影片みか(Valkyrie)「琥珀ト瑠璃ノ輪舞曲」のこと。
こんにちは。桜小路いをりです。
今回は、「あんさんぶるスターズ!!」のValkyrieに所属する影片みかくんのソロ曲「琥珀ト瑠璃ノ輪舞曲」について考察していきます。
Valkyrieの楽曲については、「Valkyrie(あんスタ)アルバム収録曲のあれこれ」という記事で詳しく触れていますので、そちらもぜひ。
この曲では、「古い人形がひとりの人形師に救われる」という、切なくも熱っぽい煌めきを秘めた物語が歌われています。
あんスタをご存じない方にも分かりやすいように書いていきますので、ぜひ最後までお付き合いください。
*影片みかくんについて
あんスタを知らない方のためにも念のため。
ご存じの方は、この次の見出しからお読みいただければ幸いです。
影片みかくんは、芸術派ユニットとして格式高いパフォーマンスを得意とする「Valkyrie」というユニットに所属しています。
リーダーの斎宮宗さんのことを「お師さん」と慕い、その芸術に魅了され、かつては傾倒していました。現在は、自身もひとりの芸術家として奮闘中。
天然でやや抜けたところがあり、ストーリーの内容には暗い過去を示唆するような部分も。
普段はゆるい話し方で関西弁を使いますが、パフォーマンスでは打って変わり、堂々とした姿でステージに臨みます。
(要所要所で補足をしていきますので、そろそろ考察に入っていきます。大変お待たせしました……!)
考察
「碧い夜」という表現からは、夜明けの直後の空の色を彷彿とさせます。
その空に浮かぶ「淡い月」は、太陽の光に掻き消される寸前の煌めく月なのかもしれません。
ここの描写が「夜明け」ならば、それは暗に、この曲の主人公(人形)にとっての、持ち主を待つばかりだった「夜」の時が明けた(終わった)ということを表しているのだと思います。
「轉」という字、初めて見たので調べてみたら「転」の旧字だそうです。
この部分の歌詞は、人形師との出会いの場面だと推測できます。
「くすんでいた世界に色を与えてくれた」という言葉は、その通りの意味でも、比喩的な意味でも捉えられる気がします。
「埃をかぶっていたせいで見えなくなっていた人形の目に、光を与えてくれた」あるいは、「その人形師が現れたことで世界は美しいものだと知った」。
そんな意味なのではないでしょうか。
「人形師」の仕事は、二通りの捉え方があるとか。ひとつめは人形を作ること、いわゆる「人形作家」の意味です。
もうひとつは、人形を操って人形劇をする人のこと。この歌詞では、そのふたつを両方担っている人形師のようです。
また、あんスタのストーリーを読む限り、この人形師は、お師さんこと斎宮宗さんの存在に重ねられます。
自分に芸術を教えてくれたお師さんの存在は、みかくんにとって、この歌詞で描かれる人形師そのもの。この曲は、そんなふうにも捉えられます。
「お伽噺が一つだけの真実」というフレーズがありますが、本来、「お伽噺」は作り話でありフィクションです。
しかし、舞台の上で操られ、その物語を演じている人形にとっては、人形師の意思だけが全てであり、どんなフィクションも真実になる。
そんな熱い想いと、切なさを感じるフレーズです。
曲名にもある「琥珀」と「瑠璃」。
恐らく、これは影片みかくんのオッドアイを指しているのだと思います。
キャラデザを見ていただくと分かりますが、みかくんの右目は琥珀のようなオレンジ色、左目は青色をしています。
曲の最初の部分の歌詞では、その目のことを「硝子玉」と言っていましたが、ここでは「宝石」になっています。
それは、人形師が磨いてくれたお陰で「硝子玉」のようだったその瞳が「宝石」でできていると気づいたのか。
あるいは、自身の価値を見出された、ということを暗に示しているのかもしれません。がらくたの中で忘れ去られた人形ではなく、観客の前で踊る美しい人形になった、という意味にも捉えられるのではないでしょうか。
ここで、あんスタのストーリー関係なく私の考察を少しだけ。
私は、この歌詞の人形が非常に古いものであったならば、人形師がそれを修復する際、「目を付け替える」ということもあるのではないかと思います。
だとしたら、傷が付いていたり割れかけていた片目を、「瑠璃」から「琥珀」に変えた。その「琥珀」には人形師への「憧れ」が染み付き、手つかずの「瑠璃」のほうには、あの日の「絶望」がまだ染み付いている。
そんなふうに妄想しています。
「三日月」の「みか」と、「“影”の一“片”」で「影片みか」なのかな、と勝手に思っています。
「命の鼓動(リズム)」というフレーズが、とても切ないなと感じました。
本来ならば鼓動など感じないはずなのに、それを錯覚してしまう。自分が人間のように感じられてしまう。
「人形」であることの悲哀が溢れる部分です。
この曲の歌詞は、読み込めば読み込むほど文学作品のような深みを感じます。
「人形師」に「救済(すく)われ」たことで抱いた、人間という、自分とは相反する存在への憧れ。
しかし、それによって生じた傷や、人間ならば感じるはずの痛みを、人形だから感じない。
人形であることが、今度は「救済(すくい)」になっている。
皮肉なようでいて切なく、かえって美しさすら感じるようなフレーズではないでしょうか。
この人形は、最終的には人形師のもとから引き離されてしまったのではないでしょうか。
それが、人形師の意思だったのか、そうでなかったのかは分かりません。ひょっとしたら、人間にはあって人形にはない「寿命」が原因だったのかもしれません。
けれど、この人形にとって、人形師からもらった愛情は、永遠に消えることのない唯一無二のものだった。
それは、たとえ自分が打ち捨てられても消えないと言い切れるくらい、大きなものだったのでしょう。
人形師が価値を見出してくれなくなった今、その目は、また「硝子」になってしまった。
でも、この「愛」だけは真実。
そんな、胸が締め付けられるほどの強い想いを叫んで、この曲は終わります。
まとめ
記事を書くに当たって、「琥珀ト瑠璃ノ輪舞曲」をリピートしながらキーボードを打っていました。
みかくんの憂いを帯びながらも温かな印象の歌声が、ひとりの人形師に語りかける歌詞にぴったりです。
歌い方も伸びやかで、でもどこか陰りがあって、その奥深い響きに何度も聴きたくなります。
あんスタには、まだまだ私の好みのど真ん中を射貫いてきた楽曲が多数あるので、今度まとめて記事にしようかなと考えています。
(とんでもなく長くなりそうですが……。)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今は投稿の頻度を減らしているのですが、その分、読み応えのある記事を書けるように頑張っていきます。