幕を見てみると、かなり日本語の歌詞とギャップがあります。
ハルカのもっている語彙力だけでは伝えきれないことを、英語の歌詞で「訳している」という感じでしょうか。
この部分は、「Am I still INNOCENT?」と訳されています。
直訳すると、「僕はまだ無実なの?」でしょうか。
第二審になって、自分よりも非力な存在に暴力を振るい、その命を奪っているとエスに明らかにした。
そんな自分も、「まだ」赦される? 赦してくれる?
そんな意味のように思いました。
英訳の歌詞は、より直接的で、しかも日本語にはない「対象をはっきりと特定し明確に表す」表現になっています。(英語って、歌詞に膨らみがあるようで融通が効かなくて、改めて奥深い言語だなと思います。)
私が思わずはっとしたのは、英訳のこの部分でした。
ここは、「なでなでしよう、イイコだね」の部分の英訳です。
「my good boy」、直訳すると「私の良い子」でしょうか。
母親の子供でありたい、自分の存在を認めてほしい。自分のことを見てほしい。
そんな愛情への飢餓感が強く感じられます。
また、今回も引っかかるのが「MVは、囚人たちの心象風景である」ということ。
第一審のMVにあった「同情を誘う」要素が、第二審では少なくなっているように思います。
(私の個人的な意見としては、とてもじゃないけれど同情や情状酌量はできないくらい、ハルカのMVは狂気的かつ自己中心的に感じました)
これも、極端に自信がついて、自分を「全知全能」と過信したからこそ現れたものなのかな、と思います。だとしたら、第一審で「赦す」としたのは間違っていなかったようにも感じました。
ハルカの罪について
先ほど、ハルカは動物などの小さな生き物の命をいくつも奪っているというMVの描写について触れました。
また、最後に、ハルカの母親、もしくは第一審のMVのおさげ髪の女の子を殺したことを示唆する場面もあります。
ボイスドラマでハルカが触れていた、被害者の「あの子」は、そもそも男の子なのか、女の子なのか。
第一審のMVに出てくる犯行のシーンでは、男の子(恐らく、ハルカの幼少期の姿)が被害者です。このシーン、私は概念的なものなのではないかと感じるようになりました。
結局、みつあみの女の子が何者かは分かっていませんが、私は、ハルカの犯行の被害者は、この女の子なのではないかと推測しています。
ハルカはボイスドラマで「自分より小さな生き物ならば殺せる」と発言をしています。
ハルカは「母親」に対して、「自分より小さい」と思うかな……と感じました。
体格的には「自分より小さい」かもしれませんが、第二審のMVで、ハルカはずっと母親という存在に心を支配されているように思います。そんな意味でも、ハルカの母親の存在は「小さい」とは思えません。
ハルカは、みつあみの女の子に過去の自分を投影して、手にかけた。だから、第一審のMVでは被害者が男の子になっている。個人的には、この説がいちばん腑に落ちるかなと思います。
まとめ
現段階の私の考察を、とりあえずつらつらと書いてみました。また何か思いついたことがあれば、別途記事にしたいと思います。
ムウのボイスドラマを聴いたら、ハルカの解像度も上がると思うので。
「MILGRAM」、改めてすごいプロジェクトです……。